17.オレンジピットと、被りまくる友達
ついに、、、ライブが現実的になってきた
# 17.オレンジピットと、被りまくる友達
水曜日の放課後、下駄箱で靴を履き替えようとしていた僕の背中を、誰かがぽんっと叩いた。
振り返ると、森田先輩が立っていた。
「鈴木、ライブの詳細決まったよ」
先輩は、手書きで文字がびっしりと書かれたプリントを一枚、僕に手渡してきた。
「場所は、南栄の『シライミュージック』がやってるライブスペース、『ORANGE PIT』」
「オレンジピット……! あそこですか!」
僕は思わず声を上げた。南栄のシライミュージックといえば、僕たちがいつもスタジオ練習でお世話になっている地元の楽器屋だ。そこのオレンジピットは、豊橋の高校生バンドにとって憧れのステージの一つだった。
「そう。で、大事なのはお金の話ね」
森田先輩は、少し声のトーンを落とした。
「会場のレンタル費用が全部で48,000円。今回は俺たちのバンドとお前らを含めて、全部で5バンドが参加するから、1バンドあたりの負担額は9,600円だ」
「きゅうせん、ろっぴゃくえん……」
高校生の僕にとって、なかなかの大金だった。月のお小遣いが数ヶ月分軽く吹っ飛ぶ額だ。(ちなみに、2025年現在の日本の高校生の1ヶ月のお小遣い平均は、5000円から5500円だという。この話は1990年代設定なので、当時はもう少し少なかった。)
「まあ待てって。これを全額自腹で払うわけじゃない。チケットを作ったから、これをお客さんに買ってもらうんだ」
先輩はカバンから、手作りのチケットの束を取り出した。
「チケット代は1枚800円。だから、1バンドにつき『12枚』がノルマになる。12枚以上売れればバンドの経費以上が稼げて黒字になるけど、もし売れ残ったら……」
「売れ残ったら?」
「足りない分は、バンドのメンバーで自腹を切って払う。それが『チケットノルマ』の掟だ!」
チケットノルマ…。どこかで聞いたことはあったが、いざ自分がその当事者になると、とてつもない重圧を感じた。
## 限られた市場と、被る友達
翌日の昼休み。
いつものプール前に集まったメンバーに、僕はもらったチケットの束を見せながら、森田先輩から聞いた条件を説明した。
「というわけで、俺たちのバンドのノルマは12枚だ。4人いるから、単純計算で1人3枚ずつ売らないといけない」
「1枚800円で3枚かぁ。まあ、なんとかなるんじゃない?」
リョウコは楽観的だった。
「私はねー、とりあえずミカとユミに買ってもらうでしょ。あとは隣の席のサトウ君にも声かけてみようかな」
それを聞いて、僕とショウは顔を見合わせた。
「……ちょっと待て。俺、さっきミカとユミに『ライブやるから来てよ』って声かけちゃったぞ」僕が言った。
「俺は、朝のHRの前にサトウに声かけた」ショウも言った。
「えっ!?」
リョウコが目を見開く。
僕たちは、ここに来て高校生バンドにおける「最大の罠」に気がついた。
ケイタ、リョウコ、ショウ。僕たち3人は同じクラスなのだ。当然、仲の良い友達のグループも丸被りしている。
「あのさ……ミカとユミがチケット買ってくれるとして、それは誰のノルマ分になるの?」
リョウコが恐る恐る聞いた。
「それは……俺が先に声をかけたから、俺の分……?」
僕が言うと、リョウコはすかさず反論した。
「ダメだよ! ミカたちは私が見に行くって言ったから行く気になったんだもん! 私のノルマ分だよ!」
「じゃあ、サトウは俺の分だな」
「ちょっとショウ! サトウ君は私がいつもノート貸してあげてるんだから、私の分にしてよ!」
「そんなこと言ったら、俺だって……!」
僕たち3人は、12枚というノルマを前に、クラスという極めて狭い市場で顧客の奪い合いを始めてしまった。
そもそも、同じクラスの友達がライブに来てくれるとしても、1人が買うチケットは当然1枚だ。「ケイタからもリョウコからも買う」なんてことはあり得ない。
「マズいぞ……。同じクラスの奴らにばかり声かけてたら、絶対12枚も売れない」
僕が頭を抱えると、ショウも珍しく焦った顔で頷いた。
「完全にターゲット層が重複している。営業戦略として完全に失敗だ」
その時、横で黙ってパンをかじっていたポンタが、ふんすっと鼻を鳴らした。
「先輩方、甘いっすね」
「ポンタ……お前、1年生のネットワークはどうなんだ?」
僕がすがるように見ると、ポンタは自信満々に親指を立てた。
「俺のクラスは、先輩たちにとって完全なブルーオーシャン(未開拓市場)っすよ。しかも俺、もう自分のノルマの3枚、売り切ったっすからね」
「えっ! マジで!?」
僕たち3人は声を揃えた。
「誰に売ったの?」リョウコが身を乗り出す。
「オカンと、オトンの妹の親戚のおばちゃんと、近所の犬飼ってるおじさんっす!」
「……友達じゃないんかい!」
僕は思わずツッコミを入れたが、背に腹は代えられない。お金はお金だ。
「まあ、誰に売っても1枚は1枚だ。ポンタ、よくやった!」
「へへっ、任せてくださいっす。なんなら、先輩たちの分も俺のばあちゃんに売りつけましょうか?」
「いや、そこは自分たちで何とかするよ……」
## 母の熱狂、再び
その日の放課後。
結局、クラスの友達には「3人の合同ノルマ分」として買ってもらうことになり、僕個人のノルマがまだ1枚残ってしまっていた。800円の自腹は痛い。かといって、他のクラスに無理やり売りつけるほどの度胸もなかった。
家に帰ると、母さんが台所で夕飯の支度をしていた。
僕はリビングのソファに座り、ポケットの中でくちゃくちゃになりかけたチケットを握りしめた。
ポンタを見習うしかない。
「あのさ、母さん」
僕は意を決して声をかけた。
「ん? なあに?」
「来月さ……俺のバンドの、初ライブの日にちと場所が決まったんだけど……」
「えっ! 本当!?」
母さんは持っていたお玉を放り出し、エプロン姿のまま飛んできた。目が異常に輝いている。
「場所は南栄のシライミュージックがやってるオレンジピット。で、その……チケットがあるんだけど」
僕がチケットを差し出すと、母さんはそれをひったくるように受け取った。
「まあ! ちゃんとチケットまであるのね! 本格的じゃない!」
母さんはチケットをまじまじと見つめ、感動したように胸に当てた。
「で、1枚800円なんだけど……買ってくれたり、する?」
「当たり前じゃない! お父さんと、アヤカと、私の分で3枚ちょうだい!」
「えっ、3枚も!?」
そこに、学校から帰ってきた妹のアヤカがリビングに入ってきた。
「ちょっとお母さん、私行かないよ。お兄ちゃんのギター、うるさいもん」
「何言ってるの! 家族の晴れ舞台なんだから、全員で一番前で応援するのよ!」
母さんはアヤカの肩をガシッと掴んだ。
「ええ〜、絶対恥ずかしいやつじゃん……」
アヤカは露骨に嫌そうな顔をしたが、母さんの勢いには逆らえそうになかった。
「お兄ちゃん、うちわに『ケイタ命』って書くからね! 蛍光塗料も買ってこなきゃ!」
母さんは完全に自分の世界に入っていた。アイドルの追っかけをしていた頃の血が騒いでいるらしい。
「絶対やめて! ウチワ持ってきたら、俺ステージから逃げるからな!」
僕は必死で抵抗したが、母さんの耳には入っていないようだった。
ともかく、これで僕のノルマ分も無事に(というより過剰に)達成された。ショウやリョウコも、なんとか親や部活の知り合いに頼み込んでノルマをクリアしたと、後で連絡があった。
チケットが売れた。お客さんが来る。
それはつまり、逃げ場がなくなったということだ。
いよいよ、本番に向けてのカウントダウンが始まった。
ライブと言えば、高校生のお小遣い事情です。
高校生の頃、、、自分たち、どうしていたか、ぜんぜん覚えていない、、、どうしてたんだろ?




