第三十二話 一発逆転の方法
各々、デザートのケーキをつつき出す。
七瀬が、自分のケーキを少し切り、そのまま、矢川の皿へ乗せる。
「……何だ」
「多かったから」
「お前の分が減るだろ」
「私、そんなに甘いの好きじゃないから」
「さっき、ケーキを楽しみにしていたようだったが」
「よく見てるね」
「……」
七瀬が笑った。
「じゃあ半分だけ返して」
「なんなんだ」
「矢川くんが困る顔、ちょっと面白い」
高嶺が呆れたように二人を見る。
「七瀬って、そんなヤツだったっけ?」
玲奈が横から口を挟む。
「なんか今日、ナナちゃん楽しそうだね」
「そう?」
七瀬はそれ以上答えず、ケーキを一口食べた。
矢川も、皿に増えた分へ黙ってフォークを入れた。
同時刻。入徳館高校・『五重の塔』最上階、生徒会室。
分厚い防音扉と電子ロックで外界から隔絶されたその部屋は今、足の踏み場もないほどの惨状を呈していた。
「あーっ! もう最悪最悪最悪!! なんであの狂犬、粗大ゴミぶっ壊して、勝手に自滅してんのよぉぉっ!!」
純白の制服を脱ぎ捨て、シルクのキャミソール姿になった生徒会長・二階堂冬美が、半狂乱で喚きながら巨大なキャリーケースに服や化粧品をブチ込んでいた。
もはや『君主』の面影は微塵もない。
プラチナブロンドの髪は振り乱され、美しい顔は涙と焦燥でぐちゃぐちゃになっていた。
「あっはははは! 傑作! 傑作だよ冬美!」
姉の夏希は、ソファの上で腹を抱えて笑い転げている。
「あんたの激重ストーカー副会長、『冬美様の敵だ!』って六百万TOKの粗大ゴミを骨にヒビ入るまで殴り続けて、そのまま六百万TOKの借金背負ったんでしょ? 最高じゃん!」
「笑い事じゃないわよ夏希!!」
冬美は、丸めたストッキングを夏希の顔面へ全力で投げつけた。
「問題は京極が負けたことじゃないの!」
「じゃあ何よ」
「あいつが握ってた、生活保安委員会の強制執行権に、矢川蓮が図書委員会の『鍵』を付けたことよ!!」
冬美はキャリーケースの上から溢れた服を押し込み、無理やりジッパーを閉める。
「分かる!? 図書委員長の御子柴は、校則も判例も隅から隅まで覚えてる『歩く六法全書』なの! そんな感情ゼロのサイボーグに、強制執行の許可証を握らせたのよ!」
「……えっと」
夏希が首を傾げる。
「つまり?」
「つまりね!」
冬美は巨大モニターを指差した。
「私が予定してた、生徒会長権限で深夜にメインゲートを開けさせて、そのまま空港まで高飛びするルートが完全に潰れたってこと!!」
「逃げる気満々だったんだ」
「当たり前でしょ!」
冬美は机を叩く。
「今、私が少しでも校則に反する命令を出してみなさい。御子柴は一切の忖度なく、『二階堂会長、その命令は校則第何条に抵触します』って止めに来るわ!」
「会長なのに?」
「関係ないの!」
冬美は頭を抱えた。
「私が作った『誰も逆らえない完璧なシステム』が、今度は私自身の首をはねる完全自律型のギロチンになっちゃったのよぉっ!!」
「なるほどねぇ」
夏希は口笛を吹いた。
「せっかく行政と司法を分断していたのに、矢川が余計なことしてくれて、あんたは自分が作った檻に閉じこめられて、抜けられなくなったわけだ」
「そういうこと!」
「完全に詰みね」
「詰んでたまるもんですか!」
冬美は血走った目で睨みつける。
「観測者達にこれ以上怯えるのも、京極の重すぎる愛に付き合うのも、もう限界なの!」
その言葉だけは、先ほどまでの喚き声とは少し違った。
「私は絶対に、この狂った実験場から出る」
夏希の笑いが止まった。
冬美は手元の特注タブレットを引き寄せ、猛烈な勢いで操作を始める。
「抜け道が使えないなら、正面から出るしかない」
「そんな方法あるの?」
「あるわよ」
画面を叩く。
表示されたのは、校則第百五条。
『特別留学制度』
一定の条件を満たした生徒に限り、在籍途中での海外留学を認める制度。
形式上。
入徳館には、留学により学外へ行く道が用意されている。
ただし。
「条件その一。個人口座に一千万TOK以上を保有していること」
冬美が指を立てる。
「条件その二。生徒会役員全員の承認を得ること」
「……それ、誰か達成したことあるの?」
「ないわ」
「制度の意味ある?」
「あるのよ」
冬美が吐き捨てる。
「『希望者には正式な留学制度が用意されています』って、外に説明するためにはね」
自由は保障されている。
ただし、一千万TOKを用意できる者に限る。
入徳館らしい制度だった。
「でも冬美」
夏希がキャリーケースを見る。
「あんたの口座、そんなに残ってないでしょ。留学先の物件とか、色々買ってたし」
「ええ」
冬美の指が止まった。
「だから――」
ゆっくりと顔を上げる。
「集めるのよ」
瞳に、冷たい光が戻った。
ただし。
以前のような余裕のある冷たさではない。
追い詰められた獣が、生き残るために牙を剥いた時の目だった。
「一千万TOKを?」
「そう」
「どうやって?」
冬美は答えない。
タブレットを操作する。
いくつもの組織名。
委員会。
部活動。
基金。
その中から、一つを選んだ。
「柔道部じゃないんだ」
「矢川たちが一千万TOKなんて持ってるわけないでしょ」
「じゃあ、誰?」
画面に表示された名前を見て。
夏希が眉を上げた。
『投資研究部』
「……あそこ?」
「そう」
冬美が笑った。
「入徳館のウォール街でふんぞり返ってる、あのハイエナどもよ」
投資研究部。校内最大級の資産運用組織。
株式市場を模した校内証券取引。
特別教育活動(部活)債。
委員会債。
先物。
TOK建ての貸付。
あらゆる金融商品に手を出し、莫大な資産を築き上げている。
「でも」
夏希が言う。
「あいつら、素直に一千万TOKなんて出さないでしょ」
「当然」
「じゃあどうするの?」
冬美は制服のジャケットを拾い上げた。
「奪う」
「さっき御子柴がいるから違法なことできないって言ってなかった?」
「違法にはしないわよ」
白い袖に腕を通す。
「合法にするの」
夏希が黙った。
冬美は襟を整えながら続ける。
「特定の組織から理由もなく金を取り上げれば、御子柴に止められる」
「うん」
「私的利益のための命令も無理」
「うん」
「だったら――」
冬美は鏡の前に立つ。
「理由を作ればいい」
「……悪い顔してるよ、冬美」
「ちょっと、誰の顔が悪いですって」
冬美は乱れた髪を手櫛で整える。
目元に残っていた涙の跡を拭う。
「投資研究部だけを狙うから問題になる」
鏡の中の自分を見る。
「だったら、全校生徒に適用できるルールを作る」
「それで投資研究部からだけ大金を取る?」
「取るんじゃない」
冬美の口元が上がった。
「払わざるを得ない制度にするのよ」
「うわぁ」
「何よ」
「悪どい」
「知ってる」
冬美は最後に、制服の襟を正した。
先ほどまで泣き喚きながら服を詰め込んでいた少女は、もういない。
鏡の中には。
再び『氷の女王』が立っていた。
「でも」
夏希が言う。
「御子柴、どう考えてもおかしかったら止めるんじゃない?」
「ええ」
「矢川も気付くかも」
「でしょうね」
「それでもやる?」
冬美は振り返った。
「やるわ」
即答だった。
「だって」
タブレットを持ち上げる。
「私には、もう時間がないもの」
一千万TOK。
生徒会役員全員の承認。
そして、国外への特別留学。
冬美が欲しいものは、もう権力ではない。
自由だった。
そのためなら、自分が作ったシステムそのものを、最後まで利用する。
「……見てなさい、矢川蓮」
冬美はタブレットを操作する。
巨大モニターに、投資研究部の情報が表示された。
総保有資産。運用資産。貸付残高。保有証券。
そして、画面最下部に表示された推定総資産額を見て、夏希が目を丸くした。
「うわ」
「あるじゃない」
冬美が笑う。
「一千万TOK」
その笑みには。
もう涙の跡はなかった。
「上等よ」




