84.不在手順
王都から届いた通達には、今回の防衛戦を「北方大規模スタンピード防衛戦」と記してあった。
主砦防衛線の維持。民間被害なし。損耗は、十年前の通常規模の波を下回る。
リュシアは、その数字を誇張とは判断しなかった。
八十年前の記録に並ぶ規模の波を、砦は受け止めた。壁は鳴ったが、折れなかった。
それは事実だった。
ただし、砦の中はまだ片付いていなかった。
五月に入ってしばらく経ったある日、警戒任務の班内確認が終わったあと、第三中隊隊長ギデオン・マークス少佐から呼ばれた。中にはハワードもいた。
「フォルティス中尉。司令部から通達だ」
「はい」
ギデオンは一枚の紙を差し出した。王太子府と北方方面軍司令部の印がある。リュシアは受け取って読んだ。
北方大規模スタンピード防衛戦における功労者表彰式。
王都にて開催。
出席対象者、北方方面軍より数名。
リュシア・フォルティス中尉、出席命令。
文面は硬かった。
北方大規模スタンピード防衛戦における北方方面軍の防衛成功は、王国防衛史上において特筆すべき成果である。限られた損耗にて主砦防衛線を維持し、民間被害を未然に防いだ功績を称える。
リュシアは読み終えた。
「了解しました」
「出発は六月七日。戻りは十三日予定だ」
「七日間、不在になります」
「そうだ」
ハワードが話を引き継いだ。
「冬季暫定表を一部修正する。不在中の区画外確認枠は外す。他の引き継ぎ内容は追って連絡する」
リュシアは顔を上げた。
「先日の東区画哨戒線の件は、継続確認が必要です」
「分かっている。お前がいない間は、平常線運用に戻す。確認が割れた場合は、東区画内で処理する。お前に飛ばすなと通知する」
「はい。その場合、フォスター軍曹の枠は」
「空く」
答えは短かった。
「ハワード大尉」
「何だ」
「私の不在中、機動火力の即応範囲は狭くなります」
「分かっている」
「表彰式への出席は、現場運用上は不利です」
「分かっている」
ギデオンが低い声で割って入る。
「だが行け。中隊都合で断れる話ではない」
「了解しました」
命令ならば従う。
リュシアはそう処理した。
その日の午後、ノア・エヴァレット少尉に戦略情報室に呼ばれた。
部屋の奥ではオスカー・リンド大尉が書類に目を通していた。リュシアに気づくと短く一礼する。机の上には、リュシア不在期間の問い合わせ先一覧と、各区画への通達案が置かれていた。
「フォルティス中尉。表彰式で不在中の導線確認です」
「はい」
ノアが紙を一枚渡す。
「不在中、フォルティス中尉への区画外確認は停止します。東区画、西区画、遊撃隊、工兵班への通知文を作っています」
リュシアは紙面を見た。
フォルティス中尉不在期間中、同中尉の索敵補助を前提とする暫定運用は停止。各区画は平常線および既定撤退基準に基づき処理すること。
「妥当です」
「ありがとうございます」
ノアが控えに印を入れる。
リュシアは、もう一枚の紙に目を移した。
「戦略情報室の代表者は、どなたが出席するのですか」
ノアは一拍置いてから答えた。
「室長が書面で名を出します。戦略情報室の実務中核は北方に残ります」
「ハーウッド中尉もですか」
「はい。今、抜けられる状態ではありません」
「了解しました」
最も戦果に寄与した部署が、式典には出ない。だが、オペ室が空けば砦が困る。それも事実だった。
戦略情報室を出る前、続きの部屋からエリアスの声がした。
ミーティング中のようで、こちらを見てはいない。別の紙を読み、別の指示を出している。普段通りだった。
夕方、王太子府からの文書が届いた。
差出は軍務連絡局。末尾に、ヴァレリオ・カラディン大尉の名があった。
到着後の控室。式典中の立ち位置。祝賀会での移動導線。王太子妃から退出の声がかかる予定であること。不審な接触や、返答に迷う相手については、軍務連絡局へ回すこと。
最後に、一文があった。
不明な点は迷う前に連絡すること。
リュシアはその文を読み返した。
その紙を内ポケットにしまい、ケンプ監督官の事務室へ向かった。
ケンプは出張期間の勤務扱いと休養扱いを確認していた。
「王都滞在中は、式典出席および移動を勤務扱いで記録します。北方での区画外確認は入りません」
「はい」
「少なくとも、この期間は」
ケンプはそこで一度だけ紙から目を上げた。
「休養ではありませんが、北方の呼び出しは止まります」
「そうですね」
リュシアは頷いた。ケンプはまた紙面へ視線を落とした。
「戻られた後の予定は、改めて確認します」
「お願いします」
事務室を出ると、外の空気は冷たかった。だが刺す冷たさではない。霧も薄い。北壁の向こうは遠くまで見えた。
冬は終わっている。
リュシアはそう判断した。
翌日、ハワードから引き継ぎ事項について呼ばれた。
「お前の不在期間に動かす項目だ」
渡された紙には 東区画補助索敵の代替を含む十二の項目があった。
「お前が動いている範囲は、想像より広いな」
「申し訳ありません」
「お前が悪いんじゃない。一つひとつは妥当な役割だ。だが、七日抜けると見ると、量がはっきり見える」
リュシアは頷いた。返す言葉はなかった。
ハワードは少し間を置いた。
「お前の表彰は、お前一人の話じゃない。王都の都合がある」
「理解しています」
ハワードは口を開きかけて、紙の上のペンを動かす方を選んだ。
「分かった上で、行ってこい」
「了解しました」
ハワードはペンを置いた。
「明日、運用変更の周知を出す。各員には朝会で伝える」
「私の側で準備すべきことは」
「日報の代行記録は、エドガーに頼んでおく。お前は出張前に班員と最後の確認だけやってくれ」
「はい」
リュシアは項目一覧を持って班長室を出た。
廊下を進む。手元の紙の重みは、紙の重みだった。
王都へ向かう馬車が出る朝、砦の門前で、リュシアは一度だけ振り返った。
壁は残っている。
砦は回っている。
馬車に乗った。




