第六十一話 レンチンってそうだったの?
「ハァ……ハァ……」
森の中を走るノエル。
背中には一本の長い棒。
腰には包丁を数丁と、まな板を一枚ぶら下げていた。
これまでは戦場で簡単な調理をするために持ち歩いていた道具だ。
しかし――
ギュッ
腰の包丁を握る手に力が入る。
(いざとなったら……これで……)
タッタッタッ……
「そのまま真っ直ぐっす。距離はだいたい……一キロって所っすね」
セラの声が頭の中に響く。
(森の中って事を考慮しても……あと数分)
「ロック……」
ノエルは足を止めない。
ただ真っ直ぐ前へ進む。
タッタッタッ――
「……ノエル! ストップっす! 止まれっす!」
突然の警告。
ノエルは即座に足を止めた。
「……何?」
「誰か……こっちに近づいて来るっす……」
セラの声が緊張を帯びる。
(妨害のせいで気付かなかったっす……)
(しかも、妨害の範囲から現れたって事は……)
ノエルは近くの木の影へ身を隠した。
相手もこちらに気付いたのか、気配を消している。
(なんとなく……ロックじゃない……)
(じゃあ、魔王?)
ノエルは気配を探るのも、消すのも得意ではない。
奇襲を受ければ不利だった。
ノエルは懐へ手を入れた。
取り出したのは、“兵糧丸”。
それを迷うことなく口へ放り込む。
パクッ
モグモグモグ……
ゴクリ――
すると、
ファァァ……
淡い光がノエルの身体を包み込んだ。
ノエル特製“兵糧丸”の効果が発動する。
身体能力全体を底上げする強化効果――バフ。
わずかな上昇ではあるが、その差は決して小さくない。
(セラ……相手は一人?)
(今のところ一人っす。でも……妨害範囲から現れたから、他にもいるかも知れないっす)
(周りに……味方はいない?)
(……? いないっすけど……なんで?)
その瞬間。
ノエルは妙な構えを取った。
右腕を真っ直ぐ前へ伸ばす。
左手は額辺りへ添える。
右手へ魔力を集中させると――
「……チンッ」
その一言と同時に。
空気が一瞬だけ“揺れた”。
・・・
・・・
・・・
「ぐっ……!」
ザッ……
少し離れた場所から、小さな呻き声が聞こえる。
(な、何をしたっすか!?)
(……レンチン魔法)
(レンチン……?)
ノエルがそう呼んでいるだけで、本来の名称は“共振魔法”。
普段の調理で使う魔法だった。
対象の水分子を強制的に振動させ、内側から熱を発生させる。
それを戦闘用に応用しただけである。
なお――
口で言った「チンッ」は完全にノエルのこだわりだった。
魔法の発動には、一切関係ない。
(凄いっす、ノエル!)
(でも……万能じゃ……ない)
ノエルの身体がわずかによろめく。
今放った“共振魔法”には欠点があった。
振動の波は波紋のように広がり、周囲一帯へと拡散する。
遠距離まで届かせるには相応のレベルが必要だが、その範囲内にいる者は敵味方を問わず振動の影響を受ける。
当然――術者自身も例外ではない。
ノエルは伸ばした右手から振動を放ち、額へ添えた左手からは打ち消し用の魔力を流していた。
自分へ向かう振動を相殺しているのだ。
だが、それでも完全には防ぎ切れない。
(レンチンなら……私への影響は……ないんだけど……)
腕の届く範囲程度の狭い距離であれば問題はない。
しかし、今は広範囲へ振動を放っている。
術者への反動も大きかった。
「ぐっ……何をしたんだ……」
よろめきながら、一人の男が姿を現す。
和服の男――魔王ゲン。
(あの男……せんぱいが追いかけていった男っす)
(アイツに……聞けば……)
ノエルは再び構えを取る。
右手を前へ。
左手を額へ。
「……チンッ」
空気が再び揺れた。
「うっ……」
ノエルの身体がふらつく。
「ぐあっ……」
ゲンもまた苦悶の声を漏らした。
警戒していたにもかかわらず、防ぎ切れない。
(……脳が揺れる感覚……)
(いや……刀から伝わった微かな振動……)
(実際に“揺らされている”のか)
鋭敏な感覚を持つゲンは、その原理へ辿り着く。
ザッ……ザッ……ザッ……
ふらつきながらも前進してくる。
「ハァ……ハァ……」
ノエルは荒く息を吐く。
そして三度目の構えを取った。
(ノエル! もう危険っす! 逃げるっす!)
セラの悲鳴にも近い声。
しかし、ノエルは止まらない。
「……チンッ」
三度目の共振魔法。
その瞬間――
パァァァン!!
乾いた音が森に響いた。
ゲンは顔の前で両手を叩いていた。
衝撃波をぶつけるように。
「くっ……相殺しきれなかったが……」
完全ではない。
それでも振動の一部を打ち消した。
ザッ……ザッ……ザッ……
「マシになったな……」
チャ……
ゲンが刀の柄を握る。
そして――
ノエルが身を隠している木へ向けて、一閃。
ザンッ――
巨大な木が綺麗に輪切りとなった。
「ノ、ノエルーッ!!」
セラの悲鳴が響き渡った。
“魔獄檻ガルディア”に囚われたロック。
(このガルディアの異常さは……)
(オードンめ、らしくないカスタムをしたみたいだな)
鉄格子を見つめながら考える。
そして、近くで魔力を供給し続けている魔獣使い――ベイル。
その状況から、ガルディアに施された改造内容を推測していく。
(まさかとは思うが……)
(強度に全振りしたのか?)
(……あのバランス重視のオードンが……)
そこまで考えてから、今回の一連の流れを思い返す。
(あの和服の男……)
(わざと殺気を出して誘っていたのか……)
バラバラだった情報が、少しずつ繋がっていく。
(まさか……)
(ここまで俺たちが領土を奪えたのも……)
(この場所からガルディアを動かせないから……あえてここまで奪わせた?)
全ては、この瞬間のため。
一つ一つを見れば極端な作戦だった。
しかし――
ここでロックを封じることができれば、その後の勇者軍攻略は一気に楽になる。
(なんだよ……)
(お前にとって、俺の存在がバランスを崩している……ってか)
自嘲気味に笑う。
その時だった。
森の奥から音が響く。
パァァァン!!
「……っ!」
ロックが顔を上げる。
同時に、微かな振動が伝わった。
「今の音……それに、微かに揺れてる?」
森の向こうで何かが起きている。
理由は分からない。
だが――
嫌な予感だけは、はっきりとしていた。




