第六話 食い逃げ犯は許さない
ノエルは一瞬だけロックへ視線を向け――すぐに前を向き直した。
エプロン姿の少女。
栗色の髪を後ろでゆるくまとめ、柔らかな印象を与える整った顔立ち。
本来なら親しみやすい笑顔を浮かべているはずの彼女だが――
今は、まったく笑っていなかった。
ただ一心に、食い逃げ犯を追っている。
「ノエル! 危ない! 俺も――」
ロックも駆け出そうとする。
だが。
二人の姿は、そのまま路地裏へと消えていった。
「くそっ! 仕方ない……!」
ロックは小型の端末を取り出す。
淡い光が走り、画面が起動する。
(食い逃げ犯の視界……それと、ノエルちゃんの視界……)
端末には、二つの映像が映し出されていた。
――神スキル《千里眼》。
(まだ追ってるな……今は……こっちか!)
ロックは映像を頼りに、走り出す。
「ここは……おばちゃんの店の前か?」
視線と端末を行き来しながら、必死に位置を特定する。
「ちっ! もう移動してやがる! 次は……ジジィの所か!」
だが、二人の動きは予想以上に速い。
全く追いつけない。
「ダメだ……いや、待てよ……」
ロックは足を止め、思考を巡らせる。
(このルート……人気のない裏道を通るはず……)
そして。
「ダメ元だ……ここに賭ける!」
進行方向を変え、一気に駆け出した。
その時。
端末の映像が、わずかに揺らぐ。
(ヤベ……食い逃げ犯の顔、忘れ始めてる……!)
千里眼は、思い浮かべた対象の視界を映し出すスキル。
だが――
顔の認識が曖昧になれば、映像は途切れる。
距離が離れすぎても同様だ。
「急げ……!」
ロックは焦りを滲ませながら、全力で駆けた。
人気のない裏道。
細く、一直線に伸びた通路。
「ここで罠を仕掛けるか……」
ロックはしゃがみ込み、地面に手を触れる。
淡い光が、じわりと地面へと浸透していった。
――準備完了。
その時。
ダッダッダッ――!
「くそっ! しつけー!」
荒い足音が、裏道に響く。
(来た……! 今日の俺は作戦が冴えてるぜ)
ロックは建物の陰に身を潜めた。
「犯人……止まる」
タッタッタッ――
もう一つの足音。
軽く、リズムのいいそれは――ノエルのものだ。
距離は、すぐそこまで迫っている。
ダッダッダッ――
そして。
ベターッ!!
「どわーっ!?」
盛大な音とともに、食い逃げ犯が地面に張り付いた。
ベタ……ベタ……
「な、なんだこれ!? 動けねぇ!」
もがくが、全く離れない。
――神スキル《トリモチ》。
「よし、かかった」
ロックは満足げに頷き、物陰から顔を出す。
だが、その視界に映ったのは。
――勢いそのまま突っ込んでくるノエルの姿。
「ノエル! 待て待て……待てー!」
ロックは慌てて飛び出し、二人の間に割り込む。
そして。
ドンッ。
「キャッ」
「どわーっ」
そのまま、二人揃って前のめりに倒れ込んだ。
――トリモチの上へ。
ベターッ。
「……」
「ベタベタする……」
ノエルがぽつりと呟く。
ロックも同じく、がっちり張り付いていた。
しばしの沈黙。
……数分後。
食い逃げ犯をしっかり縛り上げ、スキルを解除。
ロックはようやく自由の身となった。
「ノエルちゃん、大丈夫か?」
「……ロック……ありがと」
小さく頷くノエル。
その表情は、ほんの少しだけ柔らかくなっていた。
その後。
二人は食い逃げ犯を衛兵へ引き渡し――
何事もなかったかのように、食堂へと戻っていった。
「今日は……何?……ロック」
ノエルが首をかしげる。
「祝勝会なんだ。美味い料理を出してくれ!」
「……祝勝会?……何の?」
「内緒」
ロックは適当に笑って誤魔化した。
「いつもの……いい?」
「あぁ、頼むよ」
こくりと頷き、ノエルはそのまま厨房へと入っていく。
――チンッ。
――――チンッ。
――――――チンッ。
「この料理魔法の効果音……そして、この香り……やっぱ最高だぜ!」
(ただのレンチン……)
ノエルは心の中で静かにツッコむ。
だが、それでも。
彼女の“料理”には、確かな力が宿っていた。
スキルによって付与される、特別な効果。
やがて。
テーブルの上には、色とりどりの料理が並べられる。
「どうぞ……」
「よっしゃー! いただきま〜す!」
ロックは勢いよく料理に手を伸ばし、次々と口へ運んでいく。
その瞬間――
身体が、ふわりと淡い光を帯びた。
「これこれ! 食べるとやる気が湧いてくるぜ!」
しっかりとしたバフ効果。
先ほどの食い逃げ犯も、この効果によって身体能力が強化され、あれだけの逃げ足を見せていたのだ。
もちろん。
味見をするノエル自身にも、同じ効果は発揮される。
だが。
ロックは、そんなことなど気にもしていなかった。
ただひたすらに――食べる。
「ごちそうさまでした〜」
「どうも……」
(いい食いっぷり……)
ノエルは無表情のまま、じっとロックを見ていた。
「ノエルちゃん、また来るね〜」
「……うん」
感情の起伏は薄い。
だが、どこか柔らかい返事だった。
ロックはそれに気づくこともなく――
上機嫌のまま、定食屋を後にする。
天界へ戻ると――
そこには、セラが待っていた。
「ロックせんぱ〜い。お楽しみだったっすね〜」
「おぅ。絶好調だぜ」
満足げに胸を張るロック。
だが。
「レインくん、無事に帰還したっすよ」
「おぉ、そうか。俺に感謝してたか?」
「いや、元の世界に帰還したっす」
「は?」
一瞬、思考が止まる。
間の抜けた声だけが、静かに響いた。
「勇者の欠員が出たっすよ」
「マ、マジで……?」
ロックの顔が引きつる。
祝勝会に浮かれていた、その裏で。
レインは――
代理として現場を任されていたセラに申請を出し、正式な手続きを経て帰還していたのだった。
「ちょ、ちょっと待てよ! 新しい勇者、どうすんだよ!」
「これから決めるっすよ」
あっさりとした返答。
そしてセラは、一枚の紙を差し出した。
「会社からのオススメらしいっす」
「オススメぇ……?」
ロックは半信半疑で、その紙を受け取る。
そこに記されていたのは――
彼の“判断”を大きく狂わせる内容だった。
そしてそれは。
やがて予想外の結果を招き――
ロック自身の運命すら、大きく変えることになる。




