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76.十分

 第二波は、核を潰しても痩せなかった。


 前半で削ったはずの北北東の厚みは、壁上へ戻ってみるとまだ残っていた。小型の群れが面で押し、中型がその後ろで重なっている。大型も散っていた。第一波のように、どこか一箇所を削れば鈍るという形ではない。厚みそのものが異常だった。


 リュシアは中央壁区の右寄りで、索敵と迎撃を交互に繰り返していた。壁に届く前で薄くし、届いた分を落とし、また外を読む。魔力は残っている。だが、押し返しても押し返しても、次が来た。


 リンクの向こうで、エリアスの声が切れない。


「中央右、迎撃優先。東二区画、予備一小隊を前へ」


 ハワードが一度だけ顔を上げた。


「波の最中に遊撃を出しますか」


「壁で受け切れません。北西を削ります」


「……了解」


 エリアスは続ける。


「西遊撃二班、北西の小波を引きつけてください。持たせるのは十分」


「フォルティス中尉、中央維持でお願いします。西は見なくていい」


 西は見なくていい。


 その言い方で、逆に西が危ないのだと分かった。見せないことで切る判断だった。


 壁の下で中型が一体、石壁へ取り付いた。リュシアは索敵を切って撃つ。落ちる。戻る。次の群れがもう見えている。隣でハワードが低く言った。


「右、もう一段厚くなる」


「はい」


「フォルティス中尉は中央から動かさない」


 誰に言うでもない声だった。自分にも言い聞かせているように聞こえた。


 リンクの向こうで、西遊撃二班の報告が入る。


「西二班、ブレナー。接触。小型多数。予定線まで引きつけます」


 コリンの声は、まだ落ち着いていた。壁の近くで聞くのとは少し違う、息の混じった声だった。


「了解。十分持たせてください。中央がまだ開きません」


 エリアスの返答も変わらない。


 十分。


 今はその十分が、壁のこちら側に必要だった。


 リュシアは一度だけ西へ索敵を振りたくなった。だが中央の群れが厚くなり、リンクの向こうで短く指示が飛ぶ。


「フォルティス中尉、中央右、中型二。迎撃優先」


「了解」


 撃つ。戻る。撃つ。戻る。


 西二班からの報告は、その後しばらく断片になった。


「予定線維持」


「損耗一」


「まだ持ちます」


「北側、反応増」


 それでもコリンの声は崩れなかった。遊撃隊士としての声だった。


 午後に入る頃には、壁上の空気が明らかに変わっていた。第一波の時よりも、誰も余計なことを言わない。担架の往復が増え、補充兵が前へ走る。壁の上はまだ持っている。だが、持っているだけで精一杯だった。


 リュシアは索敵を広げる。西の奥で、小型群の後ろに別の塊が見えた。薄いが、幅がある。


「西寄り、推定千四百。反応増。小型多数。中型を含みます」


 報告した瞬間、リンクの向こうで数秒の沈黙があった。


 その数秒で、エリアスは切ったのだと分かった。


「西二班、予定線を維持してください。あと八分」


 短い。説明はない。


 だが、あと八分持たせる任務が、どれだけ危ないかは分かった。西二班にいるコリンも、ダンカンも、分かっているはずだった。


 返事はすぐには来なかった。


 それから少し遅れて、コリンの声が入る。


「了解。八分持たせます」


 淡々としていた。


 リュシアは中央を読む。壁を持たせる方が先だった。そうでなければ意味がない。そう分かっているのに、西の反応が頭の端に残る。小型の厚みが増え、中型が前へ寄ってくる。帰投路は細るはずだった。


 壁上では時間の感覚がずれた。実際には数分だったのだろうが、ずっと長く感じた。


「西二班、接敵」


「北側からも来る」


「まだ通せます」


「……いや、待て」


 最後の一言はコリンではなかった。誰の声か分からないまま、雑音が混じる。


 エリアスが即座に切り返す。


「帰投路βを捨ててγへ。壁沿いに戻ってください。西一班、迎えに出ます」


「了解」


 コリンの声だった。だが、その一言の後で通信が途切れた。


 雑音だけが残る。


 リュシアは索敵を西へ振ろうとした。だが次の瞬間、中央右で大型寄りの中型が壁へ向きを変える。


「フォルティス中尉、こっちです」


 ハワードの声だった。


「はい」


 中央を持たせる。今ここで壁が割れたら、西に出した遊撃も意味を失う。そういう順番だった。


 リュシアは撃った。二射。片方が落ちる。もう一体をエドガーが叩く。戻る。外を読む。中央の厚みはまだ減らない。


 西二班からの声は、その後しばらく戻らなかった。


 第二波がようやく緩んだのは、日が傾き始めてからだった。小型の面が散り、中型の反応が薄くなる。壁に届く数が減り、ようやく押し返したと言えるところまで来た。


 索敵終了の声が入った時、リュシアは自分の手が冷えているのに気づいた。魔力はまだある。足も動く。だが、肩が重かった。


 壁を下りる。


 西の外門近くには、戻った遊撃隊が集められていた。泥と血で色の変わった外套が並ぶ。人数を数える前に、欠けているのが分かった。


 ダンカン・ロウがギデオンへ報告している。声は低く、短かった。全部は聞こえない。


 ただ、一つだけはっきり届いた。


「ブレナー准尉、帰還せず」


 それだけだった。


 ギデオンは一度だけ目を閉じた。


「了解」


 了解で済むことではなかった。だが、まずはそこからだった。


 リュシアは足を止めなかった。止める理由も、立場もない。報告待ちの列へ入る。索敵記録と迎撃回数を告げる。ハワードは紙へ書き込みながら、顔を上げずに言った。


「今日はここまでだ。夜間はなし」


「了解しました」


 夜間がないのは珍しかった。珍しいほど削れているのだと、そこでようやく分かった。


 通路へ出ると、窓の外はもう暗い。壁の根元には回収しきれない死骸が黒く残り、雪混じりの風がそれを撫でていた。


 主砦は持った。


 その代わりに、帰ってこない名前が一つ増えた。


 夜、手帳を開く。


 十二月。第二波後半。

 中央壁区迎撃。中型対応六。

 西遊撃二班、時間稼ぎ任務。

 ブレナー曹長、帰還せず。


 そこまで書いて、筆が止まった。


 それ以上は書かなかった。

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