28.ピアノ少女と、最悪のスカウト作戦
# 28.ピアノ少女と、最悪のスカウト作戦
月曜日の昼休み。僕たち四人は、1年生の教室が並ぶ廊下を歩いていた。
「いいっすか? ミサキちゃんは本当に大人しい子なんで、絶対にビビらせないでくださいよ」
先頭を歩くポンタが、僕とリョウコに念を押す。
「わかってるって。俺たちだって、いきなり『イェー!』なんて叫んだりしないよ」
「そうよ。優しく、フレンドリーにスカウトすればいいんでしょ?」
僕とリョウコは自信満々に頷いた。
「ここっす。あそこの窓際の席で本を読んでるのが、中村ミサキちゃんっす」
ポンタが教室の入り口からそっと指差す。
そこには、肩にかかるくらいの黒髪を真っ直ぐに下ろし、分厚い文庫本を静かに読んでいる少女がいた。周りの生徒たちがワイワイと弁当を食べている中で、彼女の周りだけが、まるで音の消えた別世界のように静まり返っている気がした。
『繊細で感受性豊か』というポンタの言葉が、その佇まいからだけでも痛いほど伝わってくる。
「よし、俺に任せろ」
僕はポンタを押し退け、爽やかな笑顔で教室に足を踏み入れた。
「やあ! 君が中村ミサキちゃんかな?」
僕が声をかけると、彼女はビクッと肩を跳ねさせ、怯えた小動物のような目でこちらを見上げた。
「あ、えっと……はい……」
「俺は2年のケイタ! こっちはボーカルのリョウコと、ベースのショウだ。ポンタから聞いたよ、君、ピアノがめちゃくちゃ上手いんだって?」
僕のやたらとでかい声に、ミサキは本を胸の前に抱え込み、さらに身を縮ませた。
「あの……何か、ご用でしょうか……?」
「単刀直入に言うぜ! 俺たちのロックバンドに入ってくれ!」
僕がビシッと指を差す。
「えっ……? ロック、バンド……?」
ミサキが目を丸くする。
「そう! 俺たち、オリジナル曲を作ろうとしてるんだけど、和音の知識が足りないんだ。君の指先で、俺たちのパンク・ノイズを最強のものにしてほしい!」
僕は『アペタイト・フォー・ディストラクション』を聴いた影響で、少しロックンローラー気取りのセリフを吐いた。
「そうだ! 一緒にライブハウスをぶっ壊すくらいの、最高のノイズを鳴らそうよ!」
リョウコも勢いよく身を乗り出し、ガッツポーズを作った。
その瞬間、ミサキの顔から完全に血の気が引くのが見えた。
「ノイズ……ぶっ壊す……」
彼女は震える声で呟き、後ずさりをした。
「ご、ごめんなさい……!! 私、大きな音とか……不良みたいな怖いのは……無理です……!!」
「え?」
「クラシックしか弾けないので……本当に、ごめんなさい!!」
ミサキは椅子を蹴るようにして立ち上がると、そのまま教室の裏口から脱兎のごとく逃げ出してしまった。
「……あーあ。だからビビらせないでって言ったじゃないっすか」
ポンタが頭を抱えながらため息をついた。
「いや、俺たち普通にフレンドリーに誘ったよな!?」
「そうよ! パンクロックの最高にカッコいい誘い文句だったじゃない!」
僕とリョウコが慌てて弁解する。
「それがダメなんだよ」
後ろで静かに様子を見ていたショウが、呆れたように眼鏡を押し上げた。
「お前たち、彼女の様子をちゃんと見ていなかったのか?」
「様子って……本を読んでたくらいしか……」
「ただ読んでいたんじゃない。彼女は、本を『盾』にして、周囲の騒音から自分を守っていたんだ。あの姿勢、視線の落とし方……極端に内向的な性格の表れだ。おそらく、彼女がピアノを弾く理由も、目立つためじゃない。自分一人の、静かで安全な世界を作るためだろう」
ショウの鋭い分析に、僕とリョウコは言葉を失った。
「そんな女の子に向かって、『パンク』だの『ノイズ』だの『ぶっ壊す』だの……彼女にとっては、ただの暴力予告に等しい。見事なまでの最悪のスカウト作戦だったな」
ショウの言葉が、グサグサと僕たちの胸に突き刺さる。
「……ううっ、ごめんなさい。私たちが悪かったです……」
「完全に配慮が足りてませんでした……」
僕とリョウコは、誰もいなくなった窓際の席に向かって深く反省の頭を下げた。
「でも、どうするんすか? あんなに怖がられちゃ、もう二度と口もきいてくれないっすよ」
ポンタの言う通りだ。ロックとクラシック、騒音と静寂。僕たちとミサキの間には、あまりにも巨大な「文化の壁」がそびえ立っていた。
「……いや、諦めるのはまだ早い」
僕は顔を上げ、ショウとポンタを見た。
「彼女が音に敏感で繊細だっていうなら……僕たちも、ただのノイズじゃないってことを証明すればいい。彼女の『安全な世界』に、無理やり土足で踏み込むんじゃなくてさ」
どうやって証明するかは、まだ全く思いついていなかったけれど。
オリジナル曲『プールサイド・ノイズ』を完成させるためには、どうしても彼女の奏でる和音の力が必要だと、僕の直感が告げていた。
## 再びのチャンス - ショウの提案
僕が力強く宣言したものの、具体策はゼロだった。
腕を組んで唸っている僕たちを見て、ショウが小さくため息をつきながら言った。
「ケイタ、お前が持っているのはアコースティックギターだったよな?」
「え? ああ、親父のお下がりの古いやつだけど、一応持ってるよ」
「よし。なら作戦はこうだ」
ショウは眼鏡を中指で押し上げ、僕たちに顔を寄せるように促した。
「直接話しかけても、また彼女を怖がらせるだけだ。だから、彼女の『安全な領域』を侵さずに、僕たちの音楽を届ける方法をとる」
「届けるって、どうやって?」
リョウコが首を傾げる。
「手紙と、カセットテープだ」
ショウは淡々と説明を続けた。
「ケイタがアコースティックギターで伴奏をして、リョウコが静かに歌う。あのセッションで作った『プールサイド・ノイズ』のメロディだけを、ノイズを一切排除した綺麗な音で録音するんだ」
「なるほど……!」
僕は思わず手を打った。
「それなら、大音量のノイズで彼女を怖がらせる心配もないし、一人でゆっくり聴いてもらえる!」
「そういうことだ。手紙には『私たちの音楽に、あなたの和音の力を貸してください』とでも書いておけばいい。もちろん、丁寧な敬語でな」
「和音の力……なんてロマンチックな表現! ショウってば、意外とポエマーね!」
リョウコがからかうように言うと、ショウは少しだけバツが悪そうにそっぽを向いた。
「ただの心理学的なアプローチだ。……ポンタ、お前は明日、彼女の下駄箱にこっそりそのテープと手紙を忍ばせておけ」
「了解っす! 隠密行動は俺の得意分野っす!」
ポンタが敬礼のポーズを決める。
こうして僕たちは、ミサキをバンドに引き入れるための『カセットテープ作戦』を実行することになった。
放課後、僕とリョウコは急いで家に帰り、ホコリを被っていたアコースティックギターの弦を張り替えるのだった。




