第百九話 浄化の風
ファァァァ……
九人の聖魔法使いは、なおも祈るように杖を掲げ続けていた。
優しい光が三人の冒険者を包み込み、少しでも瘴気を浄化しようと力を注ぎ続ける。
しかし――
モヤァ……
三人の身体から、再び黒い霧がゆっくりと溢れ始めた。
「なっ……!?」
一人の聖魔法使いが息を呑む。
払ったはずの瘴気が、まるで底なし沼から湧き出るように、次々と身体を覆っていく。
「出力を上げます!」
「もう……とっくに全開だけど!!」
ファァァァァッ――
聖なる光は、さらに強く輝きを増す。
それでも――
ジュゥゥゥ……
黒い霧は光を押し返すように広がり続けた。
「そんな……効いてない……!?」
誰かが絶望混じりに呟く。
————
男の意識は、再び暗闇へ沈み始めていた。
「……っ」
先ほどまで見えていた光が、小さくなっていく。
モヤ……
モヤモヤ……
黒い霧が光を覆い隠し、その出口を閉ざそうとしていた。
(ダメだ……)
必死に手を伸ばす。
だが、届かない。
光は少しずつ遠ざかり、再び闇だけの世界へと変わっていく。
(やっぱり……)
仲間たちの顔が消えていく。
声も聞こえなくなる。
(もう……限界か……)
それでも黒い霧は容赦なく身体へ絡み付き、男の意識を闇の奥深くへと引きずり込んでいった。
「リーダー!」
外では、剣士が必死に呼び掛ける。
「しっかりしろ!」
しかし、男の瞳からは再び光が失われ始めていた。
その唇が、かすかに震える。
「……もう……」
掠れた声。
「……殺して……くれ……」
その言葉に、森は静まり返った。
「……え?」
誰もが耳を疑う。
男は苦しそうに息を吐きながら、もう一度だけ呟いた。
「お願いだ……もう……殺して……くれ……」
その隣では――
拘束された短剣使いと魔法使いも、苦しそうに身体を震わせている。
言葉にはならない。
それでも、その表情は同じ願いを訴えているようだった。
「そんなこと……」
剣士は拳を震わせる。
「そんなこと言うなよ……リーダー……」
返事はない。
ファァァァ……
聖魔法はなおも降り注ぐ。
それでも黒い霧は止まらない。
少しずつ。
少しずつ。
三人の身体を、再び闇が飲み込んでいく。
その光景を前に――
仲間を助けるため駆け付けた冒険者たちは、誰一人として言葉を発することができなかった。
森を包んでいたのは、勝利の安堵ではなかった。
誰もが、もう手遅れだと思った。
森を包む空気は重く、絶望だけが静かに広がっていく。
その時――
サァァァァ……
一陣の風が、森を吹き抜けた。
「……風?」
ミーナが顔を上げる。
次の瞬間――
『――癒しの風!』
遠くから、澄んだ少女の声が森へ響き渡った。
「……!」
その場にいた全員が、一斉に風上を振り向く。
木々の間を、一人の少女が全力で駆けて来る。
銀色の髪を風になびかせ、杖を高く掲げながら魔法を唱えていた。
「エリシア!」
セリーナが思わず声を上げる。
「エ、エリシアさん!」
ミーナの表情にも、希望の光が戻った。
その少し後方では――
「ハァ……ハァ……待てって……!」
「……エリシア……速い……」
ロックとノエルが、息を切らしながら必死に追い掛けていた。
しかし、エリシアは二人を待つことなく、そのまま駆け寄って来る。
「ハァ……ハァ……おまたせ……!」
肩で荒く息をしながらも、その足は止まらない。
呼吸を整える時間すら惜しい。
エリシアはすぐに杖を掲げた。
「――癒しの風!」
ブワァァァッ!!
優しく、それでいて力強い風が、森中へ吹き荒れる。
風は拘束された三人の身体を包み込み――
モヤァァ……
身体から溢れ続けていた黒い瘴気を、一気に吹き飛ばしていく。
「なっ!?」
聖魔法使いたちが目を見開く。
「瘴気が……押し返されてる!」
黒い霧は風に乗って空高く舞い上がり、少しずつ三人の身体から離れていった。
——男の意識は、再び闇へ沈もうとしていた。
(もう……)
光は見えない。
仲間たちの声も、遠ざかっていく。
(終わり……か……)
諦めが胸を支配した――その時だった。
サァァ……
(……風?)
頬を優しく撫でる感覚。
この闇の世界には存在しないはずの風だった。
そして――
ブワァァァッ!!
(うおっ……!?)
突如吹き荒れた強風が、黒い霧を一気に吹き飛ばす。
渦を巻く霧は押し流され――
閉ざされかけていた光が、再び男の目の前へ姿を現した。
(光……!)
消えかけていた希望が、闇の中で再び輝きを取り戻す。
「リーダー!」
仲間の声が聞こえる。
(まだ……希望は……ある?)
風は、なおも力強く吹き荒れていた。
その頃、外では――
「私たちも回復魔法を続けるよ!」
「分かった!」
聖魔法の使い手たちが、エリシアの魔法へ重ねるように回復魔法を発動する。
ファァァ……
幾重もの聖なる光が重なり合い、瘴気に侵された冒険者たちの身体を優しく包み込んだ。
黒ずんでいた肌が、少しずつ本来の色を取り戻していく。
「リーダー!」
「……助かる……のか?」
「助かるさ! だから……諦めるな!!」
エリシアの《癒しの風》と、聖魔法使いたちの回復魔法。
二つの力が重なり合い、三人を蝕む瘴気を少しずつ、しかし確実に浄化していった。
希望は、再び彼らのもとへ吹き始めていた。




