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第百十八話 神ロック(三)

 グググググ……

 天を覆う巨大な鉄槌が、なおもゆっくりと押し下がってくる。

 ミシ……ミシミシ……

 氷柱は悲鳴を上げるように軋み、一つ、また一つと砕け散っていった。

「みなさん!」

 アリエスが振り返り、力の限り叫ぶ。

「先にシェルターへ入ってください! 私は最後まで魔法で時間を稼ぎます!」

「アリエス!」

「早く!!」

 必死の声に、四人の勇者は苦しそうな表情で頷いた。

「……分かった!」

「必ず来い!」

 ダッ!!

 四人は一斉にシェルターへ向かって駆け出す。

 ズズズズズ……

 巨大な避難施設の扉へ飛び込み、そのまま中へ滑り込んだ。

「アリエス! 急げ!!」

 入口から身を乗り出し、仲間が叫ぶ。

「は、はい!」

 アリエスは笑顔を作って返事をする。

 だが――

 ググググゥ……

 鉄槌は、すでに頭上すれすれまで迫っていた。

 圧倒的な重圧。

 立っているだけでも精一杯だった。

「くっ……!」

 足が前へ出ない。

 氷柱を維持しながら、一歩、また一歩と身体を引きずる。

 ズリ……

 ズリ……

 ついには膝をつき、地面を這うようにシェルターを目指した。

     ◇

 ――シェルター内部。

「アリエス!」

「早く来い!」

 勇者たちは入口から必死に手を伸ばしていた。

 その時だった。

 一人の勇者の視線が、入口の横へ貼られた一枚の注意書きに止まる。

 そこには、大きな文字でこう書かれていた。

 ――扉は必ず閉めてください。

 ――開いたままでは、本来の強度は発揮できません。

 ――正しく使いましょう。

「…………」

 その文字を見た瞬間――

 誰もが言葉を失った。


 ググググゥ……

 巨大な鉄槌は、なおもゆっくりと降下を続ける。

 ミシッ……

 ミシッ……

「……お、おい」

 一人の勇者が震える声を漏らした。

「シェルターが……」

 全員の視線が天井へ向く。

 ミシ……

 巨大な避難施設の天井が、わずかに軋み始めていた。

「つ……潰される……?」

 誰かが青ざめた声で呟く。

 入口の向こうでは――

 アリエスが必死にこちらへ這ってきていた。

 ズリ……

 ズリ……

「ハァ……ハァ……」

 あと少し。

 あと少しで届く。

 だが――

 誰の目にも分かっていた。

 間に合うかどうか。

 その距離は、あまりにも微妙だった。

 ミシッ……

 ミシミシ……

 軋む音は、さらに大きくなる。

「おい!」

「どうする!?」

 誰も答えられない。

 アリエスを待てば――

 全員が死ぬかもしれない。

 だが、扉を閉めれば――

 アリエスだけが取り残される。

 重苦しい沈黙が流れた。

 そして――

「…………すまない」

 一人の勇者が、小さく呟く。

 震える手が、ゆっくりと扉へ伸びた。

「アリエス……」

 ギィ……

 重い音を立てながら、シェルターの扉が閉まり始める。

「あっ……」

 アリエスは小さく声を漏らした。

 必死に手を伸ばす。

 だが――

 あと少し、届かない。

 バタンッ――

 無情にも、シェルターの扉は閉ざされた。

 そして、その瞬間――

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!

 【神の鉄槌】が、大地ごと世界を押し潰した。


 ――……

 ――…………。

 どれほどの時間が流れただろうか。

 ギギギギ……

 重い音を響かせながら、シェルターの扉がゆっくりと開く。

 中から姿を現したのは、四人の勇者だった。

 誰一人、口を開かない。

 そして――

 そこに、アリエスの姿はなかった。

「……シェルター以外……何もない……」

 一人の勇者が震える声で呟く。

 その視線の先に広がっていた光景は――あまりにも凄惨だった。

 山は消えた。

 森も消えた。

 激戦が繰り広げられていた大地は、どこまでも平らな荒野へと変わり果てている。

「山や……森も……全部……」

 【神の鉄槌】は、大地そのものを押し潰していた。

 魔王軍も。

 勇者軍も。

 そこに存在していた命も。

 何一つ残っていない。

 世界を支配していたのは、ただ静寂だけだった。

「……帰ろう」

 一人が力なく呟く。

「もう……戦いなんて……」

 誰も反論しない。

 勇者たちは重い足取りのまま、街へ向かって歩き始めた。

 その時――

 ザッ……

 前方に、一人の男が立っていた。

「……!」

 四人の足が止まる。

 そこにいたのは――

 ロックだった。

 その表情には、何の感情も浮かんでいない。

「お前ら……」

 低く、感情を押し殺した声が響く。

「どこへ行く気だ?」

 一人の勇者が震えながら答える。

「ま……街に……」

「もう……戦いなんて……」

 その言葉は、最後まで続かなかった。


 ロックの鋭い視線が、四人の勇者を射抜く。

「お前ら……」

 ギリッ……

 握り締めた拳に力がこもる。

「誰を見殺しにしてまで、生き残ったんだよ……」

 勇者たちは俯いたまま、一歩も動けない。

 誰一人として、言い返すことはできなかった。

「助けられたはずだ……」

 ロックの拳へ、膨大な魔力が集まり始める。

 バリッ……

 バリバリバリッ……!!

「勇者なら……」

 空が唸る。

 大気が震える。

 神だけが扱える雷が、その拳へと収束していく。

「お前らは――」

 ロックの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。

「生きる価値ねぇよ!!」

「――《神の雷》!!」

 バリィィィィィィッ!!!!

 天を裂く神雷が、四人の勇者を飲み込む。

「ぐあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 轟音が世界を揺らした。

 そして――

 光が消えた時。

 そこには、誰一人として立っていなかった。

 勇者五人。

 その全員が、この戦いで命を落とした。

     ◇

 神が、自ら召喚した勇者へ手を下した。

 その罪は、あまりにも重かった。

 ロックへ下された処分は――

 百年以上に及ぶ謹慎。

 そして、大幅な降格。

 かつて勇者担当の神として将来を嘱望された男は、その日を境に全てを失う。

 エリート神・ロックは消えた。

 皮肉ばかりを口にする、今のロックが生まれたのは、この事件がきっかけだった。

     ◇

 やがて――

 事件の真相は明らかになる。

 魔王担当だった神・オルドーは、裏で莫大な金をばらまいていた。

 通信部には――

 《魔力障害》を意図的に発生させるための工作。

 そして監査部には――

 戦場への《直接介入》を見逃させるための口止め。

 全ては、ロックを失脚させるための計画だった。

 しかし――

 その不正を暴いた男がいた。

 ロックの上司でもあった、ゼスである。

 徹底した調査の末、オルドーの不正は白日の下へ晒された。

 その結果、オルドーにもまた厳しい処分が下されることとなる。

 だが――

 どれほど重い罰を受けようとも。

 どれほど真実が明らかになろうとも。

 アリエスは――

 もう二度と、戻ってはこなかった。

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