第八十四話 開戦
魔王領――
荒れ果てた大地を、無数の影が進んでいた。
ザッ……
ザッ……
ザッ……
乾いた大地を踏みしめる、規則正しい足音。
一歩進むたび、舞い上がる土埃が黒い軍勢を包み込んでいく。
先頭を歩くのは、黒鉄の鎧を纏った魔族の兵士たち。
その後方には、禍々しい魔力を漂わせる異形の魔物たちが列を成していた。
空は厚い雲に覆われ、太陽の光は一筋も届かない。
まるで世界そのものが、この進軍を拒んでいるかのようだった。
ゴォォォ……
冷たい風が荒野を吹き抜ける。
その風には、僅かな瘴気が混ざっていた。
「……見えてきたな」
隊列の中央。
周囲とは違う威圧感を放つ男――ルディオンが、前方を見据えながら呟いた。
その視線の先には、人間によって奪われた土地が広がっている。
かつて魔王領だった場所。
今は、勇者軍の旗が掲げられている場所。
「勇者共……」
隣を歩く魔王イリヤが、遠くの旗を睨みつける。
「随分と調子に乗ってくれたわね……」
その声に、周囲の兵士たちの空気が一段と重くなる。
誰も言葉を発しない。
ただ前だけを見つめ、歩みを進める。
ザッ……
ザッ……
ザッ……
そんな中――
「おい……」
ルディオンが後方へ視線を向ける。
「何か策があるんだよな?」
その先にいたのは、魔王アルベルト。
しかし、彼は焦る様子もなく、淡々と答えた。
「……問題ない」
それだけ。
短い言葉だった。
だが、その表情には確信があった。
今回の戦いは、今までとは違う。
奪われた領土を取り戻すため。
そして――
人間たちに思い知らせるため。
魔王軍は、まだ終わっていないということを。
やがて――
雲の隙間から見える地平線の先に、人間側の旗が揺れているのが見えた。
勇者軍。
待ち構える者たち。
しかし――
魔王軍の足は止まらない。
ザッ……
ザッ……
ザッ……
その歩みは、まるで決められた運命のように。
一歩。
また一歩。
確実に――
勇者軍との距離を縮めていった。
勇者軍と魔王軍――
二つの軍勢が、互いに睨み合っていた。
ヒュー……
分厚い雲に覆われた空。 太陽の光は遮られ、薄暗い戦場に冷たい風が吹き抜ける。
ザァ……
乾いた砂埃が舞い上がる。
「無理に前へ出ないで! 相手の出方を見るわ!」
セリーナは前衛の兵士たちへ指示を飛ばす。
攻めてくる側には、必ず何か策がある。
その策を真正面から受け止めるには――
(ロックとエリシアがいない今、攻めるのは無謀ね……)
セリーナは慎重に戦況を見極めていた。
前衛が動きを止めれば、それに合わせるように後衛も足を止める。
誰もが、魔王軍の次の一手を待っていた。
その中で――
ミーナは、じっと目の前の敵軍を見つめていた。
(……あれ?)
ふと、違和感を覚える。
バッ!
勢いよく振り返るミーナ。
「う、後ろから……何か近付いてくる……?」
しかし――
ザッ……ザッ……ザッ……
「ウオォォォ……」
低い唸り声と共に、魔王軍の前衛が進み始めた。
ゆっくりと。
だが、確実に。
その時だった。
魔王軍の後方から、一筋の光が見える。
パァァァ……
空気中の水分が一瞬で凍りつく。
次の瞬間――
無数の氷の刃が、勇者軍へと降り注いだ。
ドドドドッ!!
「うわぁぁっ!!」
「ぐっ……!」
「た、耐えろ!!」
突然の氷撃に、勇者軍の陣形が崩れる。
そして――
その隙を逃さず。
ザッザッザッ!!
魔王軍の前衛が、一気に距離を詰めてくる。
まるで、怯んだ瞬間を狙っていたかのような完璧な連携。
魔王軍は、ここで一気に勝負を仕掛けてきた。
ザッ……
「ここは……私が……」
最後尾にいるはずのノエルが、いつの間にか最前線に立っていた。
その手に握られていたのは――
調理器具のような形状をした、見慣れない道具。
「……ノエル!? なんでここに?」
「足止め……その間に……態勢を……」
ノエルは、手に持った道具をゆっくりと腕にはめ込む。
それは――
先端が細く、口が広がった円錐状の調理器具。
液体や細かな具材を、狭い容器へ移すために使われる道具。
その形状は、流れを一点へ集めるためのもの。
“漏斗”
しかし……
ノエルが装着したそれは、通常の物とは全く違っていた。
腕がすっぽりと入るほど巨大で、先端は通常よりも遥かに長い。
そして――
その先端を、魔王軍へと向ける。
狙いを定める。
静かに息を吐く。
「…………チンッ」
その瞬間――
大気が揺れた。
目の前の景色が歪む。
その歪みは、波紋のように広がっていった。
「グオォォォォォ……」
魔王軍の兵士たちが頭を抱え、その場にうずくまる。
ノエルの魔法は、迫り来る前衛部隊の動きを見事に止めていた。
「それ……レンチン魔法……?」
セリーナが驚いたように呟く。
「違う……」
ノエルは静かに答える。
「“レンチン魔法改”……」
チャッ……
特殊な漏斗を装着することで、全方位へ広がっていた共振魔法は、方向を定めて放つことが可能になった。
威力を一点へ集中させる。
それが、この改良の本質だった。
ジーン……
「私は……ちょっと下がる……」
ノエルは腕を押さえる。
漏斗の内部で発生した強烈な振動。
その影響で、腕はしばらく痺れてしまう。
それが、この魔法の弱点。
しかし――
その代償を払ってもなお。
今の“レンチン魔法改”の威力は、以前のものとは比べ物にならないほど。
遥かに――
“改良”されていた。




