第九十三話 黒い壁
目の前の光景を見た瞬間――
エリシアの脳裏に、過去の記憶が重なった。
(あ……あれは……?)
巨大な岩盤を前に、ぼんやりと立ち尽くすエリシア。
その様子に気付き、ロックが声をかける。
「……エリシアちゃん?」
「……え?」
呼びかけに、ハッと我に返る。
しかし――
先ほどまでぼやけていた記憶の映像が、突然鮮明になった。
まるで、ピントの合わないレンズ越しに見ていた景色が、一瞬で焦点を結んだように。
(思い出した……)
(そうだった……)
エリシアは、ゆっくりと顔を上げる。
目の前に立ちはだかる巨大な岩盤を見る。
「……助けたい……」
「そりゃ……助けられるなら……」
ロックは、そこまで言って言葉を止めた。
いつものエリシアとは違う。
その瞳には、強い覚悟が宿っていた。
「エリシアちゃん……」
ロックもまた、岩盤へ視線を向ける。
微かに黒い光沢を放つ巨大な鉱石。
表面には、掘削機で削ろうとした跡が残っていた。
カンッ……カンッ……
ロックは拳で軽く叩く。
少し場所を変えて――
カンッ……カンッ……
さらに別の場所を叩く。
カンッ……カンッ……
しばらくの間、洞窟内には乾いた音だけが響いた。
そして――
「……分厚いな」
ロックは岩盤を見上げる。
「それに……空洞があるような軽い音もしない」
上下左右。
隅々まで確認するように表面を叩いたロックは、エリシアへ振り返る。
「この鉱石って……どんなものか分かる?」
エリシアは静かに岩盤へ手を触れる。
指先に伝わる、冷たい感触。
その様子を見ながら、ドワーフの男は答えた。
「砂鉄岩……そのままの意味だ。砂鉄が固まって出来た岩だ……」
天井を見上げる。
「こんな大きさのものは……俺も初めて見た」
「かなり長い年月をかけて形成されたんだろうな……」
黒い岩盤を見つめながら、ドワーフたちは呟く。
「砂鉄の粒なんて……もう見えやしねぇ」
長年、鉱石を扱ってきたドワーフたち。
そんな彼らでさえ、目の前の岩盤を前に途方に暮れていた。
しかし――
エリシアだけは違った。
まだ、諦めていない。
その瞳には――
確かな光が宿っていた。
「ロックさん……ここで雷の魔法は使える?」
エリシアの問いに、ロックは首を横に振る。
「“神の雷”なら無理だな」
そう言って、天井を指差す。
その動きにつられるように、エリシアも上を見上げた。
しかし――
そこに天界の姿はない。
本来なら天界から放たれる“神の雷”は、桁違いの威力を誇る。
だが――
「それに……今のボディじゃ耐えられない」
ロックは、自分の身体を見下ろす。
今の身体では、神の力を受け止めることが出来ない。
しかし――
「威力は必要ないの」
エリシアは言った。
「雷がダメなら……電気の魔法は?」
「電気……?」
ロックは少し考える。
「それなら、魔力を電気に変換するだけだから……」
ロックは手の平を広げる。
ファァァ……
集まる魔力。
「んっ……」
その手に、少しだけ力を込める。
すると――
パリッ……
パリッ……
微かな光と共に、指先を小さな電流が走った。
「これくらいなら……」
ロックは手元を見る。
「でも、こんなの肩こりにしか効かないぜ」
そう言って――
自分の肩へ手を乗せる。
ビリビリッ!!
「お、お、お、おぉ……」
身体を震わせるロック。
「効くぜ……」
(この人……肩こりなんてないでしょ……)
エリシアは心の中で突っ込む。
「その電気……」
エリシアは砂鉄岩を見る。
「砂鉄岩に流せる?」
「……ん? こいつに?」
ロックは巨大な岩盤へ手を伸ばす。
パリッ……
パリッ……
触れた場所から、微かな電流が流れ込む。
ジジジッ……
「ロックさん……そのまま」
エリシアは静かに告げる。
そして――
砂鉄岩の前に立った。
「……」
目を閉じる。
深く息を吸う。
「スーッ……」
流れるような動きで構えを取る。
バッ……
その瞬間。
時間が止まったかのように、エリシアの身体が静止する。
周囲のドワーフたちは息を呑む。
長年、鍛冶と鉱石に向き合ってきた彼らは、見慣れぬその構えから目を離せなかった。
ロックもまた――
その姿に見入っていた。
そして……
「ハッ!!」
ドガッ!!
エリシアの掌底が、砂鉄岩へ叩き込まれる。
しかし――
砂鉄岩には、傷一つ付いていなかった。
それどころか……
「……うっ」
エリシアは、ゆっくりと拳を押さえる。
ポタッ……
ポタッ……
指の間から、赤い雫が落ちる。
「エ、エリシアちゃん?」
ロックが慌てて声をかける。
その瞬間――
ファァァ……
エリシアの拳が、優しい光に包まれる。
傷が、少しずつ塞がっていく。
「だ、大丈夫……です」
エリシアは笑う。
「少し……失敗しちゃっただけなので……」
(あの時は……)
(キマイラの時は……上手く出来た……)
エリシアは再び目を閉じる。
深く息を吸う。
「スーッ……」
身体の力を抜きながら、流れるように構えを取る。
バッ……
今度は――
その手に、魔力が集まっていく。
ファァァ……
先ほどとは明らかに違う。
周囲にいたドワーフたちも、その変化を感じ取っていた。
「……」
誰も声を出せない。
ただ、その一撃を見守る。
そして――
「ハッ!!」
ドゴンッ!!
先ほどを遥かに超える衝撃。
掌底が、砂鉄岩へと突き刺さった。
洞窟全体が震えるほどの一撃。
しかし――
黒い岩盤は、まだそこに立ちはだかっていた。




