第百六話 防戦一方
ミーナは木々の間を駆け抜けていた。
タッタッタッ……
「ハッ……ハッ……ハッ……」
荒い息を整える暇もない。
セリーナの安否を確かめる余裕もない。
(大丈夫……だよね?)
不安を胸に押し込み、振り返ることなく距離を取る。
その背後では――
ユラ……
ユラ……
三つの黒い影が、確実に間合いを詰めていた。
先ほどの魔法で傷を負っているはずなのに、その足は止まらない。
「こ、こっちに……来た……!」
(でも……あの傷……早く拘束しなきゃ……)
相手を助けたい。
その思いは変わらない。
だが――今は、自分が追い詰められていた。
最後尾を歩く魔法使いが、ゆっくりと杖を掲げる。
ズズズズズ……
禍々しい魔力が、大気を震わせながら集束していく。
「ま、また……!」
ミーナは素早く弓を構えた。
ギリ……
狙うのは、魔法使いの杖。
(身体に当たったら……ごめん!)
ヒュンッ――!
鋭く放たれた矢が、一直線に飛ぶ。
しかし――
スッ。
矢の軌道へ、大きな影が滑り込んだ。
ガンッ!!
盾使いが大盾を構え、その一撃を受け止める。
「グルルル……」
まるで仲間を守るかのような動きだった。
(さっきは仲間を巻き込んでいたのに……今度は守るの!?)
予想外の行動に、ミーナの思考が一瞬止まる。
その隙を逃さず――
ドドドドドォォンッ!!
魔法使いの放った魔法が、一斉にミーナへ降り注いだ。
「きゃっ!」
ミーナは咄嗟に大木の陰へ飛び込んだ。
ドガァンッ!!
バキィィンッ!!
魔法が次々と大木へ直撃する。
幹が激しく揺れ、衝撃が森中へ響き渡った。
「うっ……まだ……!」
しかし、攻撃は止まらない。
ドドドドッ!!
ドガンッ!!
幹は少しずつ削られ、木屑が激しく舞い散る。
深く抉られた大木は、今にも倒れそうだった。
(このままじゃ……)
隠れ場所がなくなる。
ミーナは歯を食いしばる。
そして――
魔法が止んだ、その一瞬。
「……っ!」
ダッ!
大木が倒れる前に、その場から飛び退く。
その動きを待っていたかのように――
ザッ!!
短剣使いが一気に距離を詰めてきた。
「グルルッ!」
獲物を逃さぬ獣のような速度。
「は、速い……!」
ミーナは後退しながら弓を構える。
ギリ……
その時だった。
魔法によって削られた木々の隙間から、一筋の陽光が差し込む。
キラリ――
短剣使いの足元へ、一本の黒い影がくっきりと伸びていた。
伸びた影を見た瞬間、ミーナは狙いを変えた。
標的は――短剣使いではない。
その足元に伸びる影。
(今……!)
ヒュンッ――!
放たれた矢は、一直線に地面へと飛び――
短剣使いの影へ深々と突き刺さる。
「――影縫い」
カッ――
矢が淡い光を放った。
その瞬間――
「グルッ……!?」
短剣使いの動きが止まる。
足を動かそうとしても、一歩たりとも前へ進めない。
まるで影そのものが、大地へ縫い付けられたかのようだった。
「や、やった……!」
ミーナは小さく息を吐く。
しかし――
ジュゥゥ……
矢から、不気味な音が響いた。
「……え?」
矢を包み込む瘴気が、ゆっくりと木製の矢を侵食していく。
黒く染まり――
ひび割れ――
少しずつ崩れ始める。
「そ、そんな……!」
パキッ……
矢が真っ二つに折れた。
同時に――
「グルルルルッ!!」
短剣使いが拘束を振り切り、勢いよく地面を蹴る。
ザッ!!
目にも留まらぬ速さで、ミーナへ襲い掛かった。
ザッ――!!
短剣使いの姿が、一瞬でミーナの眼前へ迫る。
「……っ!」
反応するよりも速く――
キィンッ!!
鋭い刃が、ミーナの胴を薙ぎ払った。
「きゃあっ!」
ガッ――!
凄まじい衝撃で、身体が大きく吹き飛ばされる。
ゴロゴロゴロッ……
何度も地面を転がり、ようやく一本の大木の根元で止まった。
「うっ……」
胸を押さえながら、ゆっくりと顔を上げる。
(斬られ……た……?)
恐る恐る自分の身体へ視線を落とす。
だが――
「……あれ?」
服は裂けていた。
それでも、その下の肌には傷一つない。
代わりに、上着の内側から鈍い光を放つ鱗が覗いていた。
「た、助かった……」
ミーナは安堵の息を漏らす。
それは、自ら仕立て上げた鱗のジャケット。
素材となったのは――
魔獣キマイラとの戦いで手に入れた、大蛇の鱗だった。
刃すら弾き返す、強靭な防御力を誇る希少素材。
裁縫師であるミーナは、旅の中で手に入れた素材を少しずつ装備へ縫い込み、誰にも気付かれないよう改良を重ね続けてきた。
派手な武器は作れない。
強力な攻撃魔法も使えない。
だからこそ――
自分に出来ることを、一つずつ積み重ねてきた。
その努力が――
今、この瞬間。
ミーナの命を救った。
だが――
「グルルルルッ……」
短剣使いは止まらない。
一歩。
また一歩と、確実にミーナとの距離を詰めてくる。
さらに――
ズズズズズ……
後方では、魔法使いが再び杖を掲げていた。
空気が震え、禍々しい魔力が大気へと集束していく。
「また……!」
前方には盾使い。
目前には短剣使い。
そして後方には、広範囲を吹き飛ばす魔法使い。
三方向から逃げ道を塞がれていた。
ミーナは弓を握る手に、ぎゅっと力を込める。
(セリーナさん……)
返事はない。
土煙の向こうへ消えたまま、その姿は見えなかった。
一人。
たった一人で、三体の瘴気に侵された冒険者を相手にしなければならない。
弓を握る手が震える。
ズズズズズ……
魔法使いの魔力は、なおも膨れ上がり続けていた。




