第七十九話 エリシアの戦い
砂埃が舞う中、エリシアの目の前に獅子の魔獣が姿を現した。
「グルルゥゥゥ……」
低く響く唸り声。
獅子はゆっくりと距離を詰めてくる。
対するエリシアは、静かに構えを取った。
その姿は、まるで空手家そのものだった。
(教会の裏庭に出てくる熊より……強いよね)
自然と全身に魔力を纏う。
ファァァ……
研ぎ澄まされた“静”が、その場を支配する。
しかし――
獅子は怯まない。
野生の本能による“動”が、エリシアという存在を警戒していた。
ザッ……ザッ……ザッ……
一歩。
また一歩。
互いの距離が縮まっていく。
そして次の瞬間――
「ガァーッ!!」
獅子が地面を蹴った。
牙と爪を持つ巨体が、弾丸のように迫る。
(私の相手は……いつだって私より大きかった……)
(この世界に来る前も……)
エリシアは踏み込む。
獅子も同時に踏み込む。
鋭い牙が迫る。
ガブッ――
しかし……
そこにエリシアの姿はなかった。
獅子は標的を見失う。
その瞬間。
獅子の懐。
無防備になった心臓部――コアの前に、エリシアはいた。
「ハァッ!!」
ドンッ!!
鈍い衝撃音が響く。
全身の重心を一点に叩き込む掌底。
その一撃が、心臓部を揺らした。
「ガァ……」
ユラッ……
巨大な身体が傾く。
(いつもの獣なら……これで終わりだけど……)
ヨロ……
ヨロ……
エリシアは肩で息をする。
しかし――
ギロッ……
獅子の瞳から、闘争心は消えていなかった。
「ふぅ……」
エリシアは、自分自身の弱点を理解していた。
全体重を乗せた一撃。
それでも――
(やっぱり……軽いよね……)
内部破壊を狙った掌底でも、獅子の魔獣を倒しきることは出来なかった。
グッ……
握り締めた拳に、さらに力が入る。
薄っすらと血が滲んだ。
ザッ……ザッ……ザッ……
「グルルゥゥゥ……」
獅子が再び距離を詰めてくる。
グッ……
後ろ脚に力を込める。
そして――
「ガァーッ!!」
ダッ!!
一気に距離を詰め、巨大な前足が振り下ろされた。
鋭い爪による一撃。
――だが。
エリシアには、その軌道が見えていた。
サッ……
半身だけをずらす。
爪が空を切った。
その瞬間――
無防備になった獅子の鼻先へ。
「ハァッ!!」
ドンッ!!
全体重を乗せた正拳突き。
ババッ……
血が地面へ飛び散る。
「グガァァ……」
獅子の巨体が反射的にのけぞり、前脚が宙を掻く。
鼻を押さえるように、激しく頭を振った。
「ハァ……ハァ……」
ポタッ……
ポタッ……
拳から血が滴り落ちる。
飛び散った血。
それは――
エリシア自身のものだった。
エリシアの拳に魔力が籠る。
パァァァ……
傷ついた拳が淡い光に包まれる。
そして――
すぐに傷は塞がっていった。
「ハァ……ハァ……」
(人は……無意識に制御する……)
自分の身体を守るために。
力を抑え、 痛みを避け、 限界を超えないように。
人は常に、自分自身へブレーキをかけながら生きている。
しかし――
エリシアは、そのブレーキを外しかけていた。
打撃で痛めた拳。
本来なら、次の攻撃を躊躇するほどの痛み。
それすらも、魔力によって瞬時に回復させる。
目の前では、獅子の巨体が大きくのけぞっていた。
前脚が宙を掻く。
その胸元――
心臓部。
コアが、完全に無防備となっていた。
そこへ――
ピタッ……
エリシアは足を止め、再び構えを取る。
「ハァッ!!」
ドンッ!!
鈍い衝撃音が響く。
全身の重心を一点に叩き込む掌底。
ギシギシッ……
腕に伝わる凄まじい衝撃。
しかし、それすらも無視して拳を押し込む。
全ての力。
全ての衝撃が――
心臓部へと収束していく。
「グゥ……」
バキッ……
獅子の体内から、鈍い音が響いた。
ドシンッ!!
巨大な身体が地面へと倒れる。
砕けたのは肉体ではない。
その中心に存在する――
コア。
活動の核を失った獅子は、ゆっくりと動きを止めた。
エリシアは、掌底を放った右腕を左手で掴む。
パァァァ……
淡い光が腕を包み込み、傷ついた筋肉や骨を癒していく。
エリシアの戦い方は――
かつて戦った“魔王マルコ”と、どこか似ていた。
自らの肉体を極限まで高める。
そして、傷つくことを恐れず、さらに強い一撃を放つ。
その戦い方は、次第に常軌を逸していく。
“タガが外れ、アクセルを踏み抜ける人間”
それは――
“限界突破”。
稀に、そんな領域へ到達する者が現れる。
異世界では、その存在を――
“真の勇者”
あるいは、
“真の魔王”
として伝説に語り継いでいた。
エリシアは今、その扉を開きかけていた。
しかし――
本人は、その事実を知らない。
・・・
・・・
・・・
魔獣キマイラを討ち取ったことで、戦場は一気に勇者軍優勢へと傾いた。
そして、その勢いのまま領土を奪取していく。
戦いが終わった後。
ロックは予備ボディへと移っていた。
「俺のカスタムボディ……あと一つ、どこだっ?」
最初に吹き飛ばされた片腕。
それだけが、どうしても見つからない。
ロックは戦場を歩き回りながら探していた。
エリシア、セリーナ、ミーナの三人も一緒になって探す。
「……ないよ」
「ないわね……」
「な、ないです……」
四人が首を傾げていた、その時――
勝利の報告を受けた駐屯地の待機班も、戦場へと移動を始めていた。
そして……
「ロック……またバラバラ……」
ノエルが現れる。
その手には――
ロックの片腕が握られていた。
「ノエルちゃん……?」
炊事班と共に戻ってきたノエルは、静かに腕を差し出す。
「そこで……拾った……」
その後ろでは、炊事班の台車へ魔獣の素材が積み込まれていく。
獅子。
鹿。
大蛇。
キマイラを構成していた三体の魔獣だった。
「今日は……ご馳走……」
ノエルはそう呟くと、台車と共に歩き出す。
カラカラカラ……
その日の夜――
勇者軍では、勝利を祝う宴が盛大に開かれた。




