15. 11時の絶好調と、絶望のノイズ
# 15. 11時の絶好調と、絶望のノイズ
土曜日の朝、11時。南栄にある「シライミュージック」のスタジオに入る。
「よし、やるか」
僕は愛用の、安物だけど弾きやすいギターをアンプに繋いだ。シールドを差し込むときの「ガリッ」という小さな音が、僕のやる気スイッチだ。
「今日も気合入ってるね、ケイタ」
リョウコがマイクスタンドの高さを調整しながら笑った。彼女は今日も、焼肉屋のバイトで鍛えたらしい元気な声をしている。
「よし、『TRAIN-TRAIN』からやってみよう」
ショウが黙ってベースのチューニングを合わせ、ポンタが「オッケーっす!」とスティックを鳴らした。
最初の音が出た瞬間、僕らは確信した。今日も絶好調だ。先週感じたグルーブは本物だ!
『TRAIN-TRAIN』のイントロ、僕が鳴らす轟音に、ショウのベースが太く絡みつく。ポンタのドラムは、重い機関車みたいに僕らの背中を力強く押した。
平日の放課後に各自で練習してきた成果が出ていた。
そして、リョウコの歌声!
サビに入った瞬間、スタジオの空気が爆発したみたいに熱くなった。四人の音が一つの塊になって、壁にぶつかって跳ね返ってくる。リョウコの歌はどこまでも突き抜けて、僕のギターはそれにぴったりと寄り添っていた。
一曲終わり、静寂が戻る。
「……今の、最高じゃん!」
リョウコが顔を上気させて叫んだ。
「うん、今のグルーブは今までで一番だ。ブルーハーツの魂が乗り移ったみたいだった」
ショウも珍しく興奮した様子でうなずいている。ポンタは「俺、今の音なら何時間でも叩けるっす!」と鼻の穴を膨らませていた。
僕らは「音庭ビート(仮)」だ。今この瞬間、僕らは世界で一番カッコいいバンドなんじゃないか。そんな根拠のない自信が、スタジオ中に溢れていた。
でも、その魔法は、僕が次の一言を言った瞬間に解けた。
「よし。次はニルヴァーナ、行ってみよう」
## 絶望のノイズ
僕はエフェクターのスイッチを思い切り踏み込んだ。
ニルヴァーナの『Smells Like Teen Spirit』。あの、世界を変えたイントロのコードをかき鳴らす。
「ジャーン、ジャジャジャーン!」
……鳴ったのは、音楽ではなかった。
ただの、暴力的なノイズだった。
僕のギターでは、ニルヴァーナのような音は出せていなかった。ただのノイズが悲鳴を上げていた。慌ててポンタがドラムを叩き始めるが、あの独特の「静と動」のリズムが掴めず、ただドタバタと暴れているだけに聞こえる。
「…………」
リョウコは、マイクを握ったまま立ち尽くしていた。
どこで入ればいいのか、どう歌えばいいのか、全く分からないという顔だ。
「ケイタ……これ、何の曲だっけ?」
ショウが眉間にシワを寄せ、僕の指先を凝視しながら聞いた。
「だから、ニルヴァーナだって。ほら、このジャカジャカした感じが……」
「全然ジャカジャカしてないっすよ。なんか、工事現場の音みたいっす」
ポンタが正直すぎる感想を言った。
もう一度やってみた。でも、やればやるほど音はバラバラになっていく。僕が歪ませれば歪ませるほど、他の楽器の音が聞こえなくなり、リョウコの歌はノイズの中に埋もれて消えた。
「ストップ! 一旦止めて!」
リョウコが手を上げた。その顔からは、さっきの笑顔が消えていた。
## 三曲のクオリティ
「ねえ、ケイタ。ちょっといい?」
リョウコがマイクスタンドから手を離し、僕の目の前に立った。
「今の……正直、ひどいよ。音楽になってない」
「それは、まだ練習し始めだからさ。ニルヴァーナはこういう『汚い音』がカッコいいんだって」
僕は必死に弁明した。でも、リョウコの視線は冷ややかだった。
「汚い音と、ただの下手くそな音は違うよ。ライブは来月なんだよ? 森田先輩との対バン。あたしたちは三曲演奏するって決めたでしょ」
「そうだよ。だから、四曲目にニルヴァーナを……」
「違う」
リョウコが遮った。
「もう三曲、あるじゃん。『情熱の薔薇』と、『トップ・オブ・ザ・ワールド』と、さっきの『TRAIN-TRAIN』。この三曲を、さっきみたいな最高の状態で届けるのが、今のあたしたちのやるべきことじゃないの?」
「でも、それだけじゃ『普通』すぎるだろ! ブルーハーツだけじゃ、音庭ビート(仮)の個性が出せないよ。ニルヴァーナをやって、僕たちの『エッジ』を見せないと」
「『エッジ』の前に『音楽』が死んでるよ!」
リョウコの声がスタジオに響いた。
ショウが間に入ろうとした。
「ケイタの気持ちも分かる。新しいことに挑戦したいんだろ。でも、リョウコの言うことも一理ある。ライブまで時間がない中で、ボロボロのニルヴァーナをやるのはリスクが高い」
「ショウまで……。僕は、あの『電撃』をステージで出したいんだ。上手いとか下手とかじゃない、魂を削るような音をさ!」
「魂を削る前に、あたしの耳が削れるわ」
リョウコはそう吐き捨てると、カバンから水を取り出して一気に飲み込んだ。
「あたしは、お客さんに『楽しかった』って思ってほしい。さっきの『TRAIN-TRAIN』なら、絶対にそう思ってもらえる。だから、今日は残り全部の時間を使って、あの曲のクオリティを上げたい。それがボーカルとしての意見」
「……僕は、ギターとして、ニルヴァーナをやりたい」
スタジオ内の空気が、急速に冷え込んでいくのが分かった。
ポンタが気まずそうにスティックを回している。
11時に始まったあの最高な時間は、どこかへ消えてしまった。
窓のないスタジオの壁が、急に狭くなった気がした。
「……分かった。今日は、もういいよ」
僕はギターのボリュームをゼロにした。
シールドを抜くときの「プツッ」という音が、なんだかバンドが途切れる音みたいに聞こえて、僕は自分の足元ばかりを見ていた。
土曜日の正午。
スタジオ代を割り勘して外に出ると、豊橋の太陽は眩しすぎるくらいに輝いていた。
でも、僕らの間には、さっきのノイズみたいな気まずい沈黙が、ずっと付きまとっていた。




