第百十七話 神ロック(ニ)
ある時――
勇者軍は魔王領のほとんどを制圧し、魔王軍を滅ぼすまで、あと一歩というところまで迫っていた。
「アリエスも、もうすぐ宝玉が十個集まるな。これで生き返れるぞ」
ロックが穏やかに言う。
「全ての魔王領を占領するまで、残りましょうか? ロック様」
アリエスは少し俯き、小さく微笑んだ。
その表情を見たロックは、心配させまいと優しく首を振る。
「いいんだよ。アリエスがいなくても勝てるさ……」
だが、その言葉に返ってきた反応は予想外だった。
「だって……戻っても、今より楽しいことは……」
現世へ戻ること。
それは彼女にとって希望ではなく、恐怖だった。
戻れば再び王位継承争いへ巻き込まれる。
そう思っていたからだ。
それでもロックは静かに笑う。
「……今のアリエスなら大丈夫だ」
一度言葉を区切り、真っ直ぐ彼女を見つめた。
「今度は現世の人生を精一杯生きるんだ。そして人生を全うしたら、俺がまた勇者に召喚してやるよ」
「その時は……私、おばあちゃんですよ……?」
「アリエスであることに変わりはないだろ?」
――本当は分かっていた。
人生を全うした魂は、勇者召喚の名簿には載らない。
神と人間。
生きる世界は違う。
その事実を、ロックだけは知っていた。
だからこその、小さな嘘だった。
「……それでは、MVSになれるよう、精一杯頑張ります」
「あぁ……」
そうしてロックは、アリエスを戦場へ送り出した。
◇
アリエスは、他の四人の勇者と共に魔王軍へ挑む。
戦況は勇者軍が圧倒的に優勢だった。
「このまま行けば、勝てるな……」
ロックは天界から戦場を見下ろし、小さく呟く。
これまでと同じ。
変わらない勝利。
そう信じていた。
しかし――
勝利まであと一歩という、その瞬間。
"それ"は起きた。
二人の神は遥か上空から、盤面のように広がる世界を見下ろしている。
対面に座るのは、魔王担当の神――オルドー。
「ふぅ……」
オルドーは静かにため息をつくと、席を立った。
ガチャ……
「……諦めたのか?」
ロックは不思議そうにその背中を見送る。
その直後――
バチッ!!
「な、なんだ?」
戦況を映していた画面が、一瞬で真っ暗になった。
――魔力障害。
現代で言うところの"電波障害"が発生したのだった。
その時――
戦場では、五人の勇者が集まる場所へ。
――【神の鉄槌】が振り下ろされた。
それは、魔王担当の神・オルドーによる戦場への直接介入。
本来なら、決して許されない禁忌だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……
天を覆い尽くす巨大な鉄槌が、逃げ場を塞ぐように降下してくる。
「っ……!」
勇者たちは顔を上げることしかできなかった。
その圧倒的な質量と威圧感。
押し潰される未来しか見えない。
その瞬間――
バチッ!!
魔力障害が収まり、再びモニターへ下界の映像が映し出された。
ロックは慌てて画面を覗き込む。
「……は?」
思考が止まる。
何が起きているのか理解できなかった。
ガチャ……
扉が開く。
オルドーが何事もなかったように部屋へ戻ってきた。
カッ……カッ……カッ……
足音だけが、不気味なほど静かに響く。
「どうした?」
オルドーはモニターへ目を向け、わざとらしく目を見開いた。
「魔力障害があったようだが……おぉ、これは大変ではないか」
白々しい芝居だった。
だが今のロックには、オルドーを問い詰めている余裕などない。
「クソッ……!」
ロックは叫ぶ。
「《シェルター》! 急げ!」
勇者たちを守る避難施設を召喚しようとする。
しかし――
神の設備といえど、即座には出現しない。
「間に合え……!」
◇
下界――
ゴゴゴゴゴ……
巨大な鉄槌は、なおも勇者たちへ迫っていた。
「《氷柱》!」
アリエスが杖を掲げる。
ズガァァァン!!
無数の氷柱が地面から突き出し、鉄槌を支えた。
「これで……少しは……!」
全身から魔力が噴き上がる。
グググググ……
しかし――
鉄槌は止まらない。
ミシ……ミシミシ……
氷柱を砕きながら、なおもゆっくりと押し下がってくる。
アリエスは新たな氷柱を生み出しながら、少しずつ鉄槌の外へ移動していく。
その時――
ズズズズズ……
戦場の一角へ、巨大なシェルターが姿を現した。
天界では、それを見たロックが通信魔法を繋ぐ。
ジジジッ……
「アリエス!!」
ロックの声が戦場へ響く。
「シェルターへ逃げ込め!! 急げ!!」
「……ロック様?」
一瞬驚いたアリエスだったが、すぐに頷く。
「わ、分かりました!」
仲間も通信を聞き、大きく叫ぶ。
「みんな! 急ぐぞ!!」
「おぉ!!」
四人は一斉に駆け出した。
だが――
アリエスだけは違った。
鉄槌を食い止めるため、魔法を維持しながら走らなければならない。
その分だけ、仲間より遅れてしまう。
「ハァ……ハァ……」
荒い呼吸。
「もう少し……!」
何とか五人はシェルターの目前まで辿り着く。
だが――
グググググ……
鉄槌は、さらに降下していた。
あまりの圧力に、立っていることすら困難になる。
自然と身体を屈めなければ耐えられないほど、鉄槌はすぐ頭上まで迫っていた。




