第九十七話 勇者エリシア
岩が転がる荒地を歩くロックとエリシア。
二人は、来た道を戻っていた。
そんな帰り際――
「聖女のお嬢さん」
後ろから声がかかる。
振り返ると、そこにはドワーフたちが並んでいた。
「砂鉄岩を割ってくれて、本当にありがとう」
そして――
ザッ……
屈強なドワーフたちが、一斉に頭を下げる。
職人気質のドワーフ族。
彼らは、滅多なことでは他者に頭を下げない。
自分たちの技術こそが、全てを解決する。
そう信じているからだ。
「お嬢さんのことは忘れんぞ」
「この里を救った恩は、決して忘れない」
そんな彼らの言葉に、エリシアは少し驚き――
「皆さんが助かって……本当に良かったです」
笑顔で答えた。
その姿を、ロックは横で見ていた。
(……)
ただの笑顔。
いつものエリシアの笑顔。
しかし――
なぜか、いつもより特別なものに感じた。
◇
そして、帰り道。
荒地を歩きながら、ロックは口を開く。
「エリシアちゃん……」
「はい?」
「あの黒い岩盤を見た時……何かあったのか?」
「……え?」
突然の質問に、エリシアの足が止まりそうになる。
「いや……」
ロックは前を向いたまま続ける。
「いつも以上に必死だった」
「……」
「まるで……自分が犠牲になってでも助けようとしているみたいだった」
その言葉に――
エリシアは俯いた。
「…………」
しばらく沈黙する。
しかし。
やがて、決意したように顔を上げた。
「……思い出したの」
「思い出した?」
ロックが聞き返す。
「私の……現世の最後の記憶」
エリシアの表情が少し曇る。
「……そう」
一度、息を吸う。
「私が……死んだ時の記憶」
ロックは黙って聞く。
エリシアはゆっくりと歩きながら――
自分が現世で経験した、最後の瞬間を語り始めた。
空手道場の娘として生まれた私は――
物心がついた頃には、すでに空手を始めていた。
「ハッ!」
「ヤッ!」
道場に響く掛け声。
周りの門下生たちに混ざりながら、毎日のように練習を続けていた。
「はぁっ!」
「やぁっ!」
ドンッ……
「いたいっ」
「エ、エリシア!?」
転んで、擦り傷を作る。
そんな私を見るたびに――
お父さんは、空手家とは思えないほど慌てていた。
「母さん! 早く来てくれ! エリシアが……!」
「はいはい……」
お母さんは呆れながらも、すぐに私の元へ駆け寄る。
「こっちにおいで、エリシア」
そして、道場の隅へ連れて行ってくれる。
手際よく傷の手当てをするお母さん。
私はその姿を、いつも近くで見ていた。
「はい、終わり」
「もう痛くない」
私は立ち上がる。
「また練習してきてもいい?」
「今日はもうおしまいよ」
「えぇ〜……」
練習が大好きだった私は――
それでも懲りずに、またすぐ怪我をした。
何度も。
何度も。
そのたびに、お母さんの手当てを見ていた私は……
いつしか、自分で手当てが出来るようになっていた。
◇
高校生になっても――
私は変わらず、道場で門下生たちと一緒に練習を続けていた。
「エリシアさん。こちらにいたんですか?」
振り返ると、門下生の一人が立っていた。
「えぇ……備品の整理をしていたの……どうしたの?」
その手を見る。
「あ……怪我したの?」
「す、すみません……」
「いいよ。私がやるから」
私は、その子の手当てを始める。
昔、お母さんが私にしてくれたように。
傷を見て。
痛みを聞いて。
優しく包帯を巻いていく。
すると――
医務室の扉から、
ヒョイ……
一人の男性が顔を覗かせた。
「エリシア」
「ん?」
「俺の手当ても頼むよ」
「お兄ちゃんは自分で出来るでしょ?」
呆れながら返す。
すると、兄は少し笑った。
「妹に手当てしてもらった方が……治りが早い気がする」
「気のせいよ」
「冷たいなぁ……」
「ほら、傷見せて」
私には、年の離れた兄がいた。
実力だけなら――
お父さんをも超えるほどの空手の才能を持った人。
だけど……
心。
技。
体。
その中で、一番大切な“心”だけは――
まだまだ未熟なままだった。
お兄ちゃんは――
この道場を継ぎたいと思っていた。
ずっと。
だけど……
「師範……申し訳ありません」
「お前も社会人になって忙しいんだ。仕方ないよ」
少しずつ。
少しずつ。
門下生が減っていった。
仕事が忙しくなった人。
生活環境が変わった人。
それぞれの理由で、道場を去っていく。
「新しい門下生も増えないな……」
「少子化だったり……時代の流れかしらね……」
お父さんとお母さんの会話。
私たちは、何度も聞いていた。
そして――
ついに、その日が来た。
「……道場を閉めることにする」
お父さんが告げた。
「……」
私も悔しかった。
小さい頃から通ってきた場所。
家族と一緒に過ごした場所。
それが、なくなってしまう。
でも――
誰よりも悔しがっていたのは。
「何でだっ!!」
お兄ちゃんだった。
「門下生も減って……道場だけでは、もうやっていけないのよ」
お母さんは、静かに説明する。
以前は道場を手伝っていたお母さんも、今では別の仕事をして家計を支えていた。
「隣町の大きな道場から、師範代として来ないかって誘われているんだが……」
お父さんも、時々道場をお兄ちゃんに任せていた。
そして――
隣町の道場へ通っていた。
それでも。
お兄ちゃんは納得できなかった。
「俺が継ぎたかったのは……」
拳を握る。
「俺が継ぎたかったのは……ここなんだよ……」
その言葉に、私は胸が痛くなった。
お兄ちゃんは強かった。
技術も。
身体能力も。
お父さんを超えるほどだった。
だけど――
心だけは。
まだ成長していなかった。
自分が望んだもの。
自分が守りたいもの。
それだけを見ていた。
「お兄ちゃん……」
私は小さく呟く。
道場がなくなることよりも――
家族の心が、離れていくことの方が。
私は、ずっと怖かった。




