22.ライブ前夜、ポケベルと電話
# 22.ライブ前夜、ポケベルと電話
土曜日の夜10時過ぎ。いよいよ明日は初ライブ本番だ。
明日に備えて、僕は早めに布団に入ったものの、目はらんらんと冴え渡り、全く眠れる気配がなかった。
目を閉じると、オレンジピットの薄暗いステージや、浜田タロウの睨みつける顔、そして「ケイタ命」と書かれた母さんの地獄のようなウチワが次々と浮かんでは消えた。
「……あー、ダメだ。全然眠れない」
僕はガバッと布団を跳ね除け、部屋の隅に置いてあったギターを手に取った。アンプには繋がず、ストラップを肩にかけて、姿見の鏡の前に立つ。
未だにノープランの「MC」が気になって仕方がなかったのだ。
僕は小声で、鏡の中の自分に向かって囁いた。
「ようこそ、オレンジピットへ。俺たちのビートで、火傷すんなよ……」
いや、ダサい。ダサすぎる。
僕は頭を振り、もう一度ポーズを決めた。
「ヘイヘイ! 豊橋の夜はこれからだぜ! 準備はいいか!?」
「……お兄ちゃん、マジでキモい」
背後から、氷のように冷たい声が降ってきた。
ビクッとして振り返ると、パジャマ姿の妹のアヤカが半目で僕を見ていた。お風呂上がりに、自室へ向かう途中で僕の部屋から聞こえる不審な声に気づいたらしい。
「アヤカ! ノ、ノックくらいしろよ!」
「したよ。お兄ちゃんが一人で『火傷すんなよ』とか言ってるから聞こえなかっただけでしょ」
アヤカは呆れ果てたようにため息をついた。
「早く寝なよ。明日、お母さんの手作りウチワで一生分の恥をかくんだから、今のうちに体力温存しといた方がいいよ」
「うっ……」
的確すぎるツッコミに反論できず、僕はすごすごとギターを置いた。
アヤカはパタンとドアを閉めて去っていき、変なアドレナリンが一気に抜けた僕は、再びベッドに潜り込んだ。
ああ、恥ずかしい。明日のライブのことだけを考えよう。
そう思って目を閉じた瞬間。
『プルルルルルッ!』
部屋の机に置いてあった家の電話の子機(親に見つからないようにこっそり持ち込んでいた)が、暗闇の中でけたたましく鳴り響いた。
(本作は、1990年代の物語なので、当然、スマートフォンは存在しない。)
ポケベルでさえ持っている友人は少ないのだが、僕は父さんに頼み込んで契約させたのだ。バンド内の連絡は、ポケベルでやっていた。当時、文字を送ることはできなかったので、「106410」(テルシテ: 電話して)など、数字の語呂合わせでメッセージを伝えていた。
ポケベルで、「10636#10」という連絡が来た。10636で「テルスル」、#10で10分後に電話するという意味だ。相手は、何と・・・リョウコからだ。
「は、はい! 鈴木です!」
『……あ、ケイタ? 遅くにごめん』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、少し掠れた、リョウコの声だった。
「リョウコ!? どうしたんだよ、こんな時間に」
『……眠れそうになくて…。もう、緊張で心臓が飛び出しそうで…』
僕は少し驚いた。いつも自信満々で、誰にでも物怖じせず、真正面からブチギレる強気なリョウコが、こんなに弱々しい声を出すなんて初めてだったからだ。
『明日、もし声が裏返っちゃったらどうしよう。歌詞が全部飛んじゃったらどうしようって考えたら、怖くなっちゃって……』
「……大丈夫だよ」
僕は、できるだけ落ち着いた声を出した。
「リョウコが歌詞を忘れても、声が裏返っても、絶対に音は止めない。俺もショウもポンタも、最後までお前の背中を音で支えるから。だから、お前はただ思い切り歌えばいいんだよ」
電話の向こうで、リョウコが小さく息を吐く音が聞こえた。
『……ふふっ。ケイタに励まされるなんて、明日は雪が降るかもね』
「なんだよそれ。俺だってリーダーなんだから、たまにはいいこと言うだろ」
『うん。……ありがとう、ケイタ。ちょっと安心した。おやすみ』
「ああ、おやすみ。また明日な」
通話が切れ、ツーツーという電子音だけが耳に残った。
僕は子機をリビングに戻した。
とは言え、僕自身はその後も緊張で全く眠れずにいた。
「よし、目を閉じてイメージトレーニングだ。俺がジャカジャーンとギターを鳴らし、観客が沸き立つ……」
そうやって理想のライブを想像しようとするのだが、なぜか脳内で再生される映像は、シールドに足を引っ掛けて派手に転倒する僕や、演奏中に弦が3本同時に切れる僕、さらには興奮した母さんがステージに乱入してきて「ケイタ命」ウチワを振り回し始めるという、最悪のシチュエーションばかりだった。
「だああっ!もっと良いイメージをするんだー!」
僕たちの演奏で、観客が熱狂する場面を想像する。リョウコが観客に負けない声量で歌い上げ、僕のギターがザクザクと観客の心に刺さるという場面。そして、会場全体が一つになって盛り上がる…はずが、なかなかうまく想像できない。
布団の中で叫び、僕は諦めて、今度は羊を数えることにした。
「羊が一匹、羊が二匹……羊がスリー、フォー! ワン、ツー、スリー、フォー!」
ダメだ。数え方が完全にバンドのカウントになっている。羊たちが脳内で8ビートに合わせて激しくヘッドバンギングを始め、ダイブし始めてしまった。僕の脳内ライブハウスはすでに熱気で酸欠状態だ。
結局、僕は起き上がり、部屋の中をグルグル歩き回ったり、意味もなく腹筋を10回だけやってみたりと無駄な抵抗を続け、窓の外がうっすらと白み始めるまで、まともな眠りにつくことはできなかったのだ。
初めてのライブの前日、緊張しない方がおかしいです




