第五十七話 勇者ミーナ(ニ)
(お父さん……)
私は、山を降りたことがない。
人と話すのも、両親以外とはほとんど経験がなかった。
だから――
異世界に召喚され、たくさんの人と話すようになった今でも、緊張してしまう。
すぐ吃ってしまうのだ。
でも、父は定期的に山を降り、町へ物々交換に行っていた。
「ミーナの作った革細工も、たくさん売れたぞ」
「ホント? やった〜!」
「よかったわね」
母も嬉しそうに微笑む。
私の作品は、母の作る革細工に比べれば小さいし、数も少ない。
「小さくて可愛いポーチが格安だからって、結構人気だったぞ」
父が自慢げに話してくれた。
自分の作品が人気になっている。
それが嬉しくて仕方なかった。
最近は、パッチワークみたいに余った革を繋げて、大きな製品にも挑戦している。
「やる気が出てきた〜」
たくさん売れた日は、その分だけ多くの食べ物と交換してきてくれる。
だから、美味しいものをお腹いっぱい食べられた。
「お母さん、こんなの食べたことないね」
「そうだね。料理のしがいがあるね」
私は母と一緒に台所へ立ち、料理をする。
狩りで仕留めた肉と、家の畑で採れた野菜ばかりでは、どうしても飽きてしまう。
だから、町からもらえる食べ物は特別だった。
ある日――
私は一人で山にいた。
狩りにも慣れてきて、父からも「行動範囲を広げてもいい」と許可をもらっていた。
家を出て、山頂側へと進んでいく。
「……今日は静かだなぁ……」
動物の縄張りを荒らさなければ、そこまで危険はない。
けれど、その日は妙だった。
いつもより、気配がなさ過ぎる。
それが逆に、不気味だった。
「……何だろう? いつもと……違う?」
周囲を見渡す。
だが、何もいない。
ヒュー……
ザワザワ……
風の音と、木々のざわめきだけが森の中に響いていた。
(嫌な予感がする……そろそろ戻るかな……)
そう思い、家へ戻ろうとした時だった。
町の方角から、一人の男性が大きな荷物を背負って歩いてくるのが見えた。
ザッザッザッ……
男は森の中をキョロキョロと見回し――
私を見つけた。
「あ……やっと人に出会えた」
「え……」
私は、その時初めて――
両親以外の人間と会った。
男性がこちらへ近づいてくる。
「ここに住んでいるんですか?」
「え……は、はい……」
「町に物々交換しに来てくれる人の身内の方ですか?」
「そ、それは……わ、私の……ち、父です」
頭の中が真っ白になっていた。
父も母もいない。
初めて会う人間。
どう話せばいいのか分からなかった。
「あ、あなたは……だ、誰?」
私は恐る恐る聞いてみた。
「私は町に住む商人です。あなたのお父さんの持ってくる品物も、よく交換してもらってるんですよ。ハハハッ」
男は笑いながら答える。
けれど――目が笑っていなかった。
取引をする人間特有の品定めをする目。
「この前に交換した干し肉が美味しかったから、新鮮な肉ならもっと美味しいかと思って……」
そう言う男の格好は、とても山登りをしに来たとは思えない軽装だった。
それなのに――背中には、一際目立つ大きな荷物。
「……え?」
クンクンッ
「な、何……?」
「どうしたんだい?」
男は不思議そうな顔をしている。
私は匂いの元を辿った。
すると――
荷物の中から、食べ物の匂いが漏れていた。
「そ、その鞄……え……?」
「ん? 物々交換の品物だよ。それに、山登りは体力勝負だからね。食料をたくさん持ってきたんだよ」
そう言って、男は鞄の中を見せてくる。
その瞬間――
食べ物の匂いが、一気に周囲へと広がった。
『クンクンッ――なんだい、この匂い……犬さんが近付いてきました』
大好きだった絵本の一節が、頭をよぎる。
「ダ、ダメ……あ、危ない……」
ガサガサッ……
「え?」
『ドスンドスンッ! クンクンッ――なんだい、この匂い……大きな熊さんが現れた』
振り返る。
そこにいたのは――
「ガァーッ!!」
巨大な熊だった。
今日、森が静かだった理由。
それは――
食べ物の匂いに釣られ、動物たちが町側へ集まっていたから。
そして、今。
その中でも最悪の存在が、ここへ来た。
私はようやく気付いた。
大好きだったあの絵本は――
実話を元にした話だったのだと。
あの絵本の最後は――
『お腹の中は真っ暗だ……』
(そうだ……真っ暗になるんだったな……)
目の前に現れた巨大な熊が、荷物の食べ物を貪り始める。
ガツッ、ガツッ、ガツッ……
「ひ、ひぃ~……」
町から来た商人の男性は、恐怖に耐えきれず逃げ出した。
だが――
熊の前で急に逃げてはいけない。
追いかける習性があるからだ。
ダッダッダッ――
「ガァーッ!!」
(あ……)
商人の男性は、動かなくなった。
ザッ……ザッ……
人間の味を覚えた熊が、静かにこちらへ歩いてくる。
『逃げられない』
その言葉が、脳裏に浮かんだ。
そして――
『真っ暗だ……』
(あ……まだ、続きがあった……確か……)
――
『一筋の、光が見えたぞ。何だろな?』
母の声を思い出す。
「なんだろう?」
幼い頃の私の声。
『光が広がる、広がった……』
「広がったー!」
『そこにいたのは――』
――
「ようこそ異世界へ。君は勇者として召喚された」
(……神様……ロック様)
森の中へ走っていくロックの背中を見ながら、ミーナは召喚された時のことを思い出していた。




