13. チョコと先輩
いよいよ?
# 13. チョコと先輩
火曜日の朝、教室に入った瞬間、山下がこっちを見た。
見た、というより、待ち構えていた。
「鈴木」
「何」
「音庭ビート、ライブやるんだって?」
僕はカバンを机に置く前に、ため息をついた。
「誰から聞いた」
「一年の山本」
「ポンタか」
やっぱりだった。
昨日の昼休み、僕らは曲を増やす話をした。三曲目はブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」が有力で、四曲目はニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」に挑戦する。そこまでは決めた。
でも、まだ現実的にライブをやるとは決めていない。
場所もない。日にちもない。家族にも言っていない。練習もしていない。
なのに、山下はもう、「ライブハウスでポスターを見た」みたいな顔をしている。
「いつ?」
「決まってない」
「どこで?」
「決まってない」
「何曲?」
「だから、決まってない」
「なんだよ。決まってないライブかよ」
山下は笑った。
僕は笑えなかった。いや、少しだけ笑ったけれど、心の中ではポンタの首に、シールドをぐるぐる巻きにしているところだった。
一時間目の古文の間も、僕はずっと落ち着かなかった。先生が黒板に「書きけり」「見けり」と書いたので、頭の中ではライブハウスに貼った宣伝ポスターが何度も浮かんでは消えていた。
「ライブやるんだって?」
その言葉は、昨日までは僕らの中だけにあった。スタジオの熱とか、昼休みの勢いとか、ドーナツの甘さとか、そういうものと一緒に、ふわふわ浮いていた。
でも、誰かの口から聞くと、急に重くなった。噂って、音より速いのかもしれない。
## 昼休みの反省会
昼休みになると、僕は弁当を半分くらいの速さで片づけた。昨日ほど急いではいない。急いでも、どうせポンタの説教から始まる。
プール前に行くと、ショウが先に来ていた。壁にもたれて、弁当箱のフタを閉めている。
「聞いた?」
僕が言うと、ショウはうなずいた。
「隣の組の友達にも言われた」
「何て?」
「音庭ビート、今年の文化祭に出るんだってね、って」
「えっ、文化祭まで増えてる!」
「噂は成長する」
ショウはいつも通り静かだったけれど、目が少しだけ細くなっていた。あれは、怒っているときの顔だ。
少し遅れてリョウコが来た。手には紙パックのミルクティーではなく、コンビニの小さい袋を持っていた。
「あたしも言われた」
「何て?」
「ボーカルの衣装、決まった? って」
僕は頭を抱えた。
「まだ曲も決まってないのに」
「衣装だけ先に決める?」
「やめて」
リョウコは冗談っぽく笑ったけれど、少し楽しそうでもあった。
最後に、ポンタが来た。
しかも、堂々と来た。
購買のパンを口にくわえ、カバンを肩に引っかけ、まるで何かの表彰式に出るみたいな顔をしている。
「先輩方、お待たせしました」
「待ってない」
僕とショウの声が重なった。
ポンタはパンを飲み込んで、目を丸くした。
「なんすか、息ぴったりじゃないっすか。グルーブしてますね」
「ポンタ」
ショウが低い声で言った。
「ライブの話、どこまで言った?」
「どこまでって」
「誰に、何を、どのくらい」
ポンタは少し考えた。
「一年の男子何人かと、バスケ部の先輩と、購買のおばちゃんと、あと体育の先生にちょっと」
「先生にも?」
僕の声が裏返った。
「だって、体育館でライブできるか聞いた方が早いかなって」
「早くない!」
リョウコが笑いながら突っ込んだ。
ポンタは悪びれない。悪びれなさが、ポンタの才能の一つだと思う。いや、才能じゃない。迷惑だ。
「でも、宣伝は大事っすよ。バンドは名前を覚えてもらってこそでしょ!」
「名前を覚えてもらう前に、曲を覚えたい」
ショウが言うと、ポンタは胸を張った。
「そこで、今日の差し入れっす」
「話をそらすな」
「そらしてないっす。これも音庭ビート活動の一環っす」
ポンタはカバンの中をごそごそ探り、黒い小さなお菓子を四つ取り出した。
黒い袋に、黄色い文字。
ブラックサンダー。
## チョコをちょこっとずつ食べて語り合う
「何それ」
僕が聞くと、ポンタは得意そうに笑った。
「ブラックサンダーっす。チョコのお菓子っす」
「へえ」
ショウが袋を受け取って、まじまじと見た。
「サンダーって、雷だよね?」
「そうっす。つまり、うちの稲妻のピックと同じ系統っす」
「同じ系統って何?」
「ロック系統っす」
意味は分からなかった。でも、袋の黒と黄色は、たしかにちょっとカッコよかった。リョウコが描いた稲妻のピックにも合いそうだ。
「あ、これ、豊橋で作っとるだらぁ(作っているんでしょ?)」とリョウコが三河弁で言った。
「そうっすよ」とポンタが答えた。
「豊橋のお菓子なら、まさに音庭ビート(仮)っぽいね」と僕は答えた。
「でしょ!」
ポンタが嬉しそうに叫んだ。
「豊橋のバンドが、豊橋の雷を食べる。これ、大事っすよ」
「有名になったらスポンサー契約して広告塔になりたい…」
ショウが言いながらも、袋を開けた。
僕も開けた。中から、チョコで固めたごつごつしたお菓子が出てきた。見た目は小さいのに、妙に強そうだった。
一口かじる。ザクッと音がした。
「うまっ!」
思わず声が出た。
ココアみたいな苦さと、チョコの甘さと、ビスケットの軽さが一緒に来た。安い駄菓子っぽいのに、ちゃんと満足感がある。小さいのに、アンプの音みたいに存在感があった。
「でしょ!」
ポンタは自分が作ったみたいな顔をした。
ショウは無言でもう一口食べた。ショウが無言で二口目に行くときは、だいたい気に入っている。
「ザクザクしてる」
「ドラムっぽいっすよね」
「それは分からない」
「でも、サビ前で食べたらテンション上がるっす」
「演奏中に食べるなよ」
僕らは笑った。笑いながら、少しだけ気持ちが軽くなった。
ポンタが噂を広げたことは問題だ。問題だけど、ブラックサンダーを食べていると、その問題まで少しザクザク砕けるような気がした。
プールの水面が、昼の光を受けてきらきらしていた。五月の風はもう少し暑くて、チョコが指に溶けそうだった。
「でもさ」
リョウコが袋をたたみながら言った。
「言われたら、やるしかない感じになってきたね」
「まだ何も決まってない」
ショウが言った。
「だから決めるんじゃん」
「場所、日程、曲数…」
「ショウはすぐ現実を並べる」
「現実は並べないと倒れる」
ショウらしい言い方だった。
僕はブラックサンダーの最後のかけらを口に入れた。ザクザクした音が、頭の中でギターのカッティングみたいに響いた。
そのときだった。
「君らが音庭ビート?」
知らない声がした。
## 森田先輩
振り向くと、三年生らしい男子が立っていた。
背は高くない。でも、妙に落ち着いている。ワイシャツの袖をまくっていて、手首に黒いリストバンドをしていた。髪は校則に引っかからないくらいだけど、少しだけ長い。
僕はその人の顔をどこかで見たことがあった。
「三年の森田」
ショウが小さく言った。
「知ってるの?」
「去年の文化祭でギター弾いてた人」
そう言われて、僕も思い出した。体育館のステージでBOØWYをやっていた。音がシャープで、とても盛り上がっていた。
あのとき、僕は客席の後ろのほうで見ていた。ギターの音が体育館の壁に跳ね返って、胸にぶつかってきた。あんなふうに弾けたらいいのに、と思った。
そのギターの人が、今、目の前にいた。
「あ、はい」
僕は変な声で答えた。
「俺、ウルフボーイズでギターやっている森田。昼休みに一年が騒いでたからさ。音庭ビートがライブやるって」
ポンタが、ぱっと明るい顔になった。
「俺っす! 宣伝しました!」
「お前か」
森田先輩は笑った。
怒ってはいない。むしろ面白がっている感じだった。
「で、いつライブやるの?」
いきなり来た。
「まだ、決まってないんですけど」
「そうか。もう、持ち曲たくさんあるの?」
僕はリョウコとショウを見た。ポンタはなぜか胸を張っている。
「今、二曲です」
リョウコが答えた。
「三曲目を決めたところです」
ショウが続けた。
「四曲目も、まあ、候補だけ」
僕が言うと、森田先輩はうなずいた。
「いいじゃん。最初はそんなもんだよ」
その一言で、少し息ができた。
てっきり笑われると思っていた。二曲しかないのにライブとか言ってるのか、と言われると思っていた。
でも、森田先輩はそう言わなかった。
「ライブやるなら、まず三曲は通せるようにしといた方がいい。短くてもいいから、止まらず最後まで。上手い下手より、止まらない方が大事」
ショウがすぐに聞いた。
「ライブやるには、どうしたらいいですか」
森田先輩は、ショウを見て少し笑った。
「現実派だね」
「はい…」
「ライブなら、まずは対バンを探さなくてはね」
僕は頭の中で必死にメモを取った。今まで、ライブは遠くに光っているものだった。カッコいいけど、手を伸ばしても届かないもの。
でも、森田先輩が話すと、それは急に廊下の先にある教室みたいになった。行こうと思えば行ける。だけど、ちゃんと歩かないと着かない。
「あと」
森田先輩は、ポンタの持っているブラックサンダーの袋を見た。
「それ、いいね」
「ブラックサンダーっす! 豊橋の雷っす!」
「うん。差し入れとしては優秀」
ポンタは嬉しそうに背筋を伸ばした。
「俺らのバンドも、練習のあとよく駄菓子食ってるよ」
「先輩たちもですか」
僕が聞くと、森田先輩は笑った。
「高校生バンドなんて、だいたい金ないだろ?」
それを聞いて、少し安心した。
上級生のバンドは、僕らよりずっと大人に見えた。機材も持っていて、ステージにも立っていて、何でも分かっているみたいだった。
でも、森田先輩たちも駄菓子を食べていた。
僕らと同じように、財布の中を気にして、スタジオ代を割り勘して、弦が切れないように祈っていたのかもしれない。
「君、ギター?」
森田先輩が僕を見た。
「はい」
「何使ってる?」
「安いやつですが、一応、音は鳴るやつです」
「いいじゃん。最初はそれで十分。大事なのは、音を出すことと、止まらないこと」
また、止まらない。
その言葉が、さっきのブラックサンダーより強く口の中に残った。
「もし本気でライブやるんだったら、来月、俺たちのバンドと対バンしてくれないかな」
「ええっ! いいんですか?」
リョウコが聞いた。
「もちろんだよ」
「じゃあ、あたしたちも出たい」
リョウコが言った。
早かった。迷いがなかった。
僕はリョウコを見た。リョウコは森田先輩をまっすぐ見ていた。いつもの明るさとは少し違う。マイクを持つ前の顔に似ていた。
「いいね」
森田先輩はうなずいた。
「じゃあ、まず三曲。あと、噂に負けないこと」
「噂に負けない?」
「先に言葉が走ると、音が追いつかなくなるから」
森田先輩はそう言って、軽く手を上げた。
「じゃ、頑張って。来月までに三曲、仕上げてよね」
それだけ言って、先輩は校舎の方へ歩いていった。
僕らはしばらく黙っていた。
風が吹いて、ポンタの持っていたチョコの空き袋がカサッと鳴った。
「先輩、カッコよかったっすね」
ポンタが言った。
リョウコが空き袋をきれいにたたんで、スケッチブックにはさむようなしぐさをした。
「稲妻のピックの横に、ブラックサンダー置いたら合いそう」
「スポンサーみたい」
僕が言うと、リョウコが笑った。
「いつかね」
いつか。
その言葉が、妙に遠くまで響いた。
昼休みの終わりのチャイムが鳴った。昨日は、昼休みが少し遠くへ伸びた気がした。でも今日は違った。
遠くへ伸びた道の先に、誰かが立っていて、こっちへ手を振った。
僕らはまだ下手だ。曲も足りない。ライブの場所も日程も決まっていない。噂だけが先に走って、音はまだ追いついていない。
だけど、追いつけばいい。三曲、止まらず最後まで。
僕はその言葉を、ギターのコードみたいに何度も頭の中で押さえ直した。
音庭ビート(仮)は、まだ噂の中にいる。
でも、次のスタジオで、少しだけ本物に近づける気がした。
ライブ!目標来た!




