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第百十話 勇者と冒険者

 ファァァァ……

 《癒しの風》と聖魔法が重なり合い、三人の冒険者を優しく包み込む。

 モヤァ……

 モヤモヤ……

 吹き飛ばされたはずの黒い瘴気は、それでもなお、身体の奥底から滲み出てきていた。

「まだ……!」

 エリシアは杖を握る手に力を込める。

「――癒しの風!」

 ブワァァァッ!!

 再び、力強い風が森を駆け抜ける。

 だが――

 モヤァ……

 黒い霧は完全には消えない。

 少し浄化しては、また溢れ出す。

 まるで終わりの見えない戦いだった。

「くっ……」

 額から汗が滴る。

 ファァァ……

 聖魔法使いたちも、必死に魔法を維持し続けていた。

「ハァ……ハァ……」

「魔力が……」

 一人の聖魔法使いが膝をつく。

 地面には、空になった魔力回復薬の小瓶がいくつも転がっていた。

 コロッ……

 最後の一本も転がり、中身はもう残っていない。

 急いで駆け付けたため、十分な準備をする時間はなかったのだ。

「そんな……もう薬が……」

 焦りが、再びその場を支配し始める。

「このままじゃ……!」

 エリシアは唇を噛み締めた。

 その時だった。

「ハァ……ハァ……やっと……追い付いた……!」

 森の奥から、息を切らした二人の人影が姿を現す。

 ロックとノエルだった。

「ハァ……ハァ……エリシア……速すぎる……」

 ノエルは肩で息をしながら苦笑する。

 ロックは返事をすることなく、三人の冒険者へ視線を向けた。

 身体から溢れ続ける瘴気。

 疲弊し切った聖魔法使いたち。

 そして、地面に転がる空になった魔力回復薬の小瓶。

 その全てを静かに見渡し――

「……なるほど」

 小さく呟く。

「ロックさん!」

 エリシアが振り向く。

「何か……何か方法はない!?」

 その声には、隠し切れない焦りが滲んでいた。

 ロックは腕を組み、静かに考え込む。


 しばらくの沈黙が流れる。

 やがて、ロックは低い声で口を開いた。

「冒険者……俺は、お前たちのことなんて正直どうでもいい」

「……え?」

 その場の空気が凍り付く。

 ロックは表情一つ変えない。

「それは、神だった頃から変わらない」

 冷たく言い放つ。

「ロ、ロックさん……」

 ミーナが不安そうに、その横顔を見つめた。

「好きで冒険者になったんだろ?」

 ロックは拘束された三人を見下ろす。

「だったら、冒険の結果くらい自分で尻拭いしろ」

 その言葉には、苛立ちが滲んでいた。

「ロック!!」

 セリーナが勢いよく歩み寄る。

 ガシッ――!

 胸ぐらを掴み、鋭く睨み付けた。

「アンタ……!」

 ロックも視線を逸らさない。

「ましてや、お前たちのせいで、俺たちは領土を奪われ続けている」

 低く、重い声だった。

「俺なら……とっくに殺している」

 その目に迷いはない。

 神として世界を見続けてきた者の、本心だった。

「……ロック」

 ノエルは何も言わず、そのやり取りを見守る。

 再び、沈黙が流れる。

 やがてロックは、小さく息を吐いた。

「……だがな」

 ゆっくりと視線を巡らせる。

 その先にいたのは――

 エリシア。

 セリーナ。

 ミーナ。

 ノエル。

 命を懸けて三人を救おうとしてきた仲間たちだった。

 ロックは苦笑するように肩をすくめる。

「俺の大切な仲間が、命を懸けて守ろうとしたんだ」

 一拍置き、静かに言い切る。

「――今回だけは、助けてやる」


 ロックは静かにエリシアの隣へ歩み寄った。

「ロックさん……?」

 エリシアが振り向く。

 ロックは何も答えず、そっとエリシアの肩へ手を置いた。

 スッ――

「……え?」

 次の瞬間だった。

 ドクン――

 身体の奥から、今まで感じたことのない膨大な魔力が流れ込んでくる。

「こ、これは……!?」

 エリシアの瞳が大きく見開かれた。

 ロックの身体から溢れ出した魔力は、そのままエリシアへと注ぎ込まれていく。

 さらに――

 ファァァ……

 無数の光の糸が枝分かれするように広がった。

「えっ!?」

「私にも!?」

 九人の聖魔法使いたちの身体にも、次々と魔力が流れ込んでいく。

 疲れ切っていた身体へ、底知れぬ力が満ちていく。

「魔力が……戻ってる!」

「こんな量……あり得ない!」

 驚きの声が次々と上がった。

 ロックは静かに口を開く。

「神の魔力だ」

 その一言に、その場の誰もが息を呑んだ。

 ただ魔力が増えただけではない。

 魔力そのものの質が、これまでとはまるで別次元だった。

「エリシア」

「……うん!」

 エリシアは力強く頷き、杖を高く掲げる。

 溢れ出す神の魔力が、杖の先へと集束していく。

 ゴォォォォ……

 風が唸りを上げる。

 森全体が震え始めた。

「――癒しの風!」

 その瞬間――

 ブワァァァァァァァッ!!!!

 放たれた風は、もはや先ほどまでの魔法ではなかった。

 聖なる輝きを纏った神々しい風が、森全体を優しく包み込む。

 まるで――

 神そのものが吹かせた風。

「こ、これは……!」

 一人の聖魔法使いが思わず呟く。

「《癒しの神風》……」


 神風は三人の身体を優しく包み込み――

 モヤァァァァ!!

 溢れ続けていた黒い瘴気を、一瞬で吹き飛ばした。

 黒い霧は抵抗する間もなく空へ巻き上げられ、そのまま跡形もなく消え去っていく。

「今です!」

 ロックが叫ぶ。

「瘴気はまだ身体の奥に残っている!」

 その言葉に、九人の聖魔法使いたちが一斉に杖を掲げた。

「「「聖なる光よ!」」」

 ファァァァァァ……

 神の魔力を宿した聖魔法が、今度は三人の身体の内部へと直接染み渡っていく。

 皮膚ではない。

 筋肉でもない。

 さらに、その奥。

 体内深くに蓄積された瘴気の塊へ、聖なる光が真っ直ぐ届いた。

 ジュゥゥゥゥッ!!

 黒い塊が激しく焼かれ始める。

「グアァァァァッ!!」

 三人の身体が大きく跳ねた。

 そして――

 パァァァァァ……

 黒い塊は光の粒となり、静かに消えていった。

 その頃――

 暗闇に閉ざされていた世界からも、黒い霧が音もなく消え去っていく。

 サァァァ……

 闇は晴れ――

 視界いっぱいに光が広がった。

「……っ」

 男はゆっくりと目を開く。

 もう、黒い霧はどこにもない。

 青い空。

 仲間たちの姿。

 差し込む温かな光。

「……俺は……」

 震える声が漏れる。

「助かった……のか?」

「リーダー!!」

 剣士が涙を浮かべながら駆け寄る。

 男はゆっくりと顔を上げた。

 その隣では――

「……」

 短剣使いも。

 魔法使いも。

 二人を覆っていた黒い瘴気は、すべて消え去っていた。

 

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