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63.五分

 勉強会の前に、少し時間があった。


 ミラが資料を揃えながら、ふと顔を上げた。


「少尉、髪結んでるの珍しいですね」


「髪が伸びてきたのですが、整えたい場合は誰に相談すればいいのでしょうか」


「ケンプ管理官に言えば手配してもらえますよ」


「分かりました。ありがとうございます」


「大抵のことは、ケンプ管理官に相談すると何とかなりますよ」


 頷いたリュシアの目の前に別の影が落ちた。

 レナード・ファルクだった。手には資料の束を抱えている。


「フォルティス少尉、前回の改案ですが」


「はい」


「広いです。このままでは使えません」


「どこが広いのでしょうか」


「全部入れようとしている。一報が長くなります」


 リュシアは少し考えた。


「現行形式は維持して、補足順だけ固定する方がいい、ということでしょうか」


「その方がいいです。方角、距離、主反応、数、危険度。そこは崩さない」


「危険度も残しますか」


「残してください。切る判断に使います」


「では、整理するのは第二報」


「そうです。処理が変わる時だけ補足する。それで十分です」


「何に絞るべきでしょうか」


「三つで足ります。壁面と足場。群れのまとまり。味方側の制約です」


 リュシアは紙を見た。たしかに自分なら使える。だが、自分しか使えないなら形式ではない。


「理解しました」


「では、要点を言ってみてください」


「第一報は現行維持。第二報は処理変更時のみ。補足順は、壁面と足場、群れのまとまり、味方側の制約。危険度は残すべきです」


「それでいい。次は実例を三つ付けてください」


「分かりました」


 レナードはそれだけ言って、資料を持ち直した。もう話は終わりらしい。


 リュシアは余白に要点を書き込んだ。第一報維持。第二報は処理変更時のみ。三項目。危険度は残す。実例三件。


 勉強会が始まる前に、紙の形はすでに少し変わっていた。





 勉強会が始まった。今日の議題は、退避判断が出た事例の振り返りだった。


 五回目ともなると、リュシアも場の流れが分かっている。最初に全体の数字が共有され、次に個別の戦闘について気づいた点を出し合う。リュシアの質問に対して、誰も身構えなくなっていた。


 終盤に差し掛かった頃、部屋の空気が動いた。


 大きな変化ではない。会話が途切れたわけでも、誰かが声を上げたわけでもない。ただ、何人かの意識の向きがわずかに動いたのが分かった。


 入口のほうに人が立っていた。


 レナードに何か短く確認している。レナードが資料の一部を指さしながら答えた。業務上の確認らしかった。


 その声を聞いた瞬間、リュシアの中で幾つかの線が繋がった。


 リンクの向こうで指示を出す声。定例会で、自分の質問に答えた声。

 エリアス・ハーウッド中尉だった。


 エリアスはレナードとの確認を終えると、勉強会の末席に座った。何かを確認しに来たついでに、少しだけ残るつもりのようだった。


 勉強会はそのまま続いた。だが、部屋の中の温度がわずかに変わったことにリュシアは気づいていた。小さな雑談の声が全くしなくなり、質問の言い回しが少し固くなっていた。


 勉強会が終わった。何人かが席を立ち、片付けが始まった。


 エリアスも立ち上がり、部屋を出ようとしていた。


 リュシアは席を立った。


「失礼します。質問があるのですが、お時間よろしいですか」


 周囲の空気がまた動いた。今度ははっきりと。片付けの手がいくつか止まった。


 エリアスはリュシアを見た。一拍の間があった。


「五分なら」


「先日の戦闘で、オペ室から退避判断が出ました。自分の感覚では継続可能でしたが、続ければ周囲の損耗が増える可能性も感じていました。こうした場合——自分の状態と周囲への影響が一致しない場合に、どういう形式で報告すれば判断に使えますか」


 相手は少し考えた。少し、というのは本当に短い時間だった。


「三つに分けてください」


 指を立てた。


「一つ目、自分の残存戦力の主観的な見積もり。正確な必要はありません。二つ目、周囲の状態について自分が感じている違和感。言語化しにくければ、何か引っかかるだけでもいいです。三つ目、自分が継続した場合に起こり得ると思う最悪のケース」


「三つ目は予測ですが」


「予測でいいです。外れても構いません。その三つが揃えば、こちらで判断できます。今は一つ目と三つ目がまとめて上がってきています。分けてくれるだけでいいです」


「二つ目は、言語化の精度が低くても構いませんか」


「低い方がいいです」


 即答だった。


「整理して出されると、整理の過程で落ちるものがあります。そのまま出してください」


 リュシアは黙った。


 自分の報告は常に、整理してから出すものだと思っていた。ノイズを削ることが精度だと考えていた。それを、削るなと言っている。


「理解しました」


「他に」


「五分経ちました。ありがとうございました」


 エリアスは一瞬、間を置いた。それから小さく頷いて、部屋を出ていった。


 廊下を歩く足音はすぐに遠ざかっていった。速い。もう次の仕事の中にいるのだろう。


 その夜、リュシアは手帳を開いた。


 一、残存戦力の主観評価。二、未言語化の違和感。三、継続時の最悪想定。


 三つに分けるだけで、情報の受け手が判断しやすくなる。自分がこれまでやっていた報告は、一と三を混ぜて出していた。


 二について考えた。整理する前の感覚をそのまま出す。それが1番難しい。


 ペンを置いた。


 次の戦闘で試す。

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