第七話 休日と関税
柔らかな春の風が吹く昼下がりの学食。矢川蓮、七瀬柚葉、高嶺悠真の三人は、昼食を運んでくると、自然と雑談へ流れていた。
「そういや七瀬って、本読む以外に趣味とかあんの?」
「お菓子作りかな。あとは散歩」
「へえ、意外と家庭的なんだな」
七瀬がくすっと笑う横で、矢川は興味なさそうにスプーンを回していた。
「矢川くんは? 料理はしないの?」
「授業以外ではしたことはないな」
「うわぁ、徹底してんな……」高嶺が呆れる。「じゃあ趣味は?」
「読書、筋トレ、ヨガ、麻雀」
「麻雀って、お前……渋いな」
「ルールと確率を理解すれば、あとは心理戦だ。理屈を知らない相手は、ただのカモになる」
「趣味の話まで、なんでそんな殺伐としてんだよ」
「心理戦……」七瀬が、小さく反応した。「それは、ちょっと興味あるかも」
矢川は七瀬を一瞥し、わずかに口角を上げた。
「なら、今度教えてやる。ただし、遊びでやるつもりはない。勝ち負けにこだわらないなら、覚える意味はないからな」
「ふふ、分かった。お願いします」
じっと見つめ返してくる七瀬に、高嶺が「お前ら、普通にボードゲームって選択肢はないわけ……」と嘆息する。
「高嶺くんは? 趣味」
「俺はゲームと映画。あとは、バイク。免許、今度取ろうと思ってるんだ」
「バイク」矢川が意外そうに眉を上げた。「移動手段としては良いが、趣味としては理解しがたいな」
「風を切って走るの、気持ちよさそうじゃん」
「意外と、自由を求めるタイプなんだな」
「お、分析された」高嶺が苦笑する。「趣味なんて、好きなことやって楽しけりゃいいんだよ」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
迎えた休日。玲奈も誘ったが「その日は用があるの、ごめんね!」と明るく断られ、結局、三人での外出になった。
向かったのは、入徳館の最寄り駅から電車で数駅の「神楽通り」。昔ながらの商店街と個人経営の名店が並ぶ、落ち着いた街だ。
矢川の案内で、通りの奥の古書店『矢神書房』へ。扉を開けると、紙とインクの匂いが静かに満ちていた。
「うわぁ……素敵」
七瀬が書棚を見上げ、目を輝かせる。
「ほら、こういうとこ、俺には敷居が高いんだって」
高嶺が苦笑しながら続く。矢川は迷わず奥の棚へ、七瀬は文学書のコーナーへ散っていった。
「ねえ、これ……」
七瀬が手にしたのは、ブラッドベリ『華氏451度』だった。
「前から読んでみたかったんだ。書物の価値について考えさせられるって、聞いて」
「焚書をテーマにしたディストピアだ。悪くない」
高嶺は結局、七瀬の勧めで馴染みやすそうな短編集を一冊だけ買った。
本屋を出て、商店街の喫茶店「月影」に入る。クラシックの流れる、常連の多い落ち着いた店だ。
「ブレンドで」「私はカモミールティー」「じゃあ俺、クリームソーダ」
「……一人だけ、妙に浮いてるな」
「いいだろ。たまには甘いのも飲みたくなるんだよ」
運ばれた飲み物を前に、しばらく穏やかな時間が流れた。矢川は買ったばかりの『貞観政要』を袋から出す。
「お前、原文かよ……」高嶺が覗き込む。「まあ、矢川らしいけど」
その高嶺が、ふと思い出したように声を落とした。
「そういや、昨日、妙な噂を聞いたな。なんでも凄腕のハッカーで、システムの隙をつくような裏技を使ってTOKを荒稼ぎしているんだとか」
「……眉唾だな」
矢川は興味なさそうに茶を含んだ。だが、その一言だけは、意識の隅に静かに書き留めた。
夕暮れが商店街をオレンジに染める頃、三人は駅へ向かった。門限までには、まだ余裕がある。
「このまま帰るの、もったいないな」高嶺が未練がましく言う。
「今日は十分だろう」
「そうだね。また来ればいいんだし」
七瀬が穏やかに言うと、高嶺も渋々頷いた。
「次はどこ行くか、計画立てないとな。……いや、やっぱ七瀬と矢川に任せるわ。お前らと行くとこなら、たぶん俺も楽しめる」
矢川は、高嶺が言外に『お前らといれば、どこでも楽しい』と言ったことに気づいたが、それには触れず、静かに返した。
「それなら、次はもう少し遠出してみるか」
入徳館へ帰るバスに乗り込む。窓の外を、夜の街の灯りが流れていく。
高嶺と七瀬が次の遠出の話をする声を聞きながら、矢川はぼんやりと車窓を眺めていた。
(……妙だな)
楽しい時間を過ごしたはずなのに、胸の奥に、小さな引っかかりが残っている。らしくない。流されている。効率面から考えれば、今日の時間の大半は「無駄」に分類されるはずだった。
なのに、それを無駄だと、切り捨てられずにいる自分がいる。
図書室で七瀬に問われた言葉が、ふいに蘇った。いつか『意味』を持たざるを得ないときが来たら、どうする、と。
矢川は短く、自嘲した。
(……まあ、今日は流されるのも、悪くないか)
視線を車窓へ戻す。ふと、隣の七瀬がこちらを盗み見ていたことに気づいた。だが、彼女が何を考えているのかは、相変わらず、読めなかった。
「おーい、矢川。聞いてるか? 次の休み、遠出ってどこがいいんだよ」
高嶺が肘で軽く小突く。
「……ああ。そうだな、登山でもどうだ」
「おっ、それらしいこと言うじゃん」
バスは夜の道を走り、やがて入徳館前の停留所へと着いた。
まるで普通の高校生のような、穏やかな休日だった。
だが、入徳館という箱庭は、そんなささやかな一日を、最後まで穏やかには終わらせてくれなかった。
正門ゲートをくぐろうとした、その瞬間。
ピピッ。
無機質な電子音とともに、三人のスマートウォッチが一斉に赤く明滅した。
『外部物品の持ち込みをスキャン。規定の関税として、一人につき二五〇TOK、計七五〇TOKを徴収します』
残高表示が、容赦なく削られていく。
「はあっ!? 冗談だろ!」高嶺が声を荒げた。「買ったのは、ただの古本だぞ!?」
「学校のルールだ。外界の価値で得た『豊かさ』を、システムは許さない」
七瀬が、申し訳なさそうに『華氏451度』を胸に抱いた。
「ご、ごめんなさい。私が、古本屋に行きたいなんて言ったから……」
「気にするな。これはシステムの問題だ」
だが、矢川の目からは、先ほどまでの穏やかな光が消えていた。そこにあるのは、氷のように醒めた策略家の眼だ。
古本を抱えて詫びる少女から、その本を読む自由の分だけ、税を毟り取る。よくできた檻だ。この学校を作った連中の悪趣味が、こんなところにまで滲んでいる。
「……このゲートの関税システムは、致命的なボトルネックだ。何かを持ち込むたびに資産を毟られていては、いずれ干上がる」
「どうすんだよ。関税は絶対だぜ? 誤魔化して持ち込むのは、まず無理だ」
「不可能じゃない」
矢川は、ゲート頭上の監視カメラを見据えた。
「あの噂、システムの隙をつく、凄腕ハッカー。あれが本当なら、必ずどこかに穴がある。早急に、密輸のバイパスを構築する必要がある」
「心当たりでも、あんのか」
「……まずは吉海に、その噂を洗わせる。少々、手荒な交渉になるかもしれんがな」
入徳館のシステムを欺ける、唯一の異端者。
矢川蓮が『意味』を問う、短い日常は、ここで終わりを告げた。




