26.今日の会議は歌詞の研究
いつものプール前での会議にて
# 26.今日の会議は歌詞の研究
「プロの作詞の研究」をすることに決めた水曜日の昼休み。
僕たちはいつものようにプール前に集合し、それぞれの手にCDの歌詞カードや音楽雑誌を握りしめていた。
「まずは俺からいくぞ。ロックの真髄、これぞ作詞の頂点だ」
僕はカバンの中から、擦り切れるほど聴き込んだCDのブックレットを取り出した。ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』だ。
「出た、ケイタのバイブル」
リョウコが苦笑いする。
「カート・コバーンの書く詞には、社会への反逆とか、10代のやり場のない怒りとか、そういう深い絶望が込められてるんだ。昨日の俺の『黒い雨』は失敗したけど、目指すべき方向性はこれなんだよ」
僕が熱弁を振るうと、ショウが冷静に手を差し出した。
「貸してごらん。……ふむ」
ショウは英語で書かれた歌詞カードに目を落とし、さらにポケットから電子辞書(当時はまだ珍しかった)を取り出して、ポチポチとボタンを押し始めた。
「ショウ先輩、訳せるんすか?」
「文法的にはそれほど複雑ではないな。例えば、一番有名な『Smells Like Teen Spirit』のサビの部分。ケイタ、お前はここでカートが何を訴えていると思っている?」
「そりゃあ、若者の抑圧された衝動とか、そういう破壊的なメッセージだろ?」
ショウは電子辞書を閉じ、無表情のまま直訳を読み上げた。
「『混血児、アルビノ、蚊、僕の性欲、イェー』……だそうだ」
「…………は?」
僕は耳を疑った。
「え、ちょっと待って。蚊? 性欲?」
リョウコが目を丸くする。
「ああ。英語で言うと…だな」
ショウが淡々と解説する。
「ぶははははっ!」
ポンタが腹を抱えて笑い出した。
「ケイタ先輩のヒーロー、虫と性欲について叫んでるんすか!? 意味不明ッスね」
「う、嘘だろ……! 何かの比喩表現なんじゃないのか!?」
僕が慌てて歌詞カードを覗き込むが、確かに『mosquito』と書いてある。僕のバイブルが、ただの虫の歌だったなんて。
「いや、違うんだ」
ショウが眼鏡を押し上げた。
「比喩というより、これは『韻』と『音の響き』を最優先している結果だろう。アルビノ、モスキート、リビドー。声に出してみるとわかるが、母音と子音のリズムがメロディに完璧にハマっている。ロックやグランジにおいて、言葉は意味よりも『打楽器としての響き』を求められることが多いんだ」
「音の響き……」
僕は呟いた。
「そうだ。昨日の僕の『エントロピー』が歌にならなかったのは、意味を詰め込みすぎて音の響きを無視していたからだ。逆に言えば、立派なポエムや小論文を書く必要はない。メロディに乗せた時に気持ちいい言葉を選べば、それがロックの歌詞になる」
「なるほど……!」
目から鱗が落ちる思いだった。「意味のある深いことを書かなければいけない」というプレッシャーから、スッと解放された気がした。
## 翌日のプール前
そして翌日、木曜日の昼休み。
「音の響きが大事」という教訓を得た僕たちは、今度こそ参考になる「日本語のロック」を持ち寄ってプール前に集まっていた。
「やっぱり日本語なら、ブルーハーツみたいにド直球で分かりやすいのが一番だろ! 『人にやさしくしてもらえないんだね』とか、一切の比喩がないストレートな言葉!」
僕が力説する。
「甘いっすよケイタ先輩! ロックたるもの、もっと劇的じゃないと! X JAPANみたいに『紅に染まったこの俺を…』って叫ばないとダメっす!」
ポンタが両手を広げてシャウトする。
「あんたたち、ホント分かってないわね」
リョウコがやれやれと首を振った。
「私たちがやるんだから、もっとポップでキャッチーじゃないと! JUDY AND MARYみたいに『自転車で雲を追いかける』とか、可愛くてパンチのある言葉が欲しいのよ!」
「いや、キャッチーな歌詞は俺の歪んだギターには合わないだろ!」
「そうっすよ! 俺等はヘッドバンキングして飛び跳ねたいんすよ!」
「だいたい、誰が紅に染まるのよ! 豊橋で紅に染まるのは名産の『豊橋筆』くらいなものよ!」
三者三様の音楽の好みが完全にぶつかり合い、プール前は険悪な言い争いの場と化してしまった。
「ストップ」
僕たちがヒートアップしていると、今まで黙って聞いていたショウがパンッと手を叩いた。
「これが世に言う『音楽性の違い』というやつだな。プロのバンドが解散する理由の第一位だ」
「解散してたまるか! まだ一回しかライブしてないのに!」
僕が叫ぶと、ショウは小さく笑った。
「誰も解散するとは言っていない。ただ、僕たちは今、存在しない『理想のバンド』になろうとして迷走しているんだ。ブルーハーツの直球も、X JAPANの劇的さも、ジュディマリのポップさも、彼ら自身の中から自然に滲み出たものだ。それを僕たちが上辺だけ真似しても、ツギハギのぼろ切れができるだけだ」
「じゃあ、どうすればいいのよ」
リョウコが口を尖らせる。
ショウは僕たちを見渡し、それからプールを囲む金網や、転がっているラジカセに視線を移した。
「なぜ、自分たちの手の届かない遠い世界のことばかり書こうとするんだ? 僕たちには、僕たちだけの現実があるだろう」
「僕たちの、現実……?」
「ああ。オレンジピットでの極度の緊張感。ガストでのメロンソーダ。お母さんの恥ずかしいウチワ。そして今、ここで言い争っているこの時間。……半径5メートルの日常だ」
ショウの言葉に、僕たちはハッとした。
「無理に社会に反逆しなくても、紅に染まらなくてもいい。ただ、僕たちの半径5メートルで起きていること、感じていることを、音に乗せて叫べばいい。それが、僕たちの『オリジナル曲』になるはずだ」
半径5メートルのロック。
その言葉は、僕の胸の奥にスッと落ちてきた。
「……ショウ君、あんたタダの理屈屋じゃなかったのね。ちょっと感動しちゃった」
リョウコが感心したように言う。
「……確かに、それなら俺たちにも書けそうな気がするっす!」
ポンタも目を輝かせた。
「等身大の、俺たちの曲か……」
僕は無意識のうちに、指先で太ももを叩いてリズムを取っていた。不思議と、頭の中にギターのコード進行が浮かんでくるような気がした。
「よし。じゃあ、テーマは『俺たちの日常』だ。タイトルは仮で……そうだな、『プールサイド・ノイズ』なんてどうだ?」
僕が提案すると、三人の顔がパッと明るくなった。
「それ、悪くないわね!」
「めちゃくちゃカッコいいっす!」
「文法的にはノイズ・オン・ザ・プールサイドの方が正確だが……まあ、響きは悪くない」
僕たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
中二病のポエムでもなく、難解な物理学でもない。ただの高校生である僕たち自身の歌。
初ライブを終えたばかりの僕たち「音庭ビート」は、ついに自分たちだけの音楽を生み出すための、確かな第一歩を踏み出したのだった。
オリジナル曲に向けて一歩前進!




