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64.休止

 勉強会の参加者が、目に見えて減っていた。     

 議題は三つあったが、二つ目の途中でサラが時計を見た。


「残りは次回に回します。次回は未定です」


 部屋の空気が少し動いた。

 何人かが立ち上がって帰り始める中、リュシアは席を立ってダグラスのところへ行った。今日の議題で呼ばれていた工兵班長は、資料をまとめかけていた。


「昨日はありがとうございました」


「昨日も、だな。どうした」


「亀裂の発生パターンについて、過去五年分のデータはありますか」


「ある。量が多いが」


「構いません。壁の弱い箇所を把握しておけば、戦闘時にそこを重点的にカバーできるので」


 ダグラスが頷いた。

 そこへ、部屋の入口から男が顔を出した。


「すまん、遅れた。今日まだやってるか」


 遊撃隊の戦闘服だった。リュシアは顔を見たことがなかった。


「もう終わった」とダグラスが答えた。「今日は早かった」


「マジか」


 男は部屋に入ってきて、空いている長椅子に座った。ノアが余っていた資料を一部差し出したが、男は手を振って断った。


「ブレナーだ。遊撃第二班」


 ブレナーはリュシアを見て言った。


「あんたが第三中隊のフォルティスか」


「はい」


「魔法騎士のくせに索敵がやたら利くんだってな。うちの班でも話に出る」


 リュシアは返答に詰まった。遊撃班と直接やり取りをしたことはない。オペ室を介しているから、遊撃班がリュシアの索敵を意識しているという認識がなかった。


「索敵情報がそちらに届いているとは知りませんでした」


「届いてるっていうか、うちに来る指示がこの半年で露骨に細かくなった」


 ブレナーは頭をかいた。


「俺たちは壁の外で、群れの頭を叩いて帰る役だ。フォグが出る前に叩けるだけ叩いて、出たら壁の中に籠もる。その判断を出すのがオペ室で、判断材料の半分は索敵だ」


「半分、ですか」


「残りは天候と過去データと勘だ。でも索敵がなかったら勘の精度も落ちる。あんたの目で拾ったものが、回り回って俺たちの帰投ルートを決めてる」


 帰投ルート、という言葉をリュシアは頭の中に置いた。自分の索敵が壁上の戦闘だけでなく、壁外の遊撃班の行動にも影響しているという構造を、具体的に理解した。


「この感じだと、勉強会もしばらく止まりそうだな」


 ブレナーが立ち上がりながら言った。


「壁上は冬が忙しいが、俺たちはフォグが濃いことが多くて出撃回数は減る。体は空くが危険は増える」


 ダグラスは資料をまとめながら、低く呟いた。


「今年は特に霧が濃い。嫌な感じだな」


二人が並んで部屋を出ていくのを見て、リュシアは手帳を開いた。ブレナーの言った帰投ルートという言葉を書き留めて、手帳を閉じた。







 フォグの頻度が上がり、通常の二班体制では回しきれない日が出始めていた。

 霧が白い。

 10月に比べれば視界は半分以下で、索敵の負荷が跳ね上がっている。魔力で広げた知覚の端に反応が散っている。正面やや左、中型が三。動きが重い。溜まっている。


 落とすなら今だ、とリュシアは思った。


 重い反応が動き出す前に火力を集中させれば、前線兵の負担が減る。合理的な判断だった。

 リンク越しに指示が来た。


「右方、二時方向。単体。撃て」


 正面ではない。

 一瞬、判断が軋んだ。右の単体より正面の三体が先ではないのか。だが指示は明確で、迷う間もなく雷を撃った。右方の単体が弾け、焦げた肉の匂いが霧に混じった。

 その間に、壁際で小型が詰まりかけた。

 前線兵が半歩踏み出しかける。壁の縁から身を乗り出せば届く距離だが、フォグの中で前に出るのは賭けになる。

 グレン・フォスターが走った。

 壁上を横に抜けて、詰まりかけた小型の群れに火を叩き込む。三体がまとめて燃えて、前線兵が半歩を戻した。

 リュシアは正面を見ていた。あれは自分が拾うべきだった。グレンの足が速かったから間に合っただけで、自分が右を撃っている間に壁際が空いた。正面の三体を先に処理していれば、右の単体は後回しにしても——


「正面、中型三、前進開始。第二射、フォルティス」


 指示が来た。正面の三体が動き出していた。

 撃った。一射目で一体、二射目で二体目の脚を止め、三射目でまとめて落とした。

 ——動いた。

 溜まっていた重い反応が、まさに今、動き出した。自分が先に正面を撃っていたら、この三体が動き出すタイミングと重なっていた。右の単体を先に処理したから、正面に集中する余裕が一手分できた。

 だが、それは結果論ではないのか。

 リュシアには分からなかった。オペ室がなぜ右を先に指示したのか。正面の三体がこのタイミングで動くと読んでいたのか、別の根拠があったのか。自分の索敵では正面の重さしか見えていなかった。

 戦闘が収束した後、壁上に残った硝煙と焦げた匂いの中で、リュシアはグレンの背中を見た。

 何事もなかったように持ち場に戻っている。あの横走りも、火力の叩き込みも、日常の動作の延長のように見えた。







 翌日、リュシアはミラのところへ行った。


「昨日の戦闘の件で質問があります」


 紙を一枚差し出した。いつもの書式で、質問は一つ。


『十一時交戦時、正面中型三体より右方単体を先に指示した根拠を教えてください』


 三日後、回答が返ってきた。几帳面で硬い、いつもの字だった。


『右方単体は遊撃第二班の帰投ルート上。放置した場合、帰投経路を塞ぐ可能性があった。正面三体は索敵データ上、前進開始まで四十秒以上の猶予があり、右方処理後でも間に合うと判断した』


 遊撃班の帰投ルート。

 リュシアの索敵には映っていなかった。正確に言えば、魔獣の反応は拾えていた。だが、その位置が遊撃班の帰投経路と重なっているという情報は、リュシアの視野の中にはなかった。

 オペ室は、リュシアの索敵データと、遊撃班の位置情報と、正面三体の前進予測を同時に見ていた。リュシアが言語化できなかった違和感、正面の重さに気を取られて右を後回しにしたくなる判断の歪みを、オペ室はリュシアより正確に把握していた。

 己の視野が狭かったのだ、と思った。

 壁の上から見える戦場がすべてだと思ったことはない。思ったことはないが、体はそう動いていた。自分の索敵範囲にあるものが判断材料のすべてだという前提で、優先順位をつけていた。

 オペ室は違った。リュシアの目を使いながら、リュシアが見ていないものを見ていた。


「フォルティス中尉」


 ミラが呼び止めた。いつもなら紙を渡した後は自分の作業に戻るのに、今日はリュシアの方を向いていた。


「勉強会ですが、当面休止になりました。——正直に言うと、残念です。再開できるといいんですけど」


 ミラの声にいつもの余裕がなかった。言葉を選ぶ間もなく口から出た、という響きだった。


「私も残念です」


 本心だった。リュシアはそれだけ言って、紙を手帳に挟んだ。

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