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第百二十話 神セラ?

 ゼスは、しばらく黙ったままセラの顔を見つめていた。

「……なぜ、そこまで気にする?」

 静かな問い掛けだった。

 セラは少し戸惑いながらも、すぐに答える。

「ロックせんぱいの業務を引き継ぐ時、資料は全部見たっす」

 一歩、前へ出る。

「でも……『アリエス』って名前の召喚者は、一人もいなかったっす」

 ゼスは何も言わず、再び手元の書類へ視線を落とした。

 そこには、勇者アリエスに関する記録が綴られている。

「数百年分の資料だ」

 静かにページをめくる。

「お前の見落としか……あるいは、そもそも召喚者ではなかったのかもしれんな」

「そんなはずないっす!」

 セラは思わず声を荒らげた。

「せんぱいは言ってたっす! 『俺が召喚した』って!」

 勢いよくゼスへ歩み寄る。

「だから、その後もう一回、資料を全部調べ直したっす」

 真剣な眼差しで父を見つめる。

「そしたら……」

 一呼吸置く。

「ある年代だけ、不自然に資料が抜けてたっす」

 その言葉に――

 ピクリ……

 ゼスの指先が、わずかに震えた。

(……アリエスの召喚から、ロックの謹慎期間)

 偶然とは思えない空白。

 そして今、自分の手にあるこの資料こそが――

 その失われた空白を埋める、最後の一片だった。


 だが――

 ゼスの表情は、少しも変わらなかった。

「……それだけが、理由か?」

「……え?」

 セラは首を傾げる。

 問いの意味が分からなかった。

 ゼスは静かに娘を見つめる。

「お前は、なぜそこまでアリエスを知りたい?」

 部屋に静寂が落ちた。

「ここへ来た理由は……違ったはずだ」

「……あっ」

 その一言で、セラはハッとする。

(そうだった……)

 自分が社長室へ来た本当の理由。

 それは――

 ロックを封印から助ける方法を聞くためだった。

 なのに。

 『アリエス』という名前を耳にした瞬間から、頭の中はそのことだけでいっぱいになっていた。

「……分からないっす」

 セラは小さく俯く。

「前に、せんぱいから名前を聞いた時も……」

 胸へそっと手を当てる。

「妙に気になったっす……」

 自分でも説明できない感情だった。

(なんで……こんなに気になるんすか……?)

 ロックとアリエス。

 二人の関係を考えるだけで、胸の奥がざわつく。

(この気持ちは……)

 ゆっくりと、一つの答えが浮かび上がる。

(……嫉妬?)

 そう思った瞬間――

 ドクンッ。

 心臓が大きく跳ねた。

(私が……?)

 頬がわずかに熱を帯びる。

(せんぱいに……?)

 セラは、自分でも信じられないという表情のまま立ち尽くした。

 そんな娘を静かに見つめながら、ゼスは口を開く。

「その感情が何なのか……」

 一度言葉を切る。

「自分で答えを見つけた時――」

 穏やかな笑みを浮かべる。

「その時に、アリエスのことを教えてやろう」


 セラは何も言えず、俯いた。

 胸の奥で渦巻く、正体の分からない感情。

 それをどう言葉にすればいいのか、自分でも分からなかった。

 そんな娘を見つめながら、ゼスは静かに口を開く。

「……ロックを助ける鍵は」

 一呼吸置き、静かに告げる。

「あの暗殺者の娘だ」

「……え?」

 セラは勢いよく顔を上げた。

「セリーナ嬢が……っすか?」

 ゼスは小さく頷く。

「それと――」

 ゆっくりと言葉を続ける。

「アイツが下界へ落ちたきっかけ。そして、それから今までの行動を、もう一度確認してみろ」

「……きっかけ?」

 セラは首を傾げた。

 ロックが下界へ落ちた理由。

 そして、その後の行動。

 それが封印を解くことと、どう繋がるのか分からない。

 ゼスは静かに言う。

「そこに答えがある」

「ほ、本当っすか!?」

 セラの表情が一気に明るくなった。

 ここ数日、彼女が調べ続けていたのは何百年も前の資料ばかり。

 ロックが下界へ落ちてからの記録には、ほとんど目を通していなかった。

「儂がお前に嘘をつくわけないだろう?」

 ゼスは穏やかに微笑む。

 するとセラは、ぷくっと頬を膨らませた。

「パパは嘘ばっかりっす!!」

 バタンッ!!

 勢いよく扉を開け放つ。

「資料室、行ってくるっす!!」

 ダッダッダッダッ……

 元気よく廊下を駆け出していく。

 その足音が遠ざかるまで、ゼスは静かに娘の背中を見送っていた。

(……我ながら……娘に甘いな……)


 やがて、部屋に静寂が戻る。

「……さて」

 ゼスはゆっくりと視線を机へ落とした。

 パラ……

 パラパラ……

 古びた資料をめくっていく。

 そして――

 ある一ページで、その手が止まった。

 そこに記されていたのは、一枚の特別記録。

 ――神の禁忌行為の被害者、アリエス。

 ――当該魂を特別処置対象と認定。

 ――魂の救済を実施する。

 ――魂の定着まで約百年間、その保護をゼスへ委任する。

「……」

 ゼスは静かに目を閉じた。

 遠い昔の記憶が、ゆっくりと蘇っていく。

     ◇

 真っ白な空間。

 そこには、一つの淡い光だけが浮かんでいた。

 ふわり……

 ふわり……

 形を持たない、小さな魂。

 それがアリエスだった。

 禁忌によって命を奪われた代償は、あまりにも大きかった。

 魂は砕け、

 記憶も人格も失い、

 不安定なまま定着せず、魂のままゼスの元にいた。

「……さぞ、不便だろう」

 ゼスは、その光へ静かに語りかける。

 返事はない。

 それでも魂は、かすかに揺らめいた。

「お前は……」

 ゼスは優しく目を細める。

「アリエスという名に縛られている」

 魂は、失われた記憶を探すように何度も形を作ろうとした。

 少女の姿。

 長い髪。

 穏やかな笑顔。

 だが、そのどれもが途中で崩れ去る。

 記憶がない。

 思い出せない。

 だから、自分という存在すら保つことができない。

「長いこと辛かったろう……ならば……」

 ゼスは静かに手を差し伸べた。

「新しい名を授けよう」

 淡く揺れる光を見つめる。

 脳裏には、かつて勇者として笑っていた少女の姿が浮かんでいた。

(アリエス……)

 ゼスは静かに口を開く。

「お前の名は――」

     ◇

 パタン……

 ゼスは静かに資料を閉じる。

 長い、長い息を吐いた。

「ふぅ……」

 そして、セラが飛び出していった扉へ視線を向ける。

「……セラ」

 その小さな呟きには――

 父としての願いと、

 一人の神として託した想いが、静かに込められていた。

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