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69.確認

 王太子府の臨時派遣が来る、と聞いた時も、リュシアは特に構えなかった。


 北方では、偉い人間が来ること自体は珍しくない。視察も監査も、予算の確認も、誰かが責任を負う以上は必要なのだろうと思っている。   

 ただ、今年は違うのだろうとは思っていた。霧が残り、補修が遅れ、誰もが口にしない違和感を抱えている。王太子府が来るなら、その確認だろう。


 その男を最初に見かけたのは、壁上の迎撃任務を終えた時だった。

 記録板に記録し視線を上げると、階段の降り口の先に見慣れない色が混じっているのに気づいた。北方の軍装の中では少しだけ質の違う布地だった。実用に寄せた外套を羽織ってはいるが、佇まいが現場の人間とは少し違っていた。

 

 ハワードがその男と話している。

 どこで見た顔だったか。

 リュシアは数歩進んでから、その覚えの所在に行き当たる。


 ヴァレリオ・カラディン。王太子府の連絡窓口。


 名前まで出たところで、相手もこちらに気づいたらしい。説明の途中ではなく、ハワードの言葉が切れた瞬間に視線だけが向いた。

 短く頭を下げる。


「カラディン大尉」


 ヴァレリオもごく軽く会釈を返した。


「フォルティス少尉」


 それだけだった。

 二人は手元の紙を見ながら話を続けている。

 リュシアはそのまま通り過ぎた。背後では、交代人員の確保と、午後も霧が残った場合の持ち場詰めについて話が続いていた。


 王太子府の人間が、こういう場所に立つのかと一瞬だけ思った。


 その程度の印象で終わった。


 だが、翌日もう一度会った。


 今日もオペ室の勉強会の主導はエリアスだった。最近の防衛戦で生じた事例の確認と対策を主題にしていた。

 リュシアだけではなくいくつかの質問が飛び交い、勉強会は予定より少し長引いた。最後にノアが次回の場所変更を告げ、資料回収の声がかかる。椅子が擦れる音が一斉に立ち、人の流れが出口へ寄った。

 レナード・ファルク准尉が横から紙を一枚差し出した。


「フォルティス少尉。前回の件、追記しました。次からこの形式で」


リュシアは受け取って一度だけ目を通す。


「了解しました」


 紙をしまい、立ち上がろうとすると、前机の向こうに、見覚えのある横顔が入った。


 ヴァレリオだった。


 最後列に近い壁際に、立ったままいたらしい。勉強会の最中は一度も気づかなかった。


 ヴァレリオは散り始めた室内をそのまま横切り、前に残っていたエリアスへ何か短く言った。内容までは聞こえない。エリアスが一度だけ頷き、ノアが脇から紙を一枚差し出す。ヴァレリオはそれを受け取って目を通し、二言三言だけ確認してから紙を返した。


 長居はしない。


 本当に確認だけしているようだった。


 なぜここにいるのだろうか。

 しかも、視察や監査の人間が立つ場所ではなく、現場の人間が実際に回している場所にいる。


 さらに翌日、工兵に城外罠の配置について聞きに行くと、三度目があった。


 ダグラスに地図を見せてもらい、罠の位置を手持ちの地図と突き合わせていく。


その時、背後で別の声がした。


「中央寄りは、優先を上げた方がよさそうですね」


 聞き覚えがあった。

 振り向くと、工兵伍長を連れたヴァレリオが立っていた。工兵の資材管理表らしい紙を片手に、こちらの地図を一目で見渡している。王都で見るより地味な外套を羽織っているのに、なぜかすぐ分かる顔だった。


 またこの人だ、とリュシアは思った。


 向こうも同じことを考えたらしい。視線が合った瞬間、ヴァレリオの眉がほんの少しだけ動いた。

 互いに短く頭を下げる。


 ダグラスは特に気にする様子もなく地図の説明を続け、リュシアもダグラスの指先を追った。


 確認が終わり、礼を言って工兵区画を離れる。


同じくらいのタイミングで、ヴァレリオの方も工兵伍長との確認を終えたらしい。

 ここから主通路へ戻る道は一本しかない。

 リュシアも同じ方向へ歩き出す。数歩遅れて、横にヴァレリオの気配が並んだ。互いに歩幅を合わせたわけではない。通路が狭く、戻る先が同じなだけだった。


 少し迷った末、先に口を開いたのはリュシアだった。


「王太子府の方は、工兵区画まで見に来るものなのですか」


 ヴァレリオが横目だけを寄越す。


「先ほどから何度かお見かけしたので、不思議でした」


 妙な聞き方だったかもしれない。だが、他に言いようがなかった。


 ヴァレリオは一拍だけ沈黙し、それから小さく笑った。


「それに気づくということは、君も似たようなことをしているんだろう」


 言われて、リュシアは少し考える。


「そうかもしれません」


「一度なら偶然。二度ならたまたま重なったとも言える。三度目となると、そういう仕事をしていると考える方が自然だ」


 冗談に寄せすぎず、かといって説教くさくもない言い方だった。


 リュシアは頷く。


「必要があるから来ているのだろうと思いました」


「それだけか」


「現場で必要な方が現場にいるのは、不自然ではありません」


 その返答に、ヴァレリオはほんの少し目を見開いたがすぐに戻した。


「王太子府は札を切るだけの場所だと思われがちだが、切る札を間違えると現場が死ぬ。だから見に来た」


「なるほど」


 この人は、婚約破棄の時や北方行きの時に節目ごとに現れる、王太子府の連絡窓口ではなかったらしい。あれは例外に近く、むしろこちらが本職なのだろう。

 リュシアは前を向きながら言った。


「では、視察ではなく確認なのですね」


「視察もする。確認もする。火消しもするし、時々、余計な火種も見つける」


 そこだけ少し乾いた言い方だった。


 何のことか分からず、リュシアは顔を上げる。


「火種」


「例えば、北方の最前線に公爵令嬢がいる。勉強会を覗いたら、またいる。工兵区画を見に来たら、やはりいる」


 そこでようやく分かった。


 自分のことを言われている。


「許可を得ています」


「知っている。書類で見た」


「では問題ありません」


「問題があるとは言っていない」


 ヴァレリオは少しだけ口元を緩めた。


「ただ、書類で読む優秀な魔法騎士と、実際に砦のあちこちに出没する公爵令嬢が、綺麗に一致しなかっただけだ」


 出没、という語に引っかかったが、否定はしなかった。実際その通りだからだ。


「見た方が早いことがあります」


「君はたぶん、そういう人間なんだろうな」


 そう言ってから、ヴァレリオは外門の方へ目をやった。薄い霧がまだ壁外に残っている。五月の終わりにしては、妙に白かった。


「現場の空気を知らずに通した例外は、だいたい後で高くつく」


 誰に聞かせるでもない調子だった。


「だから見ておく。見た上で通すなら、それは責任だ」


 リュシアはその言葉を覚えておこうと思った。王太子府の人間らしい言い方だったし、同時に、砦の人間の言い方でもあった。


「少し、安心しました」


 ヴァレリオが視線を戻す。


「何に」


「王太子府の方が、書類だけ見て決めるのではないと分かったので」


 今度こそ、ヴァレリオははっきりと笑った。大きくではない。息が抜けるような、ごく短い笑いだった。


「君は、言う時は案外そのまま言うな」


「そうですか」


「そうだ」


 それだけ言って、彼は書板を持ち直す。


「フォルティス少尉。今後も何度か現場で会うと思うが、見かけても不審者扱いしないでくれ」


「しません。必要があるから来ている方だと分かりましたので」


 即答すると、ヴァレリオは一度だけ目を細めた。


「それはよかった」


 会話はそこで終わった。


 ヴァレリオは外門側へ、リュシアは中継所の壁際へ戻る。特に名残惜しさもなく、仕事の続きとして自然に切れた。


 ただ、地図に並んだ木札を見ながら、リュシアは認識だけを修正する。


 ヴァレリオ・カラディンは、節目ごとに現れる王太子府の人ではない。

 現場を見て、現場を知った上で、王太子府の札を切る人なのだ。


 それなら、ここにいるのは不自然ではなかった。

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