第百三話 戦況
ノエルは再び街へと戻ってきた。
まず向かったのは――冒険者ギルド。
カランコロン……
扉を開けると、ギルド内は冒険者たちのざわめきに包まれていた。
その様子を気にすることなく、ノエルは真っ直ぐ受付へ歩いていく。
「食糧難……多分……解決……」
受付嬢は目を丸くした。
ノエルは王城で起きた出来事を静かに話し始める。
荒れ果てた農地。
大地の魔力が失われていた理由。
そして――
自然農学と魔法農学を組み合わせた、新しい農業の方法を農民たちへ伝えたことを。
「そうだったんですね……!」
受付嬢は胸を撫で下ろした。
「これで少しは希望が見えてきました……」
ノエルは小さく頷く。
そして、周囲を見渡した。
キョロキョロ……
探しているのは、あの剣士風の冒険者。
街へ戻ってきた本来の目的――
瘴気に侵された冒険者たちの救出についてだった。
「聖魔法……使い手は?」
受付嬢はすぐに答える。
「先ほど集まってくださいました」
「剣士さんが事情を説明して……」
ノエルは周囲のざわめきを見回す。
先ほどまで気になっていた空気の正体は、それだった。
「魔王領で起きたことが広まって……皆さん、かなり動揺しています」
確かに、先ほど訪れた時よりもギルド内の冒険者は少ない。
「集まった聖魔法の使い手の皆さんは、そのまま勇者軍との合流へ向かわれました」
「……そう」
ノエルは小さく息を吐いた。
胸にあった重荷が、少しだけ軽くなる。
自分が託した願いは、ちゃんと届いていた。
あとは――
仲間たちを信じるだけだった。
冒険者ギルドを後にしたノエルは、街を歩いていた。
そして――ある建物の前で足を止める。
カン、カン……
キィィィン……
カチャ、カチャ……
聞き慣れた金属音が、いつもと変わらぬリズムで響いている。
カランコロン……
ノエルが扉を開ける。
「ただいま……」
店の中では、カウンターにいたココが顔を上げた。
「あっ、ノエル! おかえり!」
「ロックは……?」
その問いに、ココは小さく首を横に振る。
「それが、まだ……」
「……そう……」
ノエルは窓の外へ視線を向けた。
ドワーフの里へ向かったロックとエリシアは、まだ戻ってきていない。
ノエルは静かに椅子へ腰を下ろした。
ロックとエリシア。
二人が帰ってくれば、再び勇者軍へ合流する。
戦いは、まだ終わっていない。
静まり返る工房。
その静寂を破るように――
ぐぅ~~……
「あは……お腹空いちゃった……」
ココが照れくさそうにお腹を押さえる。
どうやらロックたちの帰りが気になり、食事をするのも忘れていたらしい。
ノエルは静かに立ち上がった。
「何か……作ろうか?」
「え? いいの? お願い~!」
嬉しそうに笑うココは、そのままノエルを炊事場へ案内する。
ノエルは一瞬だけ扉へ視線を向けた。
(早く……帰ってきて……)
その想いを胸に――
ノエルは夕食の支度を始めながら、二人の帰りを静かに待ち続けた。
その頃――魔王領。
戦場――
荒れ果てた大地を見下ろす高台に、二つの人影が立っていた。
一人は、魔王ルディオン。
もう一人は、魔王イリヤ。
ルディオンは手の中で、小さな石を数個転がしていた。
コロッ……
その石は淡く光を放ち、まるで魔力を宿しているかのように輝いている。
「あ~あ……」
大きく欠伸をする。
「勇者軍の奴ら、戦わずに逃げてくだけじゃないか」
退屈そうに戦場を眺めながら肩を竦めた。
「つまんねーの」
その隣で、イリヤは苛立ったようにため息を吐く。
「そもそも、あんたは戦場向きじゃないんだから、黙って見てなさいよ」
視線は一度もルディオンへ向かない。
彼女は眼下に広がる戦場だけを見つめ、魔王軍へ次々と指示を送っていた。
前線では、勇者軍と魔王軍が激しくぶつかり合っている。
しかし――
「引けーっ!」
「撤退だ!」
勇者軍は戦い続けることなく、防戦から一気に撤退へと動きを変え始めた。
その理由は――
魔王軍最前線。
そこに、黒い影が三つ。
瘴気に侵された冒険者たちが、獣のような唸り声を上げながら勇者軍へ襲い掛かっていた。
「グルルルル……!」
剣を振るう影。
短剣を振り回す影。
魔法を放ち続ける影。
かつて冒険者だった面影を残しながらも、その瞳には理性は欠片も残っていなかった。
その様子を眺めながら、ルディオンが口を開く。
「あいつら……よく俺たちの味方になってるよな?」
イリヤは小さく首を横へ振った。
「味方じゃないわ」
そう言いながら、一枚の鏡を覗き込む。
「あれは見境なく襲うだけの"知能なき魔獣"と同じ」
「下手をすれば、私たちにだって襲い掛かってくるわよ」
「えっ……マジ?」
ルディオンは思わず一歩身を引く。
そんな反応に呆れたように、イリヤは説明を続けた。
「アルベルトが誘導してるから上手くいってるだけ」
「じゃなきゃ、毎回あいつらを戦場まで連れて来られるわけないでしょ」
黒い影たちは普段、魔王領を当てもなく彷徨っている。
生き物を見つければ襲い――
見失えば、また次の獲物を探して歩き続ける。
ただ、それだけの存在だった。
「私だったら……」
イリヤは鏡から目を離さないまま、小さく呟く。
「危険すぎるから、すぐ始末してるわね」
その言葉に、一切の迷いはなかった。
やがて――
「勇者軍、全軍撤退!」
戦場の向こうから号令が響く。
兵士たちは一斉に後退を始め、戦場から離れていった。
それを確認したイリヤは、静かに鏡を空へとかざす。
キラリ――
鏡が太陽の光を反射した。
その一筋の光が、最前線へと真っ直ぐ伸びていく。
すると――
「グルル……」
黒い影たちが一斉に動きを止めた。
そして、何かに導かれるように向きを変え――
フラフラと魔王領の奥深くへ姿を消していく。
戦場には、静寂だけが残っていた。




