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対人接続支援型、ALI-E/07-FPより、超巨大地下空洞群、通称ホローポイントの概要。

 酒場を少し離れると、生ぬるい排気は完全に消え失せ、代わりに容赦のない海風が正面から吹き付けてきました。


 アリーの言った通り、この辺りの損傷は特に激しいものでした。

 風雨と塩害に晒され続けた外装は、めくれ上がった魚の鱗のように剥がれ落ち、歩を進めるたびに足元の鉄板が頼りなくベコベコとたわみます。

 打ち捨てられた掘削機械が山のように積まれ、それ自体が壁や天井といった通路を形成していました。

 かつて、主の居た道具たち。その繋ぎ目には白く乾いた塩がこびり付いていました。

  足元に散らばる砂と錆びは、風が吹くたびに薄く舞い上がります。

 

 セイムは、吹きつける風を避けるように外套の襟を寄せながら、前方の景色に目を細めました。


 酒場の窓から見たときは、あの船首の残骸はもっと近くにあるように思えました。

 ほんの少し歩けばたどり着ける。

 そんな距離に見えていたのです。

  

 ですが、実際に足を踏み入れてみると、その距離感がいかに欺瞞(ぎまん)に満ちたものだったのかを思い知らされます。

 錯覚の理由は、すぐに分かりました。

 断崖から大きく飛び出した街の一部―――巨大な船首は、海に向かってわずかに下へと傾いていたのです。

 その傾斜が、酒場の窓から眺めたとき、奇妙な遠近感の狂いを生じさせていたのでした。

 

 実際の通路の密度は、窓越しに見たそれの数倍に等しいものでした。

 視界を埋め尽くすのは、歪んだフレーム。斜めに沈んだ連絡橋。何かの残骸。 

 行き止まりのように見えて、途中から別の梁へと繋がる細い道。

 壁面から突き出た太い配管をまたぎ、崩れた床板の隙間を避け、かつては整備用だったであろう狭い通路を何度も折れ曲がって進まなければなりません。


 それは、上空から眺めた都会の街並みを歩くことに似ていました。


 遠くから見れば、それは一つの大きな塊に過ぎません。

 ですが、実際に足を踏み入れれば、道は無数に分かれ、重なり、曲がり、すぐそこに見えていた目的地へ辿り着くために、思いがけないほど長い迂回を強いられる。

 

「こちらです、神様!」


 アリーは振り返って、顔面に大きな矢印を表示しました。


 その矢印はセイムの進むべき方向を示しているのだと思われましたが、同時に彼女自身が指さしている方向とは微妙にずれていました。


「こんな道を通っているんですか?あなたたちは、いつも」


「いいえ!」


「え?」


 セイムは、返すべき言葉を一瞬だけ失います。

 その足元で、小さな金属片がからん、と鳴りました。


 見下ろすと、踏みつけかけた床板の端が、わずかに沈み込んでいます。底の見えない暗がりが、隙間の向こうに口を開けていました。


「お気を付けください神様。そこは、三日前のアリーが落ちかけた場所です」


「……」


 アリーの言った通り、いっそう足元に注意しながらセイムは彼女の後を追いました。


「この辺りの地形は、定期的に変動します。その都度わたしは新たな安全ルートを探します。ゆえにアリーの世界は、絶えず新たな発見と喪失に満ちているのです!」


 擦り切れた首の布をなびかせ饒舌に語る背中に、セイムはささやかな頼もしさを感じました。


 途中、二人は大きく迂回します。


 街と船首を分断するように、地面に巨大な亀裂が走っていたためです。 

 亀裂の端の片側は、街から完全に切り離されて、宙に浮いている状態でした。

 その断面は、海風に浸食され、すでに岩肌を思わせる質感をしています。

 もう片側は、積み重なった瓦礫の下で辛うじて付いている状態なのでしょう。アリーが目指したのはそちら側でした。

 

 セイムは亀裂の下を覗き込みました。


 ケーブルでもロープでも足場でも、ジゼルが降下していったであろう場所へ、一歩でも近づくための手掛かりを探していたのです。

 しかし、彼の思惑が打ち砕かれるのに、一秒もかかりませんでした。

 街の裂け目とも呼べる南北に走る巨大な亀裂。その下には、東の海の荒波が、うねりながら白く見えていたのです。


「…」


 そっと身を引き、セイムはアリーの後を追いました。

 両足は確かに地面を捉えているはずなのに、内臓だけが下へと落ちていくような感覚が下腹部に広がります。


「……枝の先の、木の実のような状態ですね」


 セイムは、とりとめもなく口にします。

 思いのほか手の届かないところにあったり、一箇所だけで危うく繋ぎ止められていたり―――咄嗟に出た比喩表現にしては、自分でも少しだけ、この状況を言い当てているように思えました。

 するとアリーは、彼の淡い期待に応えるように、大げさとも思える態度を取って見せました。


「素晴らしいです、神様!アリーの言語表現ベースが更新され、それに伴う幸福報酬を獲得しました!」


 彼女は胸の前で小さな両手をきゅっと握りしめ、黒いガラスの顔面いっぱいに、パチパチと拍手する手のアニメーションを点滅させました。

 表示されていた大きな矢印は、いつの間にか画面のわきに追いやられています。


「木の実とは、時に様々な象徴として用いられていると認識しています!万有引力に……ヤギ飼いカルディ……冥王ハデスとペルセポネーなど、いずれも知恵や発見、豊穣のシンボルとして、神様の言語交流において、木の実は欠かせないものですよね!」


 思いのほか博識なアリーにたじろぎながら、セイムは言いました。


「物知りなんですね。それと、僕を神様と呼ぶのはよしてください。アリー」


「いいえ!神様は神様です!」


 彼女はひとしきり体を揺らして喜んだあと、またくるりと背を向け歩き出しました。


「わたしたち自動端末も、神様の知恵にあやかり、木の実からたくさんの学びを得たいものです!少なくともアリーはそう思うのでした。」


 傾斜する船首の先、じっと海を見つめる自動端末たちの姿が、瓦礫の隙間からいよいよ明確な輪郭をもって、二人の前に迫りつつありました。


「見えてきました!もう少しです!引き続き、足元にはくれぐれもご注意くださいね!」


 風が、アリーの首に巻かれた布を持ち上げます。

 一段と軽やかになった足取りを、セイムは引き続き追いました。


 ふと振り返れば、折り重なった建物の上に酒場のガラス窓が見えています。

 それはつまるところ、向こう側からもこちらが見えていることの証明にほかなりませんでしたが、セイムはそこまで深く考えてはいませんでした。


「そう言えば、ホローポイントとはなんのことですか?」


 酒場で耳にした聞き慣れない単語を思い出したかのように尋ねます。

 するとアリーは足を止め振り返り、セイムの顔を正面に捉えます。


「はい!ホローポイントについての概要説明ですね?」


 黒い鏡面ディスプレイに、街の簡略的な全体像が映し出されました。

 船首と思われる場所で二つのドットが点滅します。


「まずは、ここが今アリーと神様のおおよその現在位置です」


 セイムは、映し出された街の断面図に思わず息を呑みました。

 街の深部は、海面と思わしきラインを突き抜けて、そのさらに下に位置していたのです。

 

 表示された街の簡略図が、ゆっくりと上へ滑っていきました。

 二人の現在位置が画面の外側へと移った頃、街の真下に当たる部分―――広大な楕円状のエリアが、警告色のような赤で点滅を始めます。


「そしてここが、ホローポイントです!」


 セイムは、冷たい風に目を細めながらも、彼女の画面にかじりつくように視線を注ぎました。


「ホローポイントは、メィガ地方の地下に広がる超巨大地下空洞群のことです。現在確認されている範囲だけでも、このジョズの街全体をすっぽり飲み込めるほどの規模があり、そしてこの街においては、天然資源採掘空域として機能しています!」


「採掘空域…?」


 また、彼の辞書にない奇妙な言葉が出てきました。

 地下なのに、空域。

 空域なのに、採掘。

 シャズと共に、硬い岩盤を掘り進める生活を当たり前としてきた今のセイムの常識では、その二つの概念は決して結びつきません。


 街全体が収まってしまうような底知れない空洞内部を、この街の人々はワイヤロープにぶら下がり、虚空に向かってつるはしを振るうというのだろうか?

 そのあまりに危うい作業を想像しただけで、セイムは背筋に走る冷や汗を禁じ得ませんでした。


「そんなところでどうやって、採掘作業を行うのでしょうか?」


 困惑するセイムをよそに、続くアリーの声に反応するように楕円のエリアがぐっと拡大され、いくつかのテキストが強調表示されていきます。


 それぞれ、『海面』・『第一層』・『第二層』・『第三層』・『第四層』と、ありました。


「はい!まずはこちらをご覧ください。ホローポイントは、非常に高密度なエレメントで充填されているため、海面より下に生成されています。しかしその特異な環境ゆえに、空洞内部は一部、浮きシップでの飛行が可能となっているのです!

第一層、『境界海域』。海底と面するエリアです。こちらは海中を抜けた採掘船がドロップする層となっています!」


 セイムは、眉間のしわをいっそう深めました。

 彼は、浮きシップについて多くの知識を持っているつもりでした。

 始祖とも呼べるジャージー型から、プレイヤーたちと共に大空を駆け、発展を遂げてきた進化の系譜にいたるまで、記憶する限りの最新機種までのすべてを思い浮かべることができます。

 しかし、そんな彼の情熱と知識をもってしても、海中を潜るシップなど、噂を耳にしたことさえありません。


 セイムの怪訝な表情を読み取ったのか、アリーはそれ以上の説明を一時保留します。

 ですが、その小さな肩は、次の説明を喋りたくて待ちきれないかのように、忙しなく上下に揺れていました。 


 セイムは唇をわずかに尖らせ、思考の迷宮に足を踏み入れながら言いました。


「つまり、浮きシップが海に潜るということですか?」


「はい!『通過』といった方が表現としては近いかもしれません!」


「海を…通過……?」


「はい!」


―――そんなことが可能なのか…?時に数千トンの浮力を持つ船体を水に、それも海水に沈めることなど……そもそも、シップの構造上xxxが〇〇〇で、▲▽がうんたらかんたらで…………。

 と、それは目まぐるしく高速で回り始めた彼の脳細胞の囁きでした。

 人は、答えの無い問いに直面したとき、どうにかして、自らの内にある知識だけで道を舗装し、理屈を積み上げ、答えへと辿り着こうとします。

 一方で、すでに答えを知る者にとって、この時ほどもどかしい瞬間はないのかもしれません。

 対人接続支援型としての役割を健気に果たし続けるこの自動端末には、特に耐えがたいものがあったのでしょう。

 アリーは、今にもノイズ交じりの声を上げそうに、うずうずと小さな体を揺らしています。


(独自に改造を施されたシップなのだろうか?)


 その疑問が声になることはとうとうありませんでした。


「わかりました。続けてください、アリー」


「はいっ!」


 アリーは待ってましたと言わんばかりに声を弾ませました。

 画面はさらに下へとスクロールしていきます。

 先ほどのセイムの反応から、何かしらの改善点を見出したのか、アリーのディスプレイには面に浮かぶ船。星のようにきらめく光のアニメーションが映し出されます。


「では第二層!こちらは、『浅層エレメント域』となっています!こちらがジョズにおける主要な採掘エリアになりますね。質量とエレメントの均衡が保たれるギリギリの深度で、これより下層は、その影響力が徐々に逆転すると言われています!もっとも、エレメントを認識するセンサーが搭載されていないアリーには、さっぱり未知の世界なのですが」


 セイムは同意を表するように深く頷きました。

 画面の強調表示は、さらに一段下の第三層へと移ります。


 光のラインの上に浮かぶ船の下。奇妙な生物と思わしき物体が蠢いています。


「第三層。『深層域』、超高濃度のエレメントで満たされた空域となっています。採掘船の最終到達地点であり、採掘作業はここ、深層域の表層に浮上した状態で行われます!性質としては海面に似ていますが、船から落ちたら大変です!偶然落下してしまった仲間の通信記録によれば、『落ちている。しかし、それすらも分からなくなってきた』だ、そうです!珍しい地底の生物たちの生息地にもなっていますね!どのような生き物たちが住んでいるのでしょう?アリーはとても興味があります!しかし、残念ながら、一切のデータはありませんけれど……」


 アリーは、まるで楽しいおとぎ話でも語るかのように、不釣り合いなほど明るい口調でそう言いました。

 落ちていることさえ分からない。

 未知の地底生物。

 セイムはごくりと唾を飲み込みました。


「そして、第四層。こちらは『未踏領域』と呼ばれています。存在すること自体は分かっているようなのですが、詳細な観測データなどは今のところ未登録になっています。ホローポイントの約八割以上を占めている非常に広大な領域とも言われているみたいです!」

 

 第四層、未踏領域。

 アリーの顔面の暗いガラスに、その底知れない暗黒の広がりが映し出されたまま、静かに表示は停止しました。


 ジョズの街を丸ごと飲み込む深淵。その八割以上を占めるという未知の虚空を、セイムもまた想像することしかできません。

 そこは、かつてアリーと同じように誰かのために作られた自動端末たちが落ちて行ったかもしれない場所であり、今なお、ひとり下層へと降りてしまったジゼルの足元に広がりつつあるかもしれない場所でもありました。


「わかりました。アリー。教えてくれて、本当にありがとうございます」


 セイムは、自分の声を吹き荒ぶ海風にかき消されないように、少しだけ喉を絞って言いました。

 それは恐怖を誤魔化すための言葉でもありましたが、同時に、目の前の博識で健気な端末に対する、彼なりの精一杯の敬意でもありました。


 アリーの胸の発光端子が輝き、画面には再び拍手のアニメーションが映し出されます。


「どういたしまして!アリーは再び幸福報酬を獲得しました!まだほかにお役に立てることはありませんか?」


 セイムは思わず、口の端を綻ばせます。


「いいえ、もう大丈夫です。先に進みましょう」


「はい!」


 アリーはくるりと振り返り、片方の拳を灰色の空に向かって力強く突き上げました。


「では!しゅっぱーつ!」


 勇ましい号令と共に、全身の関節をキシキシと軋ませるアリー。

 セイムは引き続き、彼女の後についていきました。

 




 

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