↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/42

第三十一話 みんなで祝勝会

 生活保安委員会が事実上の破綻に追い込まれ、その強制権限に図書委員会という首輪が付けられた翌日の夜。


 柔道場には、珍しく稽古着姿の人間が一人もいなかった。


 板張りの床には、長机が三つ。


 焼きそば。唐揚げ。フライドポテト。各種紙パックのジュース。それから、妙に立派なホールケーキ。


「……これ、誰が買った?」


 佐竹がケーキを見ながら言った。


「アタシ」


 吉海玲奈が手を挙げる。


「いくら?」


「三百TOK」


「領収書は?」


「ないよ」


「は?」


「調理部の友達から直接買ったから」


 佐竹の眼鏡の奥で、目が細くなる。


「経費で落とせないだろ」


「三百TOKくらい別にいいじゃん」


「よくない。今回は柔道部の親睦費から出すんだぞ」


「六百二十万TOK動かした翌日に、三百TOKで揉めるなよ」


 高嶺が呆れたように言った。佐竹が睨む。


「……それとこれとは別だろ」


「細けえな」


 玲奈が口元を押さえた。


「サタケっち、こういうとこだけ妙に真面目だよね」


「こういうところが一番大事なんだよ」


 佐竹は真顔で言った。


「ちょっとが全部。一時が万事。小さいところから組織は崩壊していくんだ」


「じゃあ三百TOK、サタケっちが払って」


「なんで俺が」


「会計担当だし、なんか色々稼いでるんでしょ」


「意味分かんねぇよ」


 柔道場の空気が少しだけ緩んだ。


 その奥。昨日まで五基の旧型サーバーが並んでいた場所には、もう何もない。


 環境整備委員会が朝から入り、鉄屑と化したラックや配線は粗方片付けられていた。


 床には、重い機材を引きずった跡だけが残っている。


 正面の扉には、大きなブルーシート。京極宗馬が蹴破った場所を塞いだだけの応急処置だった。


 風が入り込むたび、バサッ。バサッと、安っぽい音を立てる。


「しかしまあ」


 蔵前が唐揚げを一つ口へ放り込んだ。


「よくここまで壊したよな」


「副会長、あの時マジで怖かったからね」


 玲奈が言った。


「映像見返したけど、目が完全にイッてた」


「お前、見返したのかよ」


 高嶺が顔をしかめる。


「冬美会長への愛の力を感じたわ」


「絶対面白がってるだろ」


「半分くらい」


「半分は認めるんだな」


 七瀬がブルーシートを見る。


「扉の修理、いつになるんですか?」


「明後日」


 蔵前が答えた。


「環境整備だけじゃ無理だとよ。外から業者呼ぶってさ」


「修理代は?」


「生活保安委員会に請求できます」


 壁際に座っていた矢川蓮が答えた。


「ただし、昨日の損害賠償とは別件です。建具と電子機器では資産区分が――」


「ストップ」


 高嶺が手を出した。


「何だ」


「今日それ禁止」


「何が?」


「小難しい話」


「聞かれたから答えただけだ」


「普通に『生活保安持ち』でいいだろ」


「正確ではない」


「祝勝会でする話じゃないだろ」


「レンレン、そういうとこだよ」


 玲奈が言った。


「その呼び方はやめろ」


「嫌」


「……」


 矢川は紙コップの麦茶を飲んだ。その横で工藤が黙々と唐揚げを皿へ取っていた。


「工藤」


 佐竹が声を掛ける。


「はい」


「それ、何個目?」


 工藤の箸が止まる。


「……四個」


「七個目だろ」


「数えてたのかよ」


「まだ乾杯もしてないのに、お前だけもうノルマ達成してんじゃねぇよ」


「怖ぇな」


「全部で四十九個。一人七個でちょうどだ」


「お前、会計だけじゃなく唐揚げの数まで管理すんの?」


 高嶺が呆れる。


「共有財産だぞ」


「唐揚げを共有財産って呼ぶ奴、初めて見た」


「いいから、食うぞ」


 蔵前が唐揚げに手を伸ばす。


「部長、それ八個目」


 七瀬が言った。蔵前の手が止まる。


「……見てたのか」


「見てました」


 蔵前は無言で箸を戻した。


「ナナちゃん、よく見てるね」


 玲奈が言う。


「平等にしないとね」


「ほら」


 佐竹が得意げに眼鏡を押し上げた。


「だから管理は必要なんだよ」


「佐竹くんは、こそっと焼きそば食べ過ぎじゃない?」


「……はい」


「お前もかよ」


 高嶺が言った。


 矢川は、そのやり取りを黙って見ていた。


 柔道部。その名前を借りて活動している非公式組織『情報ファンド』。


 始まりは、簡単なものだった。情報を集める。必要な人間に売る。


 ただ、それだけ。


 今では、佐竹が通信や数字を管理し、玲奈が人から情報を拾い、七瀬が誰も考えていなかった前提をひっくり返す。


 高嶺が外部との細かい話をまとめて、蔵前と工藤が実際に動く。


 昨日の作戦も、そのどれか一つが欠けていれば、成立しなかった。


 矢川の計画を現実にしたのは、自分一人ではない。


「……矢川くん?」


 七瀬がこちらを見ていた。


「何だ」


「ぼーっとしてた」


「してない」


「してたよ」


「考え事だ」


「いつも通りじゃん」


 玲奈が言った。


「何考えてたの?」


「別に」


「怪しい」


「何もない」


「どうせ、次の仕事のことだろ」


 佐竹が焼きそばを食べながら言った。


「違う」


「ほんとか?」


「本当だ」


「じゃあ何だよ」


 矢川は少し黙った。六人がこちらを見ている。


「……昨日のことを考えてた」


「昨日?」


 高嶺が聞く。


「ああ」


「作戦の反省?」


「それもある」


「仕事じゃねぇか」


「違う」


 矢川は紙コップを置いた。


「俺一人なら、失敗してたなと思っただけだ」


 誰もすぐには答えなかった。


「……は?」


 最初に声を出したのは佐竹だった。


「なんだ、その顔は」


「いや」


 佐竹が眼鏡を押し上げる。


「お前からそんな言葉出てくると思わなかった」


「失礼だな」


「矢川くん」


 七瀬が口元を緩める。


「それ、感謝してる?」


「事実を言っただけだ」


「そういうことにしておく」


「待って」


 玲奈が身を乗り出した。


「今のもう一度言って、録音するから」


「やめろ」


「『俺一人なら失敗してた』。レンレン、人生初の仲間への感謝」


「誇張するな」


「SNSに載せよっかな」


「載せたら訴える」


「何罪?」


 矢川が一瞬黙る。


「……今から探す」


「もう良いって!」


 高嶺が噴き出した。矢川もほんの一瞬、口元を緩めた。


 今度は、全員が気付いた。だが、誰も何も言わなかった。


「よし」


 蔵前が立ち上がる。


「そろそろやるぞ」


「何を?」


「乾杯だよ」


 高嶺が時計を見る。


「開始から三十分経ってる」


「お前らがずっと喋ってるからだろ」


「何に乾杯します?」


 七瀬が紙コップを持つ。


「生活保安委員会の破産」


 佐竹。


「最悪」


「京極副会長の失恋」


 玲奈。


「もっと最悪」


 高嶺。


「六百二十万TOKの粗大ゴミ」


 蔵前。


「部長、それ気に入りすぎですよ」


 七瀬が言う。


「じゃあ」


 工藤が紙コップを持った。


「情報ファンドの勝利?」


 矢川が工藤を見る。


「……いや」


 紙コップを持ち上げた。


「俺たちの勝利でいい」


 沈黙。


 佐竹が鼻で笑った。


「今日のお前、どうした?」


「何が」


「素直過ぎて、なんか不気味だ」


「乾杯やめるぞ」


「はいはい」


 高嶺が紙コップを上げる。


「じゃ」


 七人を見回した。


「俺たちの勝利に」


 七瀬。


 佐竹。


 玲奈。


 蔵前。


 工藤。


 そして矢川。


「乾杯」


 紙コップが触れ合った。


 軽い音だった。


 表彰状もない。褒められることも、まずない。


 むしろ、校内最大級の行政組織を債務超過に追い込み、権力構造を策略で組み替えた問題児の集団である。


 それでも、彼らにとっては、確かな勝利だった。


「で」


 佐竹がケーキを見る。


「これ、どう切る?」


「七等分だろ」


 高嶺。


「均等に切れるの?」


 七瀬。


「難くね?」


 工藤。


「八等分にすればいい」


 矢川が言った。


「七人しかいないぞ」


「一つ余る」


「だから何だよ」


「余った一切れをさらに七等分すれば、全員同じ量になる」


「そっちの方がめんどくさいだろ!」


 高嶺の声が柔道場に響いた。


「もうアタシ切る!」


 玲奈が立ち上がる。


「大きさは?」


「適当!」


「だったら俺が――」


「いいから!」


 玲奈がナイフを入れる。


 当然。


 均等にはならなかった。


 大きい。


 小さい。


 端が少し崩れているものもある。


「矢川くん」


 七瀬が皿を一つ差し出した。


「はい」


 矢川が見る。


「……それ、一番小さくないか?」


「気のせい」


「明らかに違うだろ」


「そうかな」


「レンレン、昨日の罰じゃない?」


 玲奈が横から入る。


「何の罰だ」


「いろいろ」


「雑すぎるだろ」


 矢川は皿を見た。


 隣の高嶺の半分とまではいかないが、明らかに小さい。


「……まあいい」


 フォークを取った。


「珍しー」


 佐竹が言う。


「何が」


「お前が譲った」


「ケーキくらいで争う気はない」


「あだ名で呼ばれるかどうかではこだわるのに?」


「それは別だ」


「まあ、食おうぜ!」


 ブルーシートが風に揺れた。バサッ、バサッ。と音を奏でる。


 その向こうでは、いつもと変わらない入徳館の夜が続いている。


 最初は、彼らはそれぞれの目的のために同じ場所へ集まっていた。


 金。情報。利害。必要があるから、一緒にいた。


 今は、別に何もなかった。


 駆け引きもない。次に倒す相手もいない。


 ただ食べて、くだらないことを言って、同じ場所にいた。


 その夜、柔道部では誰も次の仕事について話さなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。