第八十六話 嵐
後方から響く悲鳴。
突然の襲撃に、勇者軍の陣形は大きく乱れていた。
「みんな、下がれ! 後退!!」
セリーナが叫ぶ。
(挟撃……?)
最悪の状況が頭をよぎる。
(このまま退路を断たれたら……)
バッ……
後方へ視線を向けようとした、その瞬間。
ドドドッ……
前方の魔王軍から、再び魔法攻撃が放たれる。
「勇者様を守れーっ!!」
「うぉぉぉぉ!!」
ドガッ!
ドガッ!
ドガッ!
盾を構え、身を挺して攻撃を受ける兵士たち。
しかし――
その衝撃に耐えきれず、次々と倒れていく。
「くっ……」
振り向いている余裕はなかった。
今、最優先すべきことは――
後方の状況確認。
そして、退路の確保。
「ミーナ! 行くよ!」
「う、うん!」
ダッダッダッ……
二人は後方へ向かって駆け出した。
――その頃。
最後尾まで下がっていたノエルは、その異変を捉えていた。
後方から魔法攻撃を放った存在。
その影は――三つ。
ユラ……
ユラ……
ユラ……
(何……あれ……?)
ノエルの手には、出刃包丁が握られていた。
(魔族……?)
しかし――
(……違う)
影の動きには、魔族特有の知性や警戒心が感じられない。
勇者軍を目の前にしているにも関わらず。
三つの影は、ただユラユラと前進してくるだけだった。
(魔獣……?)
だが、それも違う。
(魔獣なら……もっと警戒する)
その時。
後方にいた兵士たちが、影へ向かって突撃する。
「行けーっ!!」
ダッダッダッ……
数人の兵士が、一斉に剣を振り下ろす。
ブンッ!!
しかし――
ガキィーンッ!!
剣が止まった。
影の一つが持つ、大きな盾によって。
人の身体ほどもある巨大な盾。
数人分の斬撃を、まとめて受け止めていた。
(盾……?)
(武具を使う魔獣なんて……いない)
その瞬間。
影が一つ、消えた。
シャッ……
シャッ……
シャッ……
黒い影が、戦場を横切る。
何度も。
何度も。
そして――
ドサッ……
ドサッ……
ドサッ……
兵士たちが、次々と倒れていく。
そこに立っていたのは――
短剣を握った黒い影。
赤く光る瞳が、真っ直ぐノエルへ向けられていた。
後方にいた影。
その手に握られた杖が、ゆっくりと黒い魔力を纏っていく。
ブォォォォン……
不気味な音が響く。
まるで周囲に漂う瘴気そのものを吸い上げるように――
杖の先に、黒い渦が生まれていく。
バッ……
影が杖を前方へ振り下ろした。
その瞬間――
ドドドッ!!
黒い魔法弾が、ノエルたちへ向かって放たれる。
「んっ……!」
ノエルは咄嗟に、手に持っていた鍋の蓋を盾のように構えた。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
「ンッ……!」
受け止めた衝撃が身体へ伝わる。
ドンッ!!
「……っ!」
ズザザーッ……
ノエルの身体が後方へ押し飛ばされる。
砂埃を巻き上げながら、地面を滑っていく。
しかし――
影たちは止まらない。
ユラ……
ユラ……
ユラ……
三つの影が、一定の速度で前進してくる。
巨大な盾を構える影。
短剣を握り、黒い残像を残すほど素早く動く影。
そして――
杖を掲げ、黒い魔法を放つ影。
それはまるで――
進路を塞ぐもの全てを吹き飛ばす、嵐。
ただ前へ進むためだけに存在する、三つの脅威だった。
ザッザッザッ……
セリーナとミーナは、倒れているノエルの元へ駆け寄った。
「ノエル! 大丈夫?」
「うん……」
二人に支えられながら、ノエルはゆっくりと立ち上がる。
そして――
三人は、こちらへ向かってくる影を見つめた。
「こ、この気配……朝の……」
ミーナの表情が硬直する。
(魔獣みたいな殺気だった……)
(でも……人型の魔獣なんて、聞いたことがない)
目の前にいる存在。
それは、明らかに人の形をしていた。
考えられる可能性は――
ジジジッ……
「いや〜……やっと繋がったっす」
その時。
天界から通信が入る。
「この前、魔力を使い切っちゃったっす〜……って、そんな場合じゃなかったっすね」
久しぶりに聞く声。
魔力切れによって通信すら出来なかったセラだった。
「あ〜……まだ魔力が少ないんで、手短に言うっす」
セラの声が少し途切れる。
「それは……冒険者っす」
「冒険者!?」
三人の表情が変わる。
「仕組みは魔獣と同じっす」
セラが説明を続ける。
「獣が瘴気に当てられて魔獣になるのと一緒で……瘴気にやられた人っす」
「……」
衝撃の事実だった。
これまで、人間が踏み入ることのできなかった魔王領。
そこに広がる瘴気。
それは――
人間すら変えてしまうものだった。
「それって……」
セリーナが問いかける。
「私たちも……ああなるの?」
「ならないっす」
セラは即答した。
「……え?」
「本来なら、獣が魔獣になるには永い年月が必要っす」
「少しずつ瘴気に侵されるから、元々持っていた獣の特性も残るっす」
セラは一度言葉を止める。
「……けど」
三人は、再び黒い影を見る。
ユラ……
ユラ……
ユラ……
影は、ただ前へ進んでくる。
「あれは……高濃度の瘴気を一気に浴びたっすね」
セラの声が低くなる。
「人の特性が残ってないっすから……危険っす」
「ひ、人なら……」
ミーナが震える声で言う。
「殺せないよ……」
その言葉に、セリーナもノエルも黙って頷いた。
「エリシアちゃんがいれば……あるいは、ってところっすけどね〜」
しかし――
セラは、淡々と言い放つ。
「殺らなきゃ……殺られるっす」
「ザザザッ……あ、もう限界っす」
通信にノイズが混じる。
「ザザザッ……殺すか……逃げ……」
プツンッ――
セラとの通信が途切れた。
残された三人の前で。
三つの黒い影は、ゆっくりと迫り続けていた。




