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第九十八話 勇者エリシア(二)

 あの時の私は――

 焦っていた。

(道場が……無くなる……)

 悔しい。

 ずっと大切にしてきた場所。

 家族と一緒に過ごしてきた場所。

(家族が……バラバラになる……)

 悲しい。

 でも――

 その時になって、ようやく気付いた。

 今までの私は……

 何もしていなかった。

 ただ――

 大好きな家族と。

 大好きな空手をしていただけ。

 それを守るために必要なことを。

 私は何も考えていなかった。

(何も……してなかった……)

 だから――

(お金があれば……)

 私は走り回った。

 街中を駆け回り。

 目についた人へ、片っ端から声をかけた。

「空手道場に興味はありませんか?」

「……興味ないなぁ」

「そうですか……失礼します」

 断られる。

 それでも。

(門下生が増えれば……)

 また次の人へ。

「空手道場に興味はありませんか?」

「あぁん?」

 男は私を見下ろす。

 そして――

「空手より……」

 ニヤリと笑った。

「嬢ちゃんに興味あるな……へっへっへっ……」

「すみません!! 失礼します!」

 私はすぐにその場を離れた。

 怖かった。

 でも――

(私も空手家……)

 拳を握る。

(恐れてなんかいられない……)

 それからも。

 私は勧誘を続けた。

 街にいる人なら。

 老人でも。

 子供でも。

 男でも。

 女でも。

 分け隔てなく声をかけた。

 少しでも興味を持ってくれる人がいれば。

 道場に来てもらえるかもしれない。

 そう信じて。

 しかし――

 その噂は、思わぬ場所へまで届いていた。

 スラム街。

 そこで荒れて暮らす者たちの耳にも。

『少女が門下生を集めている』

 そんな話が広がっていた。

 そして――

 もう一つ。

 調べられていた。

 その道場が……

『金に困っている』

 ということまで。


 ついには――

 裏稼業の人間にまで、噂が広まってしまった。

 “少女が門下生を集めている”

 そして――

「お嬢ちゃんかい?」

「お金に困ってるっていう道場の子は……」

 数人の男を引き連れた一人の男が、私に声をかけてきた。

 見た目には、それなりに金をかけていることが分かる。

 しかし――

 隠しきれない粗暴さ。

 どこか人を威圧するような雰囲気。

 明らかに、普通の人間ではなかった。

「……え?」

 背筋に嫌な感覚が走る。

(……こんな危なそうな人が……?)

(……逃げなきゃ……)

「だ、大丈夫です……失礼します」

 すぐにその場を離れようとする。

 ただでさえ、道場の経営は苦しい。

 ここで悪い噂まで広まれば――

 もう、取り返しがつかなくなる。

 そう思った。

 しかし……

「おぉ~っと、待てよ」

「逃さねーよ」

「へっへっへ……」

 周囲にいた人間たちが、道を塞ぐ。

 どうやら――

 全員、仲間だったようだ。

「……」

 私は静かに息を吐く。

(そういうことなら……)

(私だって……空手家の娘)

 スッ……

 自然と構えを取る。

 道場で何度も繰り返した動き。

 父から教わった技。

 それを、そのまま繰り出す。

「ハッ!」

 ドゴッ!!

 バキッ!!

「ぐはっ……!」

 拳。

 蹴り。

 下っ端たちの顔面や、みぞおちへ正確に叩き込む。

「うぅ……」

「だ、大丈夫か!?」

 仲間が倒れたことで、周囲の男たちの意識が一瞬逸れる。

 その隙を――

 私は逃さなかった。

(今だ……!)

 ダッダッダッ……

「逃げたぞー!!」

「追えー!!」

 背後から怒声が響く。

 私は人混みの中へ飛び込み――

 その姿を隠した。


「どこ行きやがった」

 街の中には、追手が溢れていた。

 あちこちに散らばる男たち。

 逃げ道を探しながら、私は周囲を見渡す。

(街から道場へ戻る道も……きっと塞がれている……)

 そう判断した私は――

 山を越えるルートを選んだ。

 ・・・

 ・・・

 ・・・

「ハァ……ハァ……」

 一度しか通ったことのない道。

 記憶を頼りに、暗くなり始めた山道を進む。

 細い獣道。

 足元も悪く、進むほどに道は険しくなっていく。

 そして――

 日が沈んだ。

 周囲は、さらに暗闇に包まれていく。

 それでも……

(今はまだ……街には戻れない……)

 戻れば、道場にも迷惑がかかる。

 家族にも……。

 だから、歩き続けるしかなかった。

 その時――

 ポツッ……

 ポツッ……

「……え?」

 頬に冷たい感触が落ちる。

「雨……?」

 最初は、小さな雫だった。

 しかし――

 ザーッ!!

 一瞬で、大粒の雨へと変わる。

「うそ……」

 視界が雨で遮られる。

「雨宿り出来る場所を……探さなきゃ……」

 私は、慌てて周囲を見渡した。

 知らない道。

 知らない山。

 それでも、雨を避けられる場所を探す。

 そして――

 偶然、見つけた。

 洞窟。

「ここなら……」

 私は迷わず、その中へと入った。

 ・・・

 ・・・

 ・・・

 洞窟の奥は、すぐに行き止まりだった。

 それでも、雨を避けるには十分だった。

 ザザザーッ……

 外では、激しい雨音が響き続けている。

 私は膝を抱え、雨が止むのを待った。

 ・・・

 ・・・

 ・・・

 そして――

 それは突然、起きた。

 おそらく、前兆はあったのだろう。

 しかし――

 激しい雨音が、全てを掻き消していた。

 ドドドドドッ――!!

「な……何!?」

 地面が揺れる。

 洞窟全体が震える。

 そして――

 ズズズズズ……

 入口が、土砂で塞がれていく。

「え……?」

 土砂崩れ。

 山の一部が崩れ、洞窟の出口を完全に塞いでいた。

「そ、そんな……!」

 私は必死に土砂を掘った。

 手で。

 爪で。

 少しでも外へ出るために。

「出なきゃ……」

「帰らなきゃ……」

 家族の元へ。

 道場へ。

 でも――

 身体は限界だった。

 指先から力が抜ける。

 視界が霞む。

「……」

 そして――

 私は、その場で意識を失った。

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