五話:キルヒホッフの法則
そして二年A組の教室の前にたどり着き、教室の扉を開ける。
「おはようございます!」
このクラスに馴染むには、まず挨拶だ。
そう思って、扉を開けるなり声を張った。
すると、ザワザワしていた教室が一瞬静まり、教室にいるみんなの視線が一斉に自分に向くが……反応はなし……。
(無視された?)
まあ、とりあえず気にせず、自分の席を目指す。
すると、教室が再びザワザワしだした……。
「あ、挨拶してくれた!?どうしよ……なんて返事すればいいの!?ことね、分かる?」
「私には無理だよ〜、男の子と喋るなんて……ああ、緊張して……なんて反応したらよかったのか分からないよ〜」
「ここは学級委員長である私に任せなさい!」
「おお、さすがは委員長!」
「って言っても、一人は不安だから、君たちにも来てもらうよ〜」
「「ええ〜!」」
みんな小声で話しているため、何を話しているのかは聞き取れなかったが、悪口を言われているのだろうか。少し心配だ……。
「″僕は女子だ″」などの言霊は使っていないので、みんなの認識としては、僕は男子だけど、女子校に通うのは問題ないことになっている。
問題はない。
ただ――
女子しかいない教室に、男子が一人。
馴染めるかどうかは、別問題だ。
(言霊使ってもいいんだけど……)
言霊を使えば、みんなとすぐに仲良くなれるかもしれない。
だが、雪那という言霊が効かない存在がいることが判明した以上、あまり言霊に頼りきりになりたくない。
とは言っても、何もしなければこのクラスに馴染めず、変な空気になる。
それは避けたい。
挨拶は無視されたが、まだ嫌われてはいないはずだ。
このクラスに馴染めるように努力するか……。
とりあえず自分の席に座り、周囲を見渡す。
読書をしている人。
喋っている人。
窓を見ている人……って、あれ雪那じゃん。
神社で出会った時と雰囲気が違っていたから、一瞬気づかなかった。なんとなく話しかけにくい雰囲気だから、話しかけるのはやめておこう……。
「ねぇ!」
そんな感じで周囲を観察していると、僕の目の前に三人組の女子が現れた。
一人は、落ち着いた雰囲気の黒髪の少女。整った顔立ちに、どこか“まとめ役”の空気をまとっている。
二人目は、明るい笑顔の少女。
距離が近い。初対面とは思えないほどに。
三人目は、少し後ろで微笑んでいる少女。柔らかい雰囲気だけど、どこか観察するような目をしていた。
「え〜と……」
ああ、ヤバい。せっかく声をかけてくれたのに名前が思い出せない……。
「さっきはゴメンね……せっかく、教室に入った時に挨拶してくれたけど、反応できなくて……A組の子は内部進学生が多くて、今まで男子とあまり触れ合ってない子が多くて……男子の挨拶にどう反応すればいいのか分からなくて……あ、でも、みんないい子だから嫌いにはならないでほしいなぁ〜。それでね、」
「委員長!」
「何?」
「話、長いよ〜。朝倉くん困った顔してるよ〜」
名前が分からなくて困ってたから、別に話が長くて困ってたわけではないんだけど……。
「ゴメンね……まずは自己紹介からだったよね……私は久遠 玲奈だよ!一応、学級委員長やってるから、困ったことがあれば私に相談してね!」
「次は私かな?私の名前は日向坂あかりだよ。これからよろしくね!」
「私の名前は、白石ことねだよ〜よろしく〜」
なるほど、久遠さんに日向坂さん、白石さんだね。覚えた。もう大丈夫。僕も自己紹介しないと……。
「あ、僕の名前は朝倉 透だよ。これからよろしく!」
「うん。それでね、なんでこんな時期に転校してきたの?」
「委員長?」
「それいきなり聞く〜?」
「あ、ごめん。言いたくないならいいんだけど……二年のこの時期に転校してくるのは珍しいでしょ?だから気になって……」
「僕がこの時期に転校してきたのは、これまでずっと入院していて、今まで小学校や中学校には通えなかったんだ。勉強は病院で続けていたけど、高校からいきなり一人で通うのはやっぱり不安で……だから、陽菜……妹と同じ学院に通うことになったんだ……」
「ああ、そうなんだぁ〜。そんな理由だったとは……」
「委員長……」
「ほら、なんか微妙な空気になったじゃん!」
「別に僕が入院してたのは重い病気とかじゃないから、気にしなくてもいいよ。あと、もう病気に関しては完治してるから心配しなくても大丈夫だよ……」
「そうなんだ……それよりさぁ〜、なんか好きな食べ物とかある?」
「委員長ぉ〜」
「話題変換が露骨〜」
「だって仕方ないじゃん……気になって聞いたら、結構重い理由だったんだも〜ん……」
三人が小声で喋っているが聞き取れない。何か相談でもしているのだろうか……まあいいか。え〜と、好きな食べ物の話だったね。
「好きな食べ物は、お米かなぁ〜」
まだこの街に来てそんなに日が経っていないから、この街の食べ物とか詳しくないけど、朝倉家ではお米は普通に食べていたから変に思われないはず……。
「うんうん、やっぱり日本人はお米だよねぇ〜。私も朝はパンよりご飯派かなぁ〜。私も小さい頃は……」
「委員長〜初対面で自分語りは嫌われちゃうよ〜」
「ああ、ごめんごめん。そろそろ朝のホームルームの時間だね!分からないことがあれば何でも聞いてね〜。じゃあ、また!」
「バイバイ!」
「またね〜!」
そう言って三人は自分の席に戻っていった。
そして早乙女先生が教室にやって来て、今日の連絡事項を話す。特に大した内容はなかった。
「一時間目の授業は、文系は英語総合で、理系は物理だったかな?え〜と透くんは文理どちらの授業を受けるか決まってる?」
ぼーっと話を聞いていると、最後に自分に振られた。
文系と理系?よく分からないが、英語は村にいた時に本で勉強したけどよく分からなかったから、英語じゃない方にしよう。
「僕は理系の授業を受けたいと思っています」
「うん。わかった。じゃあ物理の先生にもそう連絡しとくからね。え〜と確か物理はこの教室で授業だったから、移動はしなくても大丈夫だよ〜!分からないことがあれば……確か九条さんって理系だったよね」
「……はい」
すると、先ほど教室を見渡していた時に本を読んでいた少女が返事をする。
「じゃあ透くん。分からないことがあれば席も近いし、九条 朱音さんに聞いてね。九条さんもそれで大丈夫?」
「……はい」
そうして朝のホームルームも終わり、先ほど話していた三人組がやって来る。
「ゴメンね透くん。私たち三人とも文系だからさぁ〜理数系はあんまり得意じゃないんだよね〜。でも九条さんは模試で全国一桁順位取るような人だから、分からないことがあれば聞いたら答えてくれると思うよ。理数系以外だったら教えられるし……私、こう見えて英検準一級持ってるんだよ〜すごいでしょ?」
「委員長〜自慢ウザイ!あと、九条さんは英検、数検、漢検全部一級だから!」
「いやあの人は別格でしょ〜。私は高二で英検準一級は普通にすごいと思うよ〜。自慢はウザイけど〜」
「みんな辛辣〜。じゃあ私たちは移動教室だから。またね〜」
そして、みんなが移動していき、しばらくすると授業開始のチャイムが鳴った。
チャイムが鳴り終わると同時に、中年の白衣を着た男性が教室に入ってきた。女子校だけど、先生は男性もいるらしい。
号令をすると、授業のプリントを配り、配り終えると教壇に立ち、チョークを取り、黒板に迷いなく文字を書き始める。
プリントには理解不能な内容が書かれているが、この内容が授業が終わる頃には理解できていると考えるとワクワクしてきた。
そして先生が黒板を書き終え、話を始める。
「今日は回路解析の基本、キルヒホッフの法則をやる。二つあって、第一法則は電流則、第二法則は電圧則だ。まず電流則から説明する。電流というのは電荷の流れで、当然ながら途中で突然増えたり減ったりはしない。だから回路の分岐点、いわゆるノードにおいては、流れ込む電流の総和と流れ出る電流の総和が必ず等しくなる。例えば三本の導線が一点でつながっている場合、I₁とI₂が流れ込んで、I₃が流れ出るなら、式で書けば I₁+I₂=I₃ になる。一般化すれば、ノードにおける電流の代数和はゼロ、つまり ΣI=0 という形で表せる。これは電荷保存則から直接導かれる非常に基本的な関係式だ。次に第二法則、電圧則だが、これは閉じた回路――つまり一周できるループを考えたとき、そのループに沿って電位差を足し合わせると必ずゼロになるという法則だ。電池などの電源で電圧が上がり、抵抗などの素子で電圧が下がるが、回路を一周して元の位置に戻れば電位は同じだから、結局プラスとマイナスが打ち消し合って総和はゼロになる。たとえば電源電圧をV、抵抗をR₁、R₂、R₃としてそれぞれに電流Iが流れる単純な直列回路なら、V−IR₁−IR₂−IR₃=0 という式になる。これを少し複雑な回路に拡張すれば、複数のループごとに電圧則の式を立てて、さらに各ノードで電流則を立てることで、未知の電流を連立方程式として求められる。実際の回路解析ではこの二つを組み合わせて解くのが基本で、メッシュ法やノード電位法の基礎にもなる。特進クラスなら中学レベルのオームの法則は当然理解している前提で話しているから、その延長だと思えばいい。要するに、電流はノードで保存され、電圧はループで保存される。この二つさえ押さえれば、どんな回路でも理論的には解ける。以上だ。では、この回路で各枝の電流を求めてみよう」
先生はそう言って黒板に新しい回路図を描き始めた。
僕はプリントを眺め、そしてしばらく黒板を眺める。そんな感じで交互に見て理解する。
……。
全くわからないということに……。
ヤバい。なんだ、日本語が全く理解できない。間違えて英語の講座に来てしまったのか?
周りを見ると、みんな理解しているのかプリントに書かれた練習問題を解いている。
これはまずいことになったかもしれない……。
いや、冷静に考えれば物理という教科は今まで勉強したことがなかったから、ついていけないのも当たり前だ。帰って一から勉強すれば、この内容も簡単なのかもしれない。
紗夜姉も、高校物理や高校数学は簡単だと言っていたし……数学なら、村の本で勉強したし理解できるでしょ……できるよね?
そんなことを考えていたら、みんな練習問題を解き終わっている様子だった……。
そしてその様子を見て、先生が言った。
「みんなだいたい解けたかな?じゃあ、近くの人と答えが合っているか確認して」
ヤバい。全然解けてない。プリントは真っ白だ。
「……朝倉くん、解けた?」
近くの席に座っていた九条さんが聞いてきた。
言霊を使うか?いや、こんなことで使っていたらダメだ。ここは正直に言おう。
「いや、全く解けてない」
そう言って、真っ白なプリントを見せる。
「……そう」
ヤバい。失望されたか?きっと内心では、ぷぷぷこんな問題も解けないなんて……なんのためにこの学院に来たのかしら?みたいなことを思っているに違いない。
ここはもう言霊を使うしか――
「まあ、解けないかもって思ってたけど……」
「え?」
最初から期待されてなかった?
「あ、ごめん。言い方が悪かった。朝、久遠さんたちと話してたでしょ?それで、前まで入院してたって話を聞いて……ちゃんと授業についていけるのかなって心配してただけだから……」
ああ、そういうことか……朝、興味なさそうにしてたけど、ちゃんと心配してくれてたんだ……案外優しいんだな……。
そんなことを考えていたら、思わず口に出ていた。
「案外優しいんだな……」
「……いや、このくらい普通でしょ」
「いや、普通じゃないと思うよ……」
「……そう。それより、ぶっちゃけ物理ってどこまで理解しているの?」
「ごめん。正直に言うと、全く理解してない。先生の話も全く頭に入ってこなかったし……」
「……入院してたんでしょ?それに、小中も行けてないって話だったし……仕方ないと思うよ。最近はネットで調べたら物理の授業動画とかたくさん出てくるから……おすすめは〇〇って人の動画で、わかりやすいからおすすめ」
「うん。いろいろ教えてくれてありがとう。また帰ったら調べてみる」
「……人と人は助け合うもの。だから当たり前」
「当たり前ではないでしょ?たぶん……」
「……そう?でも、私にとっては当たり前だから。それより、もうそろそろ話し合いの時間が終わるから、前を向かないと……」
「そうだね……改めていろいろ教えてくれてありがとうね」
「……うん」
そんな感じで、物理の授業は進んでいった。物理の内容は全く分からなかったけど、九条さんとはちょっとだけ仲良くなれた気がするから良かったかな。
次は数学の授業だ。
物理は初見だから仕方ない。
でも数学なら、きっといける。
……たぶん。
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