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82.順調

 長い冬が終わった、と砦の中ではポツポツと聞こえるようになった。

 四月。第三中隊の魔法騎士班が訓練場に集合した。

 班長以下七名。グレン・フォスターの席は空いたままだった。

 班内確認で、ハワード・ベイル大尉はいつも通り短く説明した。


「フォスター軍曹は復帰未定。機動火力の割り振りは、冬季暫定表を継続する」


 卓の上に置かれた割り振り表には、いくつかの線が引かれていた。グレンの名があった場所は空欄になり、その周辺に別の名が入っている。


 リュシアの名も、二か所にあった。


「冬季暫定表を継続ですか」


 ベン・ハドソン曹長が表を見たまま言った。


「上からはそう来ている」


 ハワードの声は平板だった。


「補充はありませんか」


 エドガー・ミルズ中尉が確認する。


「現時点ではない。十月人事で再確認だそうだ」


 短い沈黙が落ちた。


 十月。


 それは、少なくとも半年はこのままという意味だった。


 イアン・メルロー准尉が、少しだけ肩をすくめる。


「半年も暫定なら、だいぶ本採用に近いですね」


 ハワードは表を閉じた。


「不満は上げている。だが数字では回っている。今はそれ以上の返答はない」


 リュシアは頷いた。

 グレンがいない分、機動火力の即応範囲は狭くなっている。その穴を補うために、リュシアが索敵と初期判断の補助として、一部の区画外確認に入っている

 反応を拾えば火力を出す前に配置を変えられる。結果として、必要な魔力も負傷者も減っていた。

 その継続には合理性がある。


 午後、管理棟の事務室にケンプから呼ばれた。


「フォルティス中尉。新年度の運用確認について、書類の整備をしておきたく」


「はい」


 ケンプは机の上に書類を一冊置いた。表紙に『フォルティス中尉 勤務時間記録(二年目通年)』と記されていた。


「昨年の休養消化率は、規定を大幅に下回っています」


「はい」


「本年度の休養予定は、通常運用に戻る見込みですか」


 リュシアは少し考えた。大波は終わった。本年度は通常運用に戻る。形式上は。


「業務の状況を見て調整します。本年度は通常年の見込みです」


「了解しました」


 ケンプは書類を閉じた。表紙の下に、新年度用の白紙の書類があるのが見えた。


「今期も、消化率は記録します」


「お願いします」


 ケンプは頷いた。何かを書類に書き留めるのを、リュシアは見た。内容は見えなかった。


 夕方、東区画の哨戒手順について、運用確認で戦略情報室に呼ばれた。


 以前なら、エリアス・ハーウッド中尉の確認待ちになる項目がいくつかあった。だが、その日は違った。


 レナード・ファルク准尉が、机の上に分類済みの回答を並べていた。ミラ・コルベール伍長が前週分の反応表を開き、ノア・エヴァレット少尉が配布用の紙をまとめている。


「フォルティス中尉、東壁の反応閾値については、こちらで暫定回答を作っています」


 レナードが紙を差し出した。


「ハーウッド中尉の確認は」


「今回は不要です。基準値の範囲内なので、室内で処理しました」


「了解しました」


 リュシアは紙を受け取って内容を見た。


 回答は短い。だが、必要な条件は揃っている。数値、例外、再確認の条件。どこまでが前線判断で、どこからがオペ室確認かも書かれていた。

 以前よりかなり見やすくなっている。


「分かりやすいです」


 ミラが少しだけ顔を上げた。


「良かったです。読みにくいと言われたら、三時間が無駄になるところでした」


「読みやすいです」


「ならこれでいきます」


 リュシアは周囲を見た。


 エリアスは奥の机にいた。以前のように全ての紙を抱え込んでいるわけではない。机上の書類は多いが、束ごとに分けられ、人が出入りしても動きが止まらない。


 目の下の影も、冬より薄い。


 顔色が良い、とまでは言えない。だが、冬の終わりに見た、頬の肉が落ち、声だけが仕事を続けているような状態ではなかった。


 エリアスが顔を上げた。


「フォルティス中尉。通常勤務に戻っていますね」


「はい」


「今年度もよろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 それだけだった。


 会話は短く、何も特別なことは起きなかった。


 けれど、リュシアは昨年のミラの話を思い出していた。

 ハーウッド中尉だけはオペ室に詰めて四時間睡眠で働いていた、と言っていた。

 冗長性のなさは制度として致命的だ。

 ハーウッド中尉抜きで運用が回り始めているなら喜ばしいことだった。


 定例確認が終わり、リュシアが書類をまとめていた時、ノアが声をかけた。


「フォルティス中尉。東区画の哨戒表について確認してもよろしいですか」


「はい」


 別室に移るほどのことではなかった。通路脇の小卓に哨戒表を広げ、ノアが指で一点を示す。


「東区画の第三哨戒線です。昨年冬は、フォルティス中尉の索敵補助を前提に少し外へ張り出していました。今年度は平常線へ戻す予定でしたが、東の反応がまだ散っています」


「はい」


「張り出しを残すべきか、平常線へ戻すべきか。現場感覚を確認したいという話です」


 リュシアは表を見た。


 第三哨戒線。冬季は確かに外へ出ている。リュシアが補助に入れば、死角が減る。だが、補助なしで同じ線を維持するには、見えない時間が長い。


「平常線へ戻すべきです」


 ノアが筆を止めた。


「理由を」


「私が補助に入る前提なら、張り出しは成立します。ですが、補助なしでは撤退判断が遅れます」


「分かりました。平常線へ戻す案で上げます」


「はい」


 確認は本当に五分で終わった。


 リュシアは書類を返し、戦略情報室を出た。





 四月の第三週、休養日の午前。

 部屋で前年度の戦闘記録の整理をしていた時、リンクが入った。レナードだった。


「フォルティス中尉、休養日に申し訳ありません。先日お話しした東区画の哨戒運用の件で、一点だけ確認させてください」


「どうぞ」


 短い相談だった。哨戒範囲の境界部について、リュシアの索敵で拾える距離と、隣接区画の壁上観測で拾える距離の重複部分の処理。リュシアは答えた。十分で済んだ。


「ありがとうございます。お休みのところ、申し訳ありませんでした」


「いえ」


 リンクが切れた。

 リュシアは戦闘記録の整理に戻った。前年度の二月、遊撃で出撃した日の記録を確認する。日付、時刻、出撃人員、戦果、損耗。コリン・ブレナーの名前は、損耗欄にあった。

確認済みの印を入れ、リュシアは次の紙へ移った。

 リュシアは書類を閉じた。


 その日の夜、日記を書いた。

 四月一日から三週間分の記録を、まとめて書いた。

 新年度開始後三週間、業務通常推移。

 戦略情報室運用、自走化進捗。

 第三中隊魔法騎士班、班員に変更なし。

 機動火力補充は保留。

 休養日、東区画哨戒運用について十分確認。


 書類仕事はあと一時間ある予定だった。


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