20:聖なる実家
生い茂る草を掻き分けて山を登っていくのは至難の業だ。
登山に慣れたものならばまだしも、こちらは王都育ちの騎士とデスクワークを主とする学者が殆ど。到着するまでに誰もが何度も汗を拭い、水を飲んでは汗を拭っての繰り返しだった。
だが次第に周囲の空気が変わっていく。草が生い茂り木が濃い影を落とし、時折、ひやりと冷たい空気が抜けていく。日が高いというのに周囲は薄暗い。
先程まであちこちで鳥が鳴いていたというのに気付けばシンと静まっており、湿り気を帯びた土を踏む足音だけが妙に耳につく。
そうしてついにその場に辿り着いた瞬間、生い茂る木々の中にある洞窟を見た瞬間、誰もが己の汗が引くのを感じた。
冷たい空気が漂っている。涼しいを通り越して寒気すらする。
空気が軽くなり、深く吸い込まずとも清々しい空気が肺を満たす。
爽快感。だがそれと同時に感じるのが、何か言い得ぬ存在を前にしたかのような圧。
どこまでもはてしなく清らかで、ゆえに気圧されてしまう。
「ここが……。凄いな、これは……」
圧倒されるように呟いたヴァレールの言葉に、隣に立つフィンが同感だと頷く。
学者達は圧倒を通り越して感動の域で、一人が「聖域だ」と震える声で呟いた。
聖域。
その言葉がここほど似合う場所は無いだろう。
誰もがこの場の空気に飲まれ、踏み入る事が出来ずにその場に佇んでいた。
……もっとも、
「アイザック様、ここが私の家です。どうぞ入ってください! ただいまー!」
「ここがベルナデッタが育った場所、つまり聖域……! おじゃましまーす!」
と、意気揚々と入っていくベルナデッタとアイザックは別である。
周囲の空気も神聖さも何のその、立ち尽くす面々を気に掛けることもせず、颯爽と洞窟の中へと突き進んでいく。
その軽さとやりとりはまさに実家訪問である。むしろこの神聖さを前にして『実家訪問でしかない』というべきか。
学者達が引きつった表情をしつつ、それでも二人に続いて洞窟へと入っていった。
中はより神聖な空気が漂っているらしく、彼等の感嘆は止まらない。
「す、素晴らしい……。こんな場所が存在していたのか……」
「これは確かに聖獣が頻出してもおかしくない。感動だ……、生きているうちにこんな場所に来られるなんて……!」
という学者達の感動の言葉と、
「見てください、あっちが私の部屋的なスペースで……、私の部屋が果物置き場になってる!?」
「俺の部屋も壁がぶち抜かれて母さんの部屋に吸収されたし、実家あるあるだな」
というベルナデッタとアイザックの会話が洞窟内に響く。
その温度差と言ったらなく、これはさすがに放っておけないと考えたのか、ヴァレールが溜息交じりにベルナデッタ達を呼んできた。
「ちょっと集合」と手招きする彼に、ベルナデッタとアイザックが素直に応じて彼のもとへ集まる。ロニアも集まるあたりさすが獣騎士隊の聖獣だ。
「いいかお前達、ここがどこか分かってるのか?」
「実家です」
きっぱりとベルナデッタが断言する。
なんと言われようと実家は実家である。
これにはヴァレールも一瞬言葉を詰まらせ、それでも引くまいと「だけどな」と食い下がった。
「確かにベルナデッタの実家ではあるが、学者達が話すには神聖な場所。それも聖域と呼ばれるほどの場所らしいんだ」
「ここが凄い場所っていうのは分かりました。でも私にだって言い分はあります」
「言い分?」
「はい。そもそも皆さん、ひとの実家に来てるのに『おじゃまします』が無いのはどうなんですか?」
まったく、とベルナデッタが不満を露わにした。
凄い実家というのは分かった。彼等が驚くような素晴らしい実家だというのも理解できた。仲良し大家族の秘訣がこの家に隠されているのも、自分とロニアが可愛く良い子に育った理由がこの洞窟内にあるというのも分かった。――ヴァレールが小さく「何一つ分かってない」と呟いたが、アイザックに目にもとまらぬ速さで小突かれて黙らされた――
ゆえに彼等の探求心に火が付くのも仕方ないのだが、他人の家に乗り込んで一言も無しというのはどうなのか。
とりわけ、ヴァレールは騎士、それも騎士隊長という身だ。
騎士は礼節がどうの、騎士道がどうの、日頃から言っているのに。
そうベルナデッタが訴えれば、ヴァレールが再び言葉を詰まらせ……、
「そうだな……。うん、分かった……。おじゃまします……」
と肩を落としてその流れで頭を下げた。
これに対してベルナデッタが「ごゆっくり!」と満面の笑みで返せば、隣にいたロニアもふすんと鼻で息を吐いた。
◆◆◆
学者達の探求は昼過ぎには切り上げとなった。
王都に戻る汽車の都合もあるし、なにより時間が遅くなると木々に囲まれた山は一気に暗くなってしまう。
夜どころか夕方、むしろ日が傾き始める時間でさえ慣れない者には下山が厳しくなる。とりわけ、普段は研究ばかりしている学者達なら尚更だ。
足を踏み外して怪我を……、なんて事になったら目も当てられない。実家がパワースポットかつ聖域にされるのはまだ良いが、危険区域に認定されるのはごめんだ。
「また帰ってくるから、みんな元気でね」
ベルナデッタが母親の体に抱き着けば、ロニアが父に擦り寄る。
他の兄弟達も身を寄せてきて、再び虎柄の団子状態となって別れを惜しんだ。




