地熱噴出。
ドーンソリアの東の地、フォースポイントでは、絶え間なく吹き付ける乾いた風が、地上に穿たれた無数の廃坑の中へと飲み込まれていました。
かつてのこの地は、豊かな鉱物資源に恵まれた、地政学的要所の一つでした。
しかし、それも昔の話です。
過酷な砂の大地は、おびただしい人々の野心や欲望、その全てをも飲み込み跡形もなく消化してしまいました。
そして今、この地は枝分かれした無数の坑道内に、たった二人の鉱夫を残すばかりです。
ごろり。
足元へと転がり落ちた岩の塊を見つめながら、シャズがうんざりとしたように鼻を鳴らします。
「この辺りは、やけに岩が多いな。邪魔で仕方がない」
耳をつんざき、ときに火花を散らしていたつるはしの先端がぴたりと止まります。
セイムはつるはしの柄を支えに背骨を伸ばすと、その場に腰を下ろします。
シャズの無駄口は、休憩の合図のひとつでした。
足元に広がる乾いた砂利に触れながらセイムが言いました。
「地下水が染みてこないのもそのせいでしょうか?シャズさん」
「いや」
短くそう答え、シャズはマッチを擦ると咥えた煙草に火を点けます。
彼は居眠りでもしているかのように目を閉じたまま言いました。
「関係ない。水が減ったのは冬だからだ。凍ったんだ」
「ああ」
セイムは納得するように、深く頷きました。
シャズの吐き出された煙が、頭上で雲のように静かに流れていました。
気温が下がれば水は凍る。水は凍れば動かない。そんな当たり前のことですら、地下の暗闇は忘れさせていました。
ふうっと息を吐きながら、シャズが言います。
「少し離れたところに、山脈がある。冬が終わると、そこの雪解け水が一気に地下へと流れ込む。昔はな、セイム」
「はい」
「地下に流れ込む水が邪魔だと言って、辺り一帯を年中氷漬けにして穴を掘った。馬鹿な連中だ。だがおかげで、この辺りには今はもう、誰も寄り付かない」
「どうして誰もいなくなってしまったんでしょうか?」
「さあな、おおよそ規模をでかくし過ぎたんだろう。割に合わなくなって一気に集団が崩壊する。よくあることだ」
壁に背を預けながらそう告げるシャズ。
彼は知っていました。
人の時代、それと共に移り変わった、必要とされるもの。
血で血を洗うような勢力闘争が終わり、この世界のどこかでは、朽ち果てた城壁や武器が至る所に眠っています。
今、必要とされていたのはエネルギー。
しかしながら、それは決して大勢にとってものではありません。
「シャズさんもその頃からここに?」
セイムの問いが硬い壁に反響し、やがてそれは静寂に飲み込まれていきました。
いつものように、すべてを嘲笑うかのようにシャズは喉を鳴らします。
「まさか、お前は俺が誰かの言うことを聞いて、真面目に働く奴に見えるのか?」
「見えませんね」
「そうだろう」
まるで褒められたかのように、シャズはどこか満足げに煙を吐き出しました。
セイムは少しだけ考えます。
「では、皆さんがいなくなったあとに来たんですか?」
「ああ」
「どうしてです?」
「誰もいないからだ」
シャズの傍らに転がる岩を見つめ、セイムはまた少しだけ考えました。
煙草を指に挟んだまま、シャズは足元に転がっていた小石を靴先で蹴りました。
小さな音が坑道の奥まで転がっていきました。
ランプの光すら届かないその先には、これまで彼らが掘り進めてきた穴が続いていました。
「人がいなくなった鉱山というのは悪い場所じゃない。土地代もかからない。採掘権を主張する奴もいない。掘った穴も、捨てられた道具も、その辺に転がってる資材も全部好きに使える。お前らが来るまでは、面倒なトラブルとも無縁だった」
喉の奥で笑うシャズを見て、セイムもまた、口元に笑みを浮かべます。
「すみませんシャズさん、邪魔をしてしまって。ピナさんにもご迷惑をかけてしまいました」
シャズは短くなった煙草を口元へ運び、深く吸い込みます。
赤い火がじじじ。一瞬だけ強く灯りました。
「あいつはそんな女じゃない」
吐き出された煙の向こうから、低い声が聞こえます。
「ピナは忍耐のにの字もないわがままな奴だ。俺と違ってな」
「そうでしょうか?」
「そうだろう。どう見ても」
彼は煙草を地面へ落とし、靴底で揉み消します。
「セイム」
「はい」
シャズは手にしたつるはしで、傍らの岩を軽く小突きました。
かん、と短く響く乾いた音。
それは休憩の終わりを意味していました。
「こいつを外に運んどけ。ついでに、屋敷に戻って昼飯を取ってこい」
「はい」
セイムには、聞きたいことがまだまだ沢山ありました。
あの男、葛野がなぜこの地を選んだのか。
ピナとどのようにして出会ったのか。
なぜ穴を掘り続けるのか。
このときも彼は、それら疑問を胸の奥に秘めておくことにしました。
なぜならば、シャズもまた、セイムが抱える過去や事情について、滅多に触れようとはしなかったからです。
セイムは滑車から垂れ下がるロープを手繰り寄せ、それを手際よく岩に巻き付けます。
先人たちの知恵は、彼の力をおよそ八倍くらいにしていました。
ふらふらと左右に揺れながら、岩は静かに持ち上がります。
そしてその背後です。
休憩を終えたシャズが、大きく振りかぶったつるはしを岩壁へと振り下ろします。
―――ぎゃツン!
と、なにかが割れるような音。
二人の鉱夫は、すぐにその異音に気づきます。
「ん?」「え?」
静寂は一瞬でした。
―――ごごごごごごご!!!
分厚い岩盤の向こうから聞こえたのは、地底そのものがひっくり返るような、文字通りの地鳴りです。
「セイム」
「はい」
「お前泳げるか?」
「はい、少しなら」
「そうか、一応息を止めておけ」
シャズがそう言い終えた直後、岩壁に突き刺さっていたつるはしが吹き飛び、それは目にも止まらぬ速さで天井へと突き刺さりました。噴き出す水蒸気が、瞬く間に坑道内を飲み込みます。
セイムは返事をしませんでした。彼の脳裏によぎったのは、ジゼルの笑顔などではありません。ぐねぐねと曲がる剥き出しの岩壁。途中支え木が飛び出した、月のクレーターのように抉れた、出口までの長い長い道のりです。
運が良ければ、ウォータースライダーの要領で無傷かもしれません。
しかし、悪ければ……彼は激突して一丁上がりです。
―――ぶしゃああああ!!!
『!!』
穿たれた小さな穴を起点に、閉じ込められていた凄まじい圧力が一気に解放されます。
その力の奔流すさまじく。固まったままの二人の鉱夫を、辺りの小石もろとも押し流してしまいます。
ドーンソリアの東の地、乾いた砂の大地の地下で、シャズが掘り当ててしまったもの。それは途方もない湯量を秘めた温泉の水脈だったのです。
―――
その頃。
午後の陽光が降り注ぐ屋敷の中は、地下の喧騒が嘘のように穏やかな静寂に包まれていました。
ひと通りの家事を終えた二人の前、リビングのテーブルには、湯気を立てる温かいお茶と、焼き立てのお菓子が並べられています。
からりと乾いた風が窓を軽く揺らす音だけが、のどかな時の流れを告げていました。
カップを傾けながら、ピナが世間話の延長のような、鼻から抜ける香りを楽しむついでのような、ごくごく軽い調子で切り出しました。
「それで、昨日はどうだったの?ちゃんと話せたの?少しは進展したのかしら?」
「……えっ?」
テーブルの向かいに座るジゼルの身体がびくりと跳ねます。
手に持っていたフォークがカチャリと音を立て、視線が泳ぎ出します。
実際のところ、昨夜なにがあったかといわれれば、劇的な何かがあったわけではありません。
ただ少し言葉を交わしただけで、二人の関係を示す名詞が変わったわけでもありません。
けれど、ジゼルにとってその少しは、胸の奥を激しく揺さぶるほどの重大な出来事でした。
詳細に思い出し、言葉にして説明しようとすればするほど、自分の顔が熱くなっていくのがわかります。
「あ、ええと……その、話すには、話しました、けど……」
しどろもどろに言葉を濁し、ジゼルは必死に俯きます。
ピナは何度か探るように様子を見ていましたが、真っ赤になって黙り込んでしまったジゼルの姿に、ほんの少しだけ残念そうに肩をすくめます。
「そう、教えてくれないのね?ならいいのよ」
「ふ、ふう……」
あっさりと引き下がったピナに、ジゼルはひとまず胸を撫で下ろします。
しかし。
「アリーちゃん」
「はい!」
「ちょっといいかしら?」
「もちろんです!ピナ様!」
安堵したのも束の間、ピナは何事もなかったかのように立ち上がり、近くに佇んでいたアリーの方へと歩み寄っていきました。
(……え?)
ジゼルの胸に、なにか形容しがたい、嫌な予感が走ります。
ピナはすっかり扱い慣れたような手つきで、アリーの顔面のディスプレイに触れました。
いくつかの操作を経て、画面に投影されたのは、彼女の優秀なセンサーが捉えた昨夜の様子です。
「まさか悪趣味だなんて、言わないわよね?」
振り返ったピナが、いつもの調子でふふふと笑います。
それを見た瞬間、まるで稲妻にでも打たれたかのような衝撃がジゼルに走ります。
ピナは知っている。かつて、夜中にこそこそと部屋を覗いていたことを、それを知ったうえで、彼女はずっと黙っていたのだ、こういう時のために……っ!!と。
ピナのたった一言で、ジゼルはそのことに気づいてしまったのでした。
ジゼルが絶句する中、投影された映像には本当に大したものは映っていませんでした。
少し離れた位置に腰を下ろす、セイムとジゼル。
長い沈黙。
セイムがぼそりとなにかを呟く。
ジゼルが小さく返事をする。
そしてまた、気まずいほどの長い沈黙。
ピナもしばらくは真面目な顔で画面を見つめていました。
ですが、あまりにも何も起こりません。
ピナは無言のまま画面を操作し、倍速再生に切り替えました。
かさかさとコミカルに動く映像の中の二人。
ジゼルにとって、それは身をよじりたくなるほど恥ずかしい光景でした。
(やめて、お願いだから見ないで……!)
その思いが、言葉になることはありません。
さらに恐ろしいことに、ピナはただただ流し見ているわけではありませんでした。
二人の距離がほんの数センチ近づいたり、セイムが何か重要そうな表情で口を開きかけたりした瞬間だけ、何食わぬ顔で通常速度へと戻すのです。
そしてその執拗さが、普段のピナの延長線上に確かに存在していることを、ジゼルは漠然と理解していました。
やがて映像の中の二人は、どちらかともなく会話を終えました。
ジゼルが軽く頭を下げ、自分の寝床へと向かいます。
セイムもまた、それを見送ったあと、毛布の中へと身体を滑り込ませました。
しばらくの間、何も起こりません。
横になった二人の身体から少しずつ力が抜けていき、先に眠りについたのはジゼルでした。
規則正しく上下する肩。静かな寝息。
映像の中の彼女は、今と見違えるほど穏やかに眠っています。
一方のセイムも、やがて同様に眠りについたかといえば、それは少しだけ違いました。
彼の毛布が、もぞもぞと動き始めます。
聞こえてくるのは、小さな小さな衣擦れの音。
「あら」
ピナは顎を引き、心の底から心配するように、片手を頬に添えながら言いました。
放心していたジゼルがようやく意識を取り戻したのも束の間、第二の衝撃が彼女を襲います。
「セイム君たら、またひとりでしちゃったのね」
「はわー!!!はわっ!はわっ!!!はわーーー!!」
両手をばたつかせながら、画面の前へと割って入るジゼル。
その口から発せられたのは、もはや言葉ではありません。
彼女の体を突き動かしていたのは、なにかに対するあまりにも苛烈な使命感でした。
ピナは茶化したり、誤魔化したりしませんでした。
彼女は片方の頬に触れたまま、少しだけ真面目な、少しだけ深刻な、けれど温かい眼差しをジゼルへと向けました。
「シオちゃんは、セイム君とエッチしたくないの?」
「え……」
からかうような響きではなく、そこに在ったのは、ただ一人の女として寄り添うような静かな問いかけでした。
ジゼルはまた慌てて手を振ろうとしましたが、どういうわけかできません。
すとんと落ちた両腕を眺めながら、ピナはくすりと微笑みました。
彼女は静かに言葉を重ねます。
「別にね、そう思うこと自体は悪いことじゃないのよ。当たり前のことなんだから」
当然のようにそう告げられ、ジゼルは少しずつ呼吸を整えていきました。
胸の奥に渦巻く熱を少しずつ噛みしめ、考えを巡らせます。
近づきたくないわけじゃない。
特別になりたくないわけじゃない。
もっと自分だけを見て欲しいという欲望が、胸の奥にないと言えば嘘になる。
けれど。
ジゼルは視線を落とし、絞り出すように正直な心を打ち明けました。
「……そんなことはありません。でも、セイムさんには……まだ、セイムさんでいて欲しいんです」
そう言葉にした瞬間、今までぼやけていた自分の思いの輪郭がはっきりと見えた気がしました。
「あら……」
ピナの口から漏れたのは、呆れとも感嘆ともつかない短い声でした。
恥ずかし気に顔を伏せながらも、一歩も引かない目の前の少女を見つめます。
その背後で、小鳥の羽ばたく音が聞こえていました。
ピナはどこか眩しそうな、あるいは誇らしげな笑みを浮かべました。
それはいつもの笑顔、なのに、ほんの少しだけ寂しげでもありました。
「ふふふ、ご馳走様」
ピナは得意げにそう告げました。
「もう!ピナさん!!」
まるで、好物を一匙取られたかのように、ジゼルはそう言い返しました。
―――ごごごごごご!!……ぶしゃあああ!!!
『!』
突如鳴り響く、凄まじい音。
二人は窓の外を見ました。
「……あれは」
ぽつりと呟いたのはアリーです。
彼女の顔面ディスプレイには、窓越しに捉えた天高く吹き上がる水の飛沫と、その頂点に架かる鮮やかな虹が映し出されていました。
『……』
人知れず映像は沈黙し、それどころではないといった様子で三人は顔を見合わせました。
リズミカルな蹄の音。モーターの駆動音。そして、パタパタと軽やかな足音。
忙しなく連なるその音たちは、やがて、開け放たれた扉の向こう側へと消えていきました。




