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第八十三話 開戦の朝

 駐屯地の朝――

 雲一つない、穏やかな晴天。

 チュン……

 チュンチュン……

 静かな朝の空気に、小鳥の鳴き声が響き渡る。

 元は魔王領だったこの土地。

 辺りには僅かな瘴気が漂っている。

 しかし――

 駐屯地の中だけは、不思議なほど空気が澄んでいた。

 トントントントン……

 カチャ……

 カチャカチャ……

 静寂の中に響く、規則正しい音。

 そして――

 ……チンッ。

 穏やかな朝の空気に混ざり、食欲を刺激する香りが広がっていく。

 その中心にいたのは――

 小柄な少女だった。

 勇者ノエル。

 彼女は誰よりも早く起き、朝食の準備をしていた。

「これ……焚き火で……」

「はいっ」

 ノエルが仕込んだ料理を、大柄な炊事班の男が運んでいく。

 火を使う工程だけは、仕込みを終えた後に他の者へ任せていた。

(火は……まだ苦手……)

 大鍋を運ぶ男の背中を見送りながら、ノエルは小さく息を吐く。

 ふぅ……

 鍋の中には、たくさんの具材が入ったスープ。

 その中に使われている肉は――

 “獅子の肉”。

 先日、魔獣キマイラを討伐した際に手に入れたものだった。

「今日のスープは何だよ?」

 匂いに釣られた兵士が、寝起きの顔で炊事場へやってくる。

 大きなあくびをしながらも、鍋の中へ興味津々だった。

「豚汁だな!」

 大柄な炊事班の男が答える。

 そして――

「あ……でも、獅子の肉を使ってるから……」

 ニヤリと笑う。

「“獅子汁”だな! ハッハッハッ!!」

 豪快な笑い声が、駐屯地中に響き渡る。

 バサッ!

 バサバサッ!

 その声に驚いたのか、周囲にいた鳥たちが一斉に飛び立った。

 先ほどまで広がっていた青空には――

 いつの間にか、少しずつ雲が増えていた。

 しかし――

 その変化は、あまりにも小さなもの。

 誰も気に留めることはなかった。

 この穏やかな朝が――

 まもなく大きく変わることも知らずに。


 朝食の時間。

 兵士たちが天幕から、ぞろぞろと姿を現していく。

 ガヤガヤ……

 皆、トレイを片手に列を作り、炊事班が盛り付けた料理を一つずつ受け取っていく。

 その列の中で――

「ノエル。お疲れ……毎日大変だね」

 セリーナが炊事場にいるノエルへ声をかけた。

 一区切りついたノエルは、セリーナの方へと歩いてくる。

「いつものこと……セリーナも……これから舞い?」

 戦闘前。

 兵士たちの士気を高めるため、セリーナはいつも舞いを披露していた。

「食べ終わったらね。食後の運動よ。……ところで、ミーナは来た?」

「来てない……多分……寝てる」

 ミーナには、夜遅くまで針仕事をしてしまう癖がある。

 そのため、朝はいつもギリギリまで寝ていた。

「私が持っていこうか?」

 セリーナは周囲を見渡す。

 豪快な兵士たちの声。

 活気に満ちた炊事場。

「……ちょっと、周りが兵士たちばかりだと落ち着かないし……」

 ノエルの耳元へ顔を寄せ、小声で伝える。

 周りに申し訳なさそうな顔をする。 

「ん……お願い……」

 ノエルは二人分の食事を用意してセリーナの方へ置く。

「私も……後から行く……」

「分かった」

 二人分の食事を受け取ると、セリーナは炊事場を離れた。

 豪快な兵士たちの朝食は、昨夜の宴にも負けないほどの活気に包まれていた。

 そんな雰囲気を横目に見ながら、セリーナはミーナの寝室へ向かう。

 天幕内。

 仕切りの布の前に立つ。

「開けるわよ、ミーナ」

「……うん」

 返事が返ってきた。

(なんだ……起きてるじゃない。まったく、この娘は……)

 サッ……

 仕切りの布を開け、中へ入る。

 そこには――

 立ったまま、天幕の外を見つめるミーナの姿があった。

 窓などない天幕。

 それでも、何かを感じ取るように外を見ている。

「……どうしたのよ?」

 セリーナが問いかける。

 ミーナは振り返らない。

「な、何か……嫌な気配がする……」

 その表情は、いつもの彼女とは違っていた。

 狩りで培った感覚。

 狩人の勘が――

 何かの異変を感じ取っていた。


 外の広場では、兵士たちがそれぞれトレイを手に、朝食を楽しんでいた。

 ガヤガヤ……

 全員に料理が行き渡ったことを確認したノエルは、自分の食事を持ってセリーナたちのいる天幕へと向かう。

「……嫌な気配?」

 天幕の中から、セリーナの声が聞こえた。

「う、うん……あの魔獣みたいな……殺気を感じる……」

 ミーナの声には、いつもの穏やかさはなく、強い緊張が滲んでいた。

 サッ……

 ノエルは仕切りの布を開け、天幕の中へ入る。

「魔王……?」

 その問いに、ミーナは首を横に振った。

「も、もっと……野生の殺気に似ている……」

 その瞬間――

 外の広場に、朝食の賑わいとは異なる音が混ざった。

 ザッザッザッ……

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 荒い息遣い。

 一人の兵士が、駐屯地へと駆け込んでくる。

 それは、斥候に出ていた兵士だった。

 そして――

「魔王軍が攻めてきたぞー!!」

 叫び声が響き渡る。

 一瞬にして、穏やかだった朝の空気が凍りついた。

 ガタンッ!

 兵士たちは食事を止め、次々と立ち上がる。

 勇者軍全体に緊張が走った。

 空を見上げる。

 いつの間にか雲は広がり、太陽は完全に隠れていた。

 朝とは思えないほど薄暗い世界。

 その不吉な空模様が、これから始まる戦いの予兆のように感じられた。

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