第四十一話 疑惑の缶
翌朝、五時半。
雨は上がっていた。
第三寮の裏手にある資源ごみの集積所には、青いコンテナが六つ並んでいた。缶、瓶、ペットボトル。回収車が来るのは午前八時だ。
「……なんで俺が、朝っぱらからゴミ漁りなんだよ」
工藤がゴム手袋をはめながらぼやいた。
「うちの面子で一番、異変に気づきそうだからだ」
矢川は缶のコンテナの蓋を開けた。
金属と甘ったるい匂いが、湿った朝の空気に混じって立ち上る。
「缶ごみの回収は週1回月曜の朝。だから前回は四日前じゃ」
碧が隣でしゃがみ込む。ワイシャツの袖をまくり、ゴム手袋を手首まで引き上げた。
「三日前の缶なら、まだ残っとるはずじゃ」
「銘柄は絞れているが小野寺が飲んだ缶をどう見分ける?」
「本人に聞いた。あの人、飲み終わった缶のプルタブを外してから捨てる癖があるんよ」
「三日前も?」
矢川が訊いた。
「覚えてはいないと言っとたが」
「候補を絞る手がかりにはなるな」
三人で、缶を一本ずつ取り出して並べていく。
同じ銘柄の缶コーヒーは十四本。そのうち、プルタブが外されていたのは三本だった。
「この中のどれかが、小野寺が捨てた缶かもしれん」
碧は三本を並べた。
「プルタブの有無だけじゃ、まだ特定できんね」
工藤が腕を組んだ。
「じゃあ、ここまでか?」
「いや」
碧は三本を一本ずつ手に取り、缶底の溝を確かめた。
その手が止まった。
「……あった」
「何が」
「これ」
碧が示したのは、缶底の縁にある細い溝だった。目を凝らさなければ見えない、小さな点。透明な樹脂のようなもので塞がれている。
「小さな穴を塞いだ跡かもしれん。中を調べるまでは、何をしたものか分からんけど」
「三本のうち、これだけか」
「うん」
碧は、缶を両手で持ち上げた。
塗装が剥がれかけて、所々、銀色の地肌がむき出しになった空き缶。見た目は、ただのゴミだった。
「この缶が小野寺くんのものかも、まだ確定じゃない。けど、同じ銘柄で、プルタブが外れていて、底に不自然な跡がある。持ち主にも確認してもらおう」
工藤が、ごくりと喉を鳴らした。
「……マジで盛られてたのか?」
「その可能性も含めて、証拠として残す」
矢川は缶を見下ろした。
「次に調べるのは、自販機だ。誰が補充できるかを確認する」
午前七時。
柔道場に戻ると、玲奈が購買のパンをローテーブルの上に広げた。
「朝からお疲れでーす。自販機の件、分かったことを報告するね」
玲奈は指を折った。
「第三寮の食堂前の自販機を開けられるのは、飲料を補充する業者さん、寮生自治会の厚生係、寮監。この三つ」
「三日前の夜に、業者が来た記録は?」
「なし。業者さんが来るのは月曜と木曜の昼だけ。補充記録にも載ってない」
「記録のない時間に、誰かが開けたかもしれない」
矢川が言った。
「そういうこと」
佐竹がタブレットから顔を上げた。目の下に隈ができている。
「小野寺の口座から出た三十二万は、匿名口座を経由して、学校が外部業者への支払いに使ってる口座へ入ってた。業者への支払いに紛れ込ませたらしい」
「お金が学校の外に出たってこと?」
玲奈の眉が寄った。
「帳簿の上じゃ、仕入れ代金の一部に見える。今見えてる記録だけじゃ、誰が受け取ったのかまでは分からねえ」
矢川は考えるように、ローテーブルの上の缶を見た。
鍵を持つ者。記録に残らない補充。学校の外へ流れる金。
線はまだ繋がらない。
「分析室はどうだった?」
「駄目じゃった」
碧がメロンパンの袋を開けながら首を振った。
「使用申請には三日かかる。今朝、養護教諭に頼んで小野寺の検体は採ってもらったけど、結果が出るのは間に合わんかもしれん」
「申請を待つ必要はない」
矢川は立ち上がった。
「依頼人に頼む」
「依頼人って、図書委員会?」
「図書委員会は捜査しない。だが、校内規則上、証拠が失われる恐れがある場合は、証拠保全を申し立てられる。分析室の即時使用を、委員会から教務に求めてもらう」
「委員長が受けてくれるかね」
「依頼したのは向こうだ。断る理由はない」
碧はパンを持ったまま、矢川を見上げた。
「……あんた、そういうとこ頭回るね」
「最近、こういうのに慣れてきた」
引き戸が開いた。
高嶺が、欠伸を噛み殺しながら入ってきた。後ろに、小野寺がいる。
「何もなかった」
高嶺は短く言った。
「で、進んだのか」
「缶が見つかった。細工のような跡がある」
「……そうか」
高嶺はそれ以上訊かなかった。
代わりに、低い声で言った。
「時間がない。二日で終わらせよう」
矢川は横目で高嶺を見た。
目の下に隈がある。あまり眠っていないようだった。
小野寺を守っていたからか。それとも、別のことを考えていたからか。
地下書庫。矢川は、その言葉を口にしなかった。
「あの」
碧が、缶を証拠袋に入れながら言った。
「この跡、気になるんよ」
「穴を塞いだ跡か」
「そうかもしれん。樹脂の量も、形も、かなり整っとる。職人技じゃね」
佐竹がタブレットを操作する手を止めた。
「……そのことなんだけどな」
画面を、もう一度こちらに向ける。
「小野寺の金が通ったのと同じような経路が、過去半年に六回使われてる」
「六回?」
「ああ」
少し間が空き、矢川が言う。
「そいつらも小野寺と同じように、ハメられたと言いたいのか」
佐竹は画面を見つめたまま言った。
「わからねぇ。だが、手慣れている奴らが同じような方法をやっているように見える……」




