第五十六話 勇者ミーナ
私の家は、ほとんど自給自足で暮らしていた。
田舎の山奥。
周囲には他の家もなく、毎日ひっそりと生活していた。
だから、小さい頃の私は、よく一人で山へ入って遊んでいた。
「ミーナ。あまり遠くへ行ってはダメだぞ」
父はいつも、そう言っていた。
「危険な動物がたくさんいるんだ。襲われたら大変だ」
「分かってるよ、お父さん」
私は、何でも心配する父のことを、少し鬱陶しく感じていた。
母は、よく絵本を読んでくれた。
「あるところに、森の中に住んでいる女の子がいました……」
「私と同じだね……」
「そうね……」
母はいつも、優しくゆっくりと読み聞かせてくれた。
「女の子は、お友達にお菓子を渡したくて、たくさんのお菓子を鞄に入れて、森の中へ入りました……」
「わぁ……お菓子がたくさん? いいなぁ……」
私は、いつも想像して羨ましくなっていた。
――でも。
いつも笑顔の母は、この場面になると、少し真剣な顔をしていた気がする。
「クンクンッ――なんだい、この匂い……犬さんが近付いてきました」
「ワンちゃんも食べたいんだね?」
「……そうね」
「クンクンッ――なんだい、この匂い……鹿さんも近付いてきました」
「えぇ~、鹿さんも~?」
出てくる動物がどんどん大きくなっていくのが面白かった。
「ドスンドスンッ! クンクンッ――なんだい、この匂い……大きな熊さんが現れた」
「きゃ〜」
「お菓子も、みんなも食べられました……」
「あ〜あ……食べられちゃった」
私は、この絵本が大好きだった。
父から、弓の使い方を教えてもらった。
「ミーナはまだ力が弱いから、この小さな弓で練習だな」
子どもでも持てるくらい小さな弓。
弦も、なんとか引ける程度に緩かった。
木から十メートルほど離れた場所に立ち、的へ向かって矢を放つ。
それが、私の初めての弓だった。
「う……うーん……」
ギリギリ……
パッ
ヘロヘロ〜……
カランコロンッ
矢は木まで届かず、地面に落ちて転がった。
「あ〜ん……」
失敗して、悔しかった。
「ハハハッ。それが一番小さい弓だからな。まずは、それをちゃんと使えるようになってからだ」
それから私は、毎日弓の練習をするようになった。
「ん……」
ギリギリッ――
パッ
ヒュン……
ザクッ
「やった〜! 届いた〜!」
初めて木に当たった時は、本当に嬉しかった。
「もっと上手くなったら、少しずつ弓を大きくしていくぞ」
「おぉー」
遊ぶ友達もいない私にとって、弓の練習は楽しい“遊び”だった。
母からは、父が狩ってきた獲物の皮の処理を教えてもらった。
「ミーナ。弓よりも、こっちを覚えなさいよ」
「えー? ……どっちも覚える!」
処理の工程はたくさんあった。
どれも大切な作業で、覚えるのが大変だった。
「また失敗〜……」
「ここは丁寧にしないとね」
母は、何度も何度も教えてくれた。
そして私は、少しずつ革細工を作れるようになった。
「出来た! 私の初めての……私のポーチ」
「上手いじゃない」
やがて、私の作った作品も町で売ってもらえるようになった。
私は――
これからも、山で生きていくんだ。
父が、初めて狩りへ連れて行ってくれた。
向かった狩場は、いつも遊び回っていた山と同じ場所とは思えないほど怖かった。
「こっちは狼の縄張り……あっちは熊の縄張りだ……近づくんじゃないぞ」
父の真剣な顔は、今でも忘れられない。
「う……うん」
私は怖くて、父の後ろから離れられなかった。
そして――
「いたぞ……兎だ」
「わぁ……」
兎の可愛さに、一瞬だけ目を奪われた。
だけど、父の目は鋭く獲物を捉えていた。
ギリギリッ――
パッ
ヒュン――
グサッ
「あ……」
一撃で仕留められ、動かなくなった兎。
それを見て、私は初めて“狩り”の怖さを知った。
初めての狩りで、私は涙が止まらなかった。
「自然の中で生きるとは、こういうことなんだ……」
父のその言葉は、小さかった私の心に重くのしかかった。
帰り道――
父が突然、足を止めた。
「しっ……」
音を立てるな。
そう言うように、父は私を庇いながら身を隠した。
子どもの私でも分かった。
(こ、怖い……)
ガサッ……
ガサガサッ……
ガサガサッ……ガサガサッ……
(……ごくっ……)
その時間は、永遠のように長く感じた。
やがて、気配が少しずつ遠ざかっていく。
ガサガサッ……
ガサッ……
……
(……ホッ)
どうやら、行ったらしい。
緊張していた。
父も同じだったのか、身体が微かに震えていた。
――魔王領の森の中で感じる気配。
(……あの時より緊張する……)
構えた弓が、微かに震えていた。
ダッダッダッ――
「ミーナちゃん! 大丈夫か?」
先頭にいたロックが、すぐに駆けつけてきた。
「あ、あっちに……気配がします。こ、これは……“殺気”です」
狩りの生活の中で、自然と感じ取れるようになったもの。
それが今、目の前の森の中から放たれていた。
「……魔王がいる」
ロックの表情が変わる。
「ここは俺が行く。ミーナちゃんは警戒を続けて! 他の魔王がいるかもしれないから……もし出会ったら、逃げる事!」
それだけ言い残し、ロックは森の中へと駆けていった。
(ロック様……)
その背中を見つめながら、ミーナは思い出していた。
幼い頃――
狩りの中で、自分を守ってくれていた父の背中を。




