29:大事なことはここでは言わない
詰め所内でそんなやりとりが行われているとは知らず、ベルナデッタは貰ったチケットを眺めつつ帰路を歩いていた。
今日は喫茶店に行って話をして、舞台を見て、その後レストランで夕食の予定だった。
舞台の演目は今流行りのもので、アイザックが選んでくれたものだ。――この選択の裏に「あんまり恋愛色が強いと露骨だよな。でも少しぐらいは良い雰囲気が欲しいし。あと人気がある作品の方が誘いやすいよな。あ、でもマイナーな作品だともしかして芸術方面にも長けた男だと見直して貰えるかも!?」というアイザックの葛藤と、彼の数ヵ月に渡る舞台行脚があったのは言うまでもない。もちろんベルナデッタは気付いていないが、ベルナデッタ以外の者はおおよそ予想がついている――
「せっかくチケット貰ったんだし、行かないと勿体ないよね。でも誰と行くか……、ロニアが一緒に行ければ良かったんだけど、動物はダメなんだって。グレースさんが宿のお仕事抜けられるなら誘ってみようかな」
アイザックはしきりに『女性と』と言っていた。もしも男性といくならと細かい条件をあげていたが、生憎とベルナデッタにその条件に該当し尚且つ共に舞台に行くような男性は居ない。
そもそもベルナデッタは王都に来てまだ二年程しかたっておらず、性別問わず友人知人は少ない。居ても王宮勤めで多忙な者が殆どで、「今日、今から遊びに行こう!」と誘えるような相手はすぐには思い浮かばないのだ。
「まずグレースさんを誘ってみて、もし駄目なら他に空いてる人を探してみようか」
……グルルル
「そこまで付き合わせるのかって? 可愛い妹が一人寂しく王都を彷徨うかもしれないんだから付き合ってよ」
……グルル、グ
「ロニア?」
突然足を止めて振り返るロニアに、ベルナデッタはどうしたのかと立ち止まり背後を見た。
道の先からこちらに駆け寄ってくるのはセルジュだ。どうやら自分達に用があるらしく、ベルナデッタが己に気付いたと分かると軽く手を上げてきた。
「セルジュさん、何かありました? 忘れ物でもしました?」
「いえ、少し話を……。今日は騎士隊のせいで予定を潰してしまいましたから、きちんと謝罪をと思いまして」
「そんな、わざわざセルジュさんが謝る必要ないですよ」
確かにベルナデッタの予定は潰れてしまった。だが理由あってのことだ。それに騎士隊のせいとはいえベルナデッタも同じく騎士である。
だから気にしなくて良いと話せば、セルジュが納得したように頷いた。といっても「ですが」と言い淀むあたり気になることはあるのだろう。
「確かに仕方のないことです。ですが残念ではないのですか?」
「そりゃあ残念ですよ。私も楽しみにしてましたし。でもちゃんと理由があるし、それに……」
ふと、ベルナデッタは言葉を止めて来た道を見つめた。
この道を戻れば竜騎士隊の詰め所があり、そこでアイザックが仕事をしている。
今はもう仕事に集中しているだろうか、それとももう会議に参加するために詰め所を出て行ったか。だけどもしかしたらまだ嘆いている可能性もあるし、周囲の騎士達に慰められているかもしれない。
どれも容易に想像できる光景で、想像すれば無意識に笑みがこぼれる。
それに、容易に想像できるのは今の彼の光景だけではない。
「仲間の騎士に孫が生まれるって聞いて、それも難産って知って、アイザック様はきっと慌てたんでしょうね」
「えぇ、そうみたいですね。生憎と私はその場には居ませんでしたが、聞いた話ではかなり慌てていたと」
「それで咄嗟に自分が代理で会議に出るって言ったんですよね」
己の事のように慌てふためき、解決策が自分だと分かるやすぐに名乗り出たのだろう。
頭の中はきっと老年の騎士を娘の所に行かせることでいっぱいだったはず。もしかしたら自分の祖父母を思い出していたかもしれない。
結果、早く早くと急かして半ば追い出すように老年の騎士を発たせ、嘆きながら事の顛末をベルナデッタに説明して詫びたのだ。
その言動は落ち着きがなく、『国宝の竜騎士』という異名にはそぐわない。
だけど……、
「それって凄くアイザック様らしいですよね」
ね、とベルナデッタがセルジュに同意を求めれば、彼も苦笑を浮かべて同意してきた。
「確かにあのお方らしいですね」
「誰かのためにって慌てながらも即決するところも、それをその後ちゃんと詫びてくるところも、重要な会議でも自分なら代理になれるって断言して実際に代理になれちゃうところも、ぜんぶアイザック様らしくて素敵ですよね」
「……素敵?」
意外な発言だと思ったのか、セルジュが聞き返してくる。
彼の視線を受けつつ、それでもベルナデッタは道の先を見つめ続けた。
そこにアイザックの姿を思い浮かべながら……。
「一緒に過ごせなくて残念だけど、でもそれ以上に、アイザック様はやっぱり素敵な人なんだって分かったから良いんです」
だから今日のことは惜しくない。
惜しいという感情以上に、彼を尊敬する気持ちが強まるのだ。
そうベルナデッタが話せば、セルジュが僅かに片眉を上げた。
意外だと言いたいのか、あるいは興味を持ったのか。次いで小さく浮かべる笑みは普段以上に穏やかで優しい。
「だからアイザック様には本当に気にしないでって伝えてください。私への申し訳なさでお仕事がうまくいかなかったら元も子もないですし」
「分かりました。では、良い休日を。……アイザック様の情緒安定のため、出来れば今日は女性と過ごして貰えると助かります」
肩を竦めながら話すセルジュに、ベルナデッタも苦笑を浮かべつつ頷いて返す。
そうして互いに分かれて歩き出し……、だがすぐさま「ベルナデッタ」と名前を呼ばれて足を止めた。
僅かに放れた距離越しにセルジュがこちらを見つめている。
「アイザック様のこと、どう思っていますか?」
「どう、って?」
「詳しく聞きたいというわけではないんですが、少し気になったので」
裏のある質問ではない、ただ気になった程度。そうセルジュが話す。
本人が言う通り、深く言及する気はないのだろう。彼の口調もベルナデッタを見つめてくる視線も普段通りのもので、『別れ際に気になったので聞いてみた』といったぐらいだ。
彼の問いに、ベルナデッタは「アイザック様のこと……」と小さく呟いた。
彼をどう思っているのか。
そんな事を聞かれたのは初めてだ。
アイザックの姿が脳裏に浮かぶ。
楽しそうに微笑む顔、自分が話しかけると蕩けるように目元を緩ませて笑ってくれる。かと思えば騎士としての任務の時は真剣な顔つきになり、戦う時は目をぎらつかせて凶暴な表情に変わる。穏やかだった空気を一転させて張りつめるような威圧感を纏い、かと思えば戦い終えた後にはまた穏やかに微笑んでくれる。
喜怒哀楽が分かりやすく、当てられてこちらの感情まで引き出されたことは数えきれないほど。
とりわけ彼の明るい表情は見ているだけでこちらの気持ちまで明るくなってくる。自分に対して笑ってくれると、嬉しい・楽しいという感情が流れ込んでくるのだ。
そんなアイザックのことをどう思っているか……。
なんて、ずっと前から分かっている。
だけど。
「それはここでは言えません」
自分の唇に人差し指を重ね、秘密だとジェスチャーで念を押す。
胸に湧く感情に表情を和らげながらベルナデッタが告げれば、セルジュが不思議そうな顔をした。
「言えない?」
「はい。こういう大事なことは簡単に言ったらいけないんです」
「……そうですか。野暮なことを聞いてしまいましたね」
セルジュが苦笑を浮かべ、改めて別れの言葉を告げて去っていく。
ベルナデッタもそれを見届け、傍らに座っているロニアに「行こう」と声を掛けて歩き出した。
ほんのりと自分の頬が熱くなっているのが分かる。そのせいか風が冷たく感じて気持ち良い。
ロニアを見れば、彼女もまた金色の瞳でじっとこちらを見つめてきた。探るような、それでいてどこかこちらの反応を楽しむような瞳。心なしか足取りも軽く、尻尾も妙にゆらゆらと揺れている。
「嫌な反応……。何が言いたいのさ。いや、駄目、何も言わないで」
この話はお終い! とベルナデッタが断言して足早に歩けば、ロニアが楽しそうに尻尾を揺らして追いかけてきた。
◆◆◆
「脈無しどころか大いに脈ありでしたか」
とは、去っていくベルナデッタの後ろ姿を見つめるセルジュ。
先程のベルナデッタの反応は彼女らしからぬものだった。ほんのりと頬を赤く染め、嬉しそうにはにかみ、アイザックを素敵な人だと語る。更にはこの場では自分の気持ちは明かせないと意味深げに告げてきた。
『こういう大事なことは簡単に言ったらいけないんです』
という彼女の返事は、その感情が特別であるという意味だ。明確な言葉こそ使っていないがなんとも分かりやすい。
「これを話したらアイザック様の仕事も捗るか。……いや、浮かれ過ぎて仕事にならない可能性もあるか。今のところは黙っておくべきですね」
すべては仕事のため。
そうセルジュが独り言ち、苦笑を浮かべながら詰め所へと向かって歩き出した。




