第六十五話 生粋の料理人
勇者軍と魔王軍の戦いは――
「前衛、引けー!」
セリーナの声が戦場に響き渡る。
その指示に従い、前衛部隊は徐々に後退を始めた。
そして――
「こ、後衛も……て、撤退!」
ミーナも必死に声を張り上げる。
勇者軍全体が隊列を崩さぬよう慎重に後退していく。
一方の魔王軍は追撃しなかった。
ただ、その場で勇者軍を見送るように待機している。
◇ ◇ ◇
少し時間を遡る――
ジジジッ。
「みんな! ロックせんぱいとノエルは無事っす!」
セラからの通信が入る。
「今、軍に戻るっすから、撤退するっす!」
二人の無事を知らせる報告だった。
「無事で良かった……」
最後尾にいたエリシアが安堵の息を吐く。
そして、二人が消えていった森へ視線を向けた。
ガサッ……
ガサガサッ……
「おっ……やっと森を抜けたぞ、ノエルちゃん」
姿を現したのはロックだった。
その背中には――
「疲れた……」
ぐったりとしたノエル。
「疲れたって……ノエルちゃん、ずっと俺の背中にいたでしょ……」
「酔った……ロック……揺れすぎ……」
「それは……ノエルちゃんの共振魔法の影響じゃ……」
つい先程まで命懸けの戦いをしていたとは思えない。
あまりにも気の抜けた会話だった。
「二人とも、大丈夫?」
エリシアが駆け寄る。
「エリシアちゃん! ノエルちゃんに回復を……」
「うん! 分かった」
パァァァ……
優しい光がノエルを包み込む。
◇ ◇ ◇
こうして勇者軍は、魔王領の奪還に失敗し撤退することとなった。
しかし――
死者は出なかった。
誰一人欠けることなく帰還できた。
その事実だけで十分だった。
駐屯地では兵士たちが歓声を上げ、仲間たちの帰還を喜び合う。
まるで祝勝会のような盛り上がりだった。
駐屯地では、待機していた非戦闘員や負傷兵たちが勇者軍の帰還を出迎えていた。
「おぉーっ!」
「戻ってきたぞ!」
「勇者様たちだ!」
歓声が上がる。
既に食事の準備も始まっており、炊事班は大忙しだった。
しかし、その中で一人だけ――
まだ戦いの後遺症を引きずっている者がいた。
ノエルである。
現在はエリシアの治療を受けている最中だった。
だが――
「料理……作る」
当の本人は炊事場へ向かおうとしていた。
「ダメに決まってるだろ」
ロックが即座に止める。
「大丈夫……」
ノエルは腕を曲げて力こぶを作ってみせた。
しかし――
フラフラッ。
身体が横に揺れる。
「ほら! フラフラじゃないか……今日は休んどけって……」
「出来る……」
それでも諦めない。
妙なところで頑固だった。
そこへ――
「あれ? どうしたの?」
エリシアが通りかかった。
「エリシアちゃん! ノエルちゃんのことよろしく! 治療してあげて」
ロックが助けを求める。
エリシアはノエルを見る。
今にもロックの隙を突いて炊事場へ向かおうとしていた。
ジタバタッ。
「あはは……分かったよ。ノエルちゃんを預かるね」
エリシアはそのままノエルを抱きしめるように捕まえた。
「うー……うー……」
ジタバタッ。
必死に抵抗する。
だが――
エリシアは武闘家でもある。
力比べで敵うはずがなかった。
「はいはい、こっちですよ~、ノエルちゃん」
「わー……わー……」
ジタバタ。
ジタバタ。
結局ノエルは、そのままエリシアに連行されていったのだった。
夕暮れ。
駐屯地の広場には、兵士たちの賑やかな声が響いていた。
焚き火の上では大鍋がぐつぐつと煮え立ち、香ばしい匂いが辺り一面に漂っている。
「できたぞー!」
炊事班が料理を運び出す。
その瞬間――
「おぉっ!」
「飯だ、飯!」
「今日も生きてて良かった!」
兵士たちが一斉に集まってきた。
並べられた料理は次々と皿へ盛られていく。
「そこっ! 並べ!」
「おいっ! 一人一つだ!」
炊事班が声を張り上げる。
なぜか今日の炊事班はムキムキの武闘派ばかりだった。
「はぁ~……」
ある兵士がため息をつく。
「ノエルちゃんがいないと、むさ苦しいな……」
「まったくだ……」
周りも同意するが、皆、大人しく料理を受け取っていった。
その頃――
コソコソ……
サッサッサッ……
誰にも気づかれないように動く小さな影があった。
◇ ◇ ◇
――チンッ。
――――チンッ。
――――――チンッ。
聞き慣れた音が響く。
同時に、ブワッと食欲を刺激する香りが広がった。
「ノエルちゃん! 休んでろって!」
ロックが慌てて声を上げる。
本来なら治療中のはずのノエルが、いつの間にか炊事場へ侵入して調理していた。
「ん……食べて……」
ヒョイッ。
差し出された料理をロックが口に入れる。
パクッ。
モグモグモグ……
「美味いっ!」
思わず叫ぶ。
そして――
「……はっ」
我に返った。
完全にノエルのペースだった。
「じゃなくて……休めって……あれ?」
ロックは首を傾げる。
先程まで青白かったノエルの顔色が、かなり良くなっていた。
調理台に立つ姿も、随分しっかりしている。
(調理をしてる方が……調子いい……)
ノエル自身もそう感じていた。
そして――
ちらりとロックを見る。
(それに……)
胸の奥が少しだけ温かい。
(この人の『美味しい』……心地良い……)
料理を食べた人の反応。
喜ぶ顔。
満たされた表情。
それらが自然と嬉しく感じる。
ノエルは現世の記憶を思い出していた。




