18:年頃レディのお詫びの半裸
到着した日に一泊し、翌朝から入山、日が暮れる前に下山して王都に戻る。それが今回の実地調査のスケジュールである。
わざわざ移動費をかけてーーもちろん国から支給されているがーーたった一泊、それも調査の時間は半日もない。もったいない気もするが、今回の実地調査は異例のもので、まず初回は焦らず慎重にという考えがあるらしい。
そうして夜、
ベルナデッタは実家に、ロニアは一足先に山に帰り、他の者達は空き家に泊まる。
曰く、たまたま越していった者がいて空き家があり、そこを今日のために整えてくれていたという。田舎村ゆえ宿がないので有難い話だ。
「ベルナデッタ、これを皆様に持って行ってちょうだい」
大鍋を手にした母に声を掛けられ、ベルナデッタは「お鍋?」と首を傾げながら鍋を覗いた。
ふわりと湯気があがり、同時に美味しそうな匂いが鼻を擽る。暖かくて食欲を誘う、母お手製のスープだ。それにバスケットに入ったパンもある。さすがに一食分とは言えないが軽食には十分。
「皆様って、アイザック様達に?」
「もしかしたら夜遅くまでお仕事されるかもしれないでしょう」
「……美味しそう」
「ベルナデッタの分は取ってあるから安心なさい。ちゃんと届けてきたら用意してあげるから。それとアイザック様がくださったお菓子もあるわよ」
お洒落なお菓子、と話す母はどこか嬉しそうだ。
きっと田舎村では見られないお菓子に気分が上がっているのだろう。
「報酬とは別に手土産を用意してくださるなんて律儀な方ね。ほら行ってらっしゃい」
「はぁい」
鍋とバスケットを押し付けるように渡され、ベルナデッタは応じて家を出て行った。
村には街灯は無く、あるのは家屋の明かりだけ。
だが満天の星空と遮るもののない月明かりが広がっているため暗くはない。耳を澄ませば鳥の鳴き声や虫の声が聞こえ、時折は風が草木を揺らす音が追い抜くように背後から抜けていく。
人工物で囲まれた王都の深夜よりも存外に明るく賑やかである。
そんな自然の中を歩く心地良さに鼻歌を奏で、通りがかった家の窓から「ベルナデッタ」と声を掛けられるたびに寄り道をしていた。
「おかえりなさい。立派な騎士としてお勤め頑張ってるそうね」
「せっかく帰ってきたのに明日には王都に戻るんだって? 騎士ってのは忙しいんだな」
「次の帰省はもっと長く居られるの? うちの子が王都の話を聞きたがってるのよ。次帰ってきた時に話をしてあげて」
あれこれと話しかけられ、ようやく目当ての空き屋に着いた。
真っすぐに歩いてくるより倍以上の時間が掛かってしまったが、所詮は狭い村だ、鍋はまだ温かい。
「失礼しまーす。美味しいスープとパンを持ってきました」
扉を数度ノックして声を掛ける。
……だが返事は無く、誰かが出てくる気配もない。
窓から中の様子を窺うも屋内は暗い。カーテン越しゆえに中の様子までは窺えないが、人の気配もあまり感じられない。耳を澄ましてみても同様。
「寝てるのかな? でもまだ寝るには早い気もするけど……。かといってどこかに出かけるような場所も無いし」
深夜も営業している酒場のある王都と違い、ここは店も碌に無い田舎村、夜を過ごす場所など無い。それもアイザック達は初めて訪れる場所なのだから、不用意に出歩くとは考えにくい。
ならばやはり寝ているのだろうか……? そう独り言ちながら試しにと扉のノブに手を掛ければ、すんなりと扉が開いた。
鍵を掛けていないようだ。不用心と呟きつつ、とりあえず中に入る。
「あのー、スープ持ってきたんですけど、置いていっちゃって良いですかー?」
不在の可能性を考えてメモを書いてくれば良かった、と悔やみつつ、ひとまず鍋とパンをテーブルに置く。
その間も誰かが出てくる様子はないし、声も聞こえない。全員就寝していたとしても、一人ぐらいは気付いて起きてきそうなものだが。となるとやはり不在なのだろうか。
このまま一度家に帰るか、途中の家でメモを準備してこようか。それとも外出しているのなら探しに行くか……。
そう考えて家を出ようとし……、
カタン、
と聞こえてきた音に足を止めた。
何かが動いている音がする。家の奥、扉のその先から。
無意識に息を潜めて足音を消しつつそちらへと近付き、扉を開ける。その先は通路に繋がっており幾つか扉が並び、一つからは明かりが漏れていた。再びカタンと物音がする。明かりを漏らす扉からだ。
「みんな……、って感じじゃないけど、誰かいるのかな」
大勢の気配や物音ではない。だが確かに誰かが居る。
その気配を辿るように奥へと進み、目当ての扉に手を掛け、ゆっくりと開けた。
室内に居たのはフィンだ。
入浴後だったのか、下はズボンを履き、上半身は何も身に着けていない。
ベルナデッタに気付かずタオルで髪を拭いている。
……その背中には、数え切れないほどの傷痕。
「……フィン君」
「えっ、あっ、ベルナデッタ先輩!」
ベルナデッタの声に気付いたフィンがビクリと体を大きく震わせ、慌てて振り返った。
一瞬にして顔を青ざめさせ、まるで背を隠すようにこちらを向くと後ずさった。彼の前面には傷は無く、タオルを持つ腕にも同様。
「フィン君、それ……」
「あの、えっと、ど、どうしたんですか? 何か用事でも……、い、いま、皆さん出払っているんです!」
「そうですか……」
「えぇっと、それで……、も、もし伝言があれば聞きますので、とりあえず向こうの部屋で待っていてもらってもいいですか? すぐに行きますんで」
退室を促すフィンには明らかに焦りの色が見える。
青ざめた顔、視線は不自然に泳ぎ、捲し立てるように話す。そのうえまるでベルナデッタから逃げるように後退りして、ドンと背中を壁にぶつけた。……あの、傷だらけの背中を。
「分かりました。それならリビングに居ますね」
「は、はい。すぐに行きますから……」
上擦ったフィンの声に見送られ、ベルナデッタはひとまず部屋から出ていった。
シンと静まり返った通路を歩いてリビングへと戻る。
フィンが『みんな出払っている』と話していた通り、屋内には他の気配はない。
そうしてリビングへと戻り、明かりをつけてソファに座ってフィンの戻りを待つ。
思い出されるのは先程見た彼の背中。線状の傷が幾つも走り、それと小さな火傷のような傷もあった。
だがそれらがあったのは背中だけだ。こちらを向いた彼の身体の前面には傷はなく、他にも手や顔にも傷はついていない。
酷い数の傷が、不自然なほどに背中だけ。
「どこかで事故にでもあったのかな。……でも背中だけ怪我する事故ってどんなんだろう」
そう首を傾げていると、「お待たせしました」と声を掛けられた。
現れたのは当然だがフィンだ。用意されていたというラフな衣類を纏っており、傷痕だらけの背中はもう見えない。
彼はベルナデッタの向かいに座ると「それで」と話し出した。落ち着きがないのは先程の件を気にしてだろう。
「何かありましたか? アイザック様かヴァレール隊長に用事でしょうか?」
「お母さんが夜食用にスープとパンを用意してくれたんで持ってきたんです。最初はドアをノックしたんですが、返事がないので勝手に入っちゃいました。皆どこに行ったんですか?」
「さっき村長さんが来て、聖獣についての資料があると教えてくださったんです。学者の方々はそれを取りに行ってます。ヴァレール隊長は一応護衛としてついていきました。危険は無いと思うんですが念のために」
「アイザック様は?」
「アイザック様は残ってたんですが、僕が入浴してたら『窓の外に大きなトカゲがいた!』って言い出して、……それで鍵を掛けずに飛び出したんだと思います」
「この村の大自然がアイザック様の少年心を呼び起こしてしまったんですね。でも大きいトカゲなら仕方ありません。大きい動物は誰だっていつだってときめくものですから」
うんうんとベルナデッタがごちるも、向かいに座るフィンは盛大な溜息を吐いている。上司であり国宝であるアイザックの少年心を呆れるような溜息だ。
だが次の瞬間には表情を強張ったものに変え、改めるようにベルナデッタを呼んできた。
「ベルナデッタ先輩、さっきの事なんですが……。その、あれは」
「さっきの?」
「……はい。さっき、その、着替え中に……」
話すフィンの口調はしどろもどろで要領を得ていない。言いたいことがあるが明確に口に出すのは躊躇われる、だけど話さないわけにはいかない、そんな心境なのだろうか。焦燥感どころか悲壮感すら漂わせている。
そんなフィンの態度にベルナデッタは言わんとしている事を察し、全ては言わせるまいと「大丈夫です」と彼の言葉に被せた。
顔を青ざめさせるフィンを少しでも安心させるため、彼の瞳をじっと見つめて頷いて見せる。
「公爵家の子息というのはみだりに肌を見せてはいけないんですね」
「いえ、そういう事では……。いえ、別に見せて良いってものでもないんですが」
「不可抗力とはいえ見てしまったのだから私も裸を見せるべきなんでしょう。お詫びの半裸、略して詫び裸。しかし私も公爵家ではないとはいえ年頃のレディ、みだりに肌を見せるわけにはいきません」
「あの……、ベルナデッタ先輩……?」
「ここはお互い何も無かったことにしましょう。私はフィン君の半裸を見たことを誰にも言わず、フィン君も私の詫び裸を求めない」
「求めませんよ……」
フィンがなんとも言えない声で返してくる。
対してベルナデッタは表情を明るくさせ、パンと手を叩いて「解決!」と結論付けた。
これにて一件落着だ。
「ではスープとパンを皆に配っておいてください。食べ終わった食器は明日お母さんが回収するので、そのままで良いって言ってました」
「は、はい。お気遣いありがとうございます」
「では私は家に戻りますね。おやすみなさい」
「……お、おやすみなさい」
上擦った声のフィンに見送られ、ベルナデッタは彼等の泊まる家を出て行った。
彼の背中の傷痕は気になるけれど、本人が話したくないのをあれほど必死に、言葉に出さずにそれでも必死に訴えているのだ。
これはきっと触れない方が良いのだろうと考えて、夜風に吹かれながら帰路についた。




