表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第三話 営利の部活動

 放課後。校舎裏の巨大な電子掲示板には、各部活動の『決算報告書』がリアルタイムで更新されていた。

 入徳館高校において、部活動とは一種の営利団体である。

 大会での実績、地域貢献、あるいは学校への有益な提言。それらの成果に応じて、運営側から予算(TOK)が配分される。生徒たちは生き残るため、少しでも利益率の高い部活へとしがみつこうとする。

「……えげつないな。サッカー部の昨年度の純利益、一人あたり月間三万TOKかよ。ちょっとしたサラリーマン並みだぜ」

 高嶺悠真が掲示板を眺めながら、感心したように口笛を吹く。

「その分、環境は過酷だ。レギュラーになれなければ、試合にも出れず、稼げるTOKも微々たるものだ」

 矢川蓮は、淡々とタブレットでデータを分析していた。

 人気の運動部は、すでに完成された利権構造を持っている。今から入っても、組織の歯車として使い潰されるのが関の山だ。

「矢川はどうするんだ? 柔道やってたんだろ? 武道系は結構、学校からの伝統維持奨励費が厚いって噂だぜ」

「……見学には行くつもりだ」

 矢川が向かったのは、キャンパスの最果て、旧校舎群の近くにある寂れた柔道場だった。

 畳張りの床に、染み付いた汗の匂い。だが、そこに活気はない。道場の隅で、一人の大柄な上級生が、古びたゴムチューブを黙々と引っ張っているだけ。

 看板には柔道部とあるが、実態は部としての最低人数さえ満たしていない。

「……新入生か。見学なら他へ行け。ここはもうすぐ潰れる」

 上級生が手を止めずに言った。道着のゼッケンには『蔵前くらまえ』とある。

「廃部の理由は、実績不足による予算カットですか?」

 矢川の問いに、蔵前は苦々しく笑った。

「それだけじゃない。この学校の主流は『効率』だ。ここは怪我のリスクが高く、TOKの稼ぎも少ない。部員はみんな、条件の良い格闘技系のサークルへ引き抜かれるか、委員会の私兵になったよ」

 矢川は道場の隅に置かれた、埃を被った備品を眺めた。

 各種トレーニングマシン、救急箱、そして学校から支給されている未開封のプロテイン、サプリメントなどの備品類。

(……資源は眠っている。だが、運用する人間がいない)

 矢川の脳内で、急速に計画が組み上がる。ここには負債しかないように見える。だが、見方を変えれば、ここは監視が薄く、利権が絡まない空白地帯だ。

「蔵前先輩。この部を、俺に経営させてくれませんか」

「……なんだと?」

 蔵前が動きを止め、矢川を射抜くような目で見た。

「部員を集め、活動実績を捏造……失礼、再定義すれば、学校からの部活動復興支援金が下りるはずです。そのTOKを原資に、俺はこの場所を情報交換の拠点として運用したい」

「柔道部を……情報屋の隠れ家にするってのか? ふざけるなと言ったら?」

「プライドで腹が膨れるなら、それもいいでしょう。ですが、このままだとあなたはこの場所を追い出され、蓄えてきたTOKもペナルティで没収される。……違いますか?」

 沈黙が流れる。蔵前の太い腕が震えていたが、やがて彼は大きなため息をつき、チューブを手放した。

「……面白い。やってみろ。だが、部として存続するにはあと三人必要だぞ? この先の無い部に、誰が来るっていうんだ」

「適任者がいます」

 矢川はスマートフォンを操作した。

 数分後。呼び出された高嶺と七瀬柚葉が、怪訝な顔で道場に現れた。その後ろから、ひょっこりと明るい顔が覗き込む。

「あれ? レンレンがいる! ナナちゃんが呼び出されてるから、面白そうって思ってついてきちゃった!」

 吉海玲奈だった。

「矢川、いきなり呼び出して何だよ。……え、ここ、柔道部?」

「矢川くん、私、運動は苦手じゃないけど、柔道はちょっと……」

「お邪魔しまーす! うわっ、独特な匂い!」

 矢川は三人に、道場の鍵を見せた。

「高嶺、お前は誰にも邪魔されない、高速Wi-Fi完備の自習室が欲しいと言っていたな。七瀬は静かに本が読めて、ペナルティを気にせず過ごせる居場所を探していた」

 二人の顔色が変わる。

「そして吉海。君は菓子を自由に食べられる、放課後の遊び場があれば嬉しいはずだ」

「えっ、最高じゃん!」

「ここは公式の部活動だ。所属しているだけで基礎手当が出る。さらに、俺が蔵前先輩と交渉し、この道場の一部を多目的ラウンジとして再開発する許可を得た。……名前だけ貸してくれればいい」

「……それ、実質的にTOKの不正受給じゃないか?」

 高嶺が引き気味に言う。

「革新的なスキームと言ってくれ」

 矢川は、蔵前から渡された入部の要項を三人に差し出した。

「俺たちが組めば、この死に体の部を、入徳館最強の組織に変えられる。個人個人の特技も、立派な資産だ」

 高嶺はしばし天井を見上げ、やがて「ははっ、やっぱりお前、最高に狂ってて面白いわ」と笑いながら、タブレットに映し出された署名欄に迷わず名前を書いた。

「お菓子パーティ決定だね!」と、玲奈も楽しそうにタッチペンを走らせる。

 七瀬も、矢川の瞳に宿る絶対的な自信に押されるように、小さく頷いて筆を取った。

 矢川蓮。高嶺悠真。七瀬柚葉。吉海玲奈。そして、道場を守り抜いた主将、蔵前。

 入徳館高校の片隅で、もっとも異質な集団が産声を上げた。

 数日後の放課後。

 校舎の最果てにある柔道場は、劇的な変貌を遂げていた。

 畳の半分はそのまま残されているが、もう半分は床から剥がされ、どこからか拾ってきたカーペットが敷かれ、中古のレザーソファが置かれている。おまけに、道場の隅には、七瀬が持ち込んだ本が並ぶ小さな本棚まで設置されていた。

「よし、高速Wi-Fiの暗号化バイパス開通っと。これで学校の監視を迂回してネットに繋げるぜ」

 高嶺がソファに寝転びながら、満足げにスマートフォンを叩く。

 その隣では、玲奈が高級そうなクッキーを齧りながら足をバタバタさせている。

「蔵前パイセンもクッキー食べるー? 部費で買ったやつ、すっごく美味しいよ!」

「……お前ら、本当にここを何だと思ってるんだ」

 道着姿の蔵前が、呆れたように呟く。

「柔道場兼・多目的ラウンジですよ、先輩。学校から支給された復興支援金八千TOKの初期投資としては、悪くない環境構築です」

 矢川は調達したノートPCの画面から目を離さずに答えた。

「みんな、お茶淹れたよ。蔵前先輩もどうぞ」

 七瀬が温かいお茶を注いで回る。

「ありがとう。……まさか柔道場で、こんな落ち着いた時間を過ごす日が来るとはな」

 蔵前は苦笑しながらコップを受け取った。

「さて。環境は整った」

 矢川はPCの画面を大型モニターに出力した。

「これより、我が柔道部の最初の事業、情報操作を稼働させる。ここで最も価値のあるものは、飯でも娯楽でもない。他者を出し抜くための優位性だ」

 矢川はモニターに、一年生の直近のテストスケジュールを表示した。

「明日の朝、一年生の全クラスで現代社会の小テストが行われる。結果はTOKに直結する。……高嶺、集めた噂を報告してくれ」

「おう」高嶺がニヤリと笑う。

「どうやら、現社は過去五年間の小テストから完全にランダムで出題されるってのが、有力な情報筋で出回ってる。過去問の膨大なデータセットが、すでに高値で取引されてるらしいぜ」

「なるほど」矢川は頷いた。

「だが、それは罠だ。現代社会の出題アルゴリズムを外注のハッカーにプロファイリングしてもらった結果、今回はランダム出題という公平性を装いながら、実際には最も正答率の低かった三年前の特定の十問をそのまま出してくると推測できる。生徒が膨大な過去問を丸暗記しようとして自滅するのを、せせら笑うタイプのAIだ」

「……そのハッカー、AIの性格まで計算に入れたのかよ」

 高嶺が少し引き気味に言う。

「もちろんだ。……俺たちは今から、この三年前の十問の解答データを、特定の生徒に販売する。価格は一〇〇〇TOKだ」

「ちょっと待って、矢川くん」七瀬が控えめに手を挙げた。「その情報を売ったら、買った人だけが助かって、他のみんなはひどい目に遭うってことだよね?」

「問題ない。売る相手は、俺たちのクラスではない。隣のB組で、最も手広く過去問データをぼったくり価格で売り捌いている情報ブローカーだ」

高嶺が膝を打った。「そいつにピンポイントの十問を売るのか。そいつは、その十問を独占してさらにボロ儲けしようとする……」

「だが、明日のテスト直前」矢川は冷たく言い放った。

「俺たちは、学校の匿名掲示板に、その十問を無料タダで公開する」

 道場が静まり返った。

「……おい」蔵前が目を丸くする。「無料で公開したら俺たちに利益はないぞ?」

「先輩、ビジネスにおいて無料ほど恐ろしい武器はありません」

 矢川は静かに微笑んだ。獲物を罠に誘い込む、蜘蛛のような笑みだった。

「テスト後、B組のブローカーは無料の情報を高値で売っていた悪徳業者として信用を完全に失墜する。そして、匿名掲示板で真実を無料で配ったアカウント……つまり俺たち柔道部は、生徒たちから絶対的な信用を得る」

「エグ! でもウケる!」

 玲奈が手を叩いて笑った。

「つまり、そのボッタクリくんを悪者にして、みんなに噂を流せばいいんだね?」

「その通りだ。吉海の印象操作とネットワークは、強力な武器になる。明日のテスト後、一気に拡散してくれ」

「任せて! あたしの力、見せてあげる!」

 矢川はモニターに「柔道部・公式相談窓口」という、シンプルなチャット画面を表示した。

「一度無料の奇跡を味わった人間は、次からは喜んで対価(TOK)を払うようになる。情報を独占するのではなく、情報の価値を操作し、市場の信用そのものを強奪する。……これが、俺たちの事業だ」

 柚葉は小さくため息をつき、お茶を一口飲んだ。

「……矢川くんのやり方は、いつも少し意地悪だね。でも、助かる人もいるから……今回は目をつぶるよ」

「よし、じゃあ早速、B組のクソブローカーに交渉を持ちかけてくるわ。あいつの偉そうな態度、前からムカついてたんだよね」

 高嶺が楽しそうに立ち上がり、道場を出ていく。

 騒がしくなった柔道場で、蔵前が一人、ゴムチューブを弾いた。

「……柔道部が、とんでもない化け物の巣窟になっちまったな」

「ご心配なく、先輩」

 矢川はPCを閉じ、立ち上がった。

「物理的なトラブルが発生した際は、俺と先輩で対処します。活躍の場面は、すぐに来ますよ」

「そんな心配はしてないんだが

 B組の情報ブローカーを社会的に失墜させた作戦から数日後。

 放課後の柔道場は、静かな活気に満ちていた。匿名掲示板での無料公開は絶大な効果を生み、裏アカウントには情報提供を求める小口の依頼が次々と舞い込んでいた。

「いやー、笑いが止まらんね。あのB組の鮫島さめじま、すっかり信用を無くして、誰もあいつから過去問を買わなくなったらしいぜ」

 高嶺が上機嫌で報告する。

「あまり調子に乗らないことだ。利益が生まれれば、必ずそれを奪おうとする敵対勢力が発生する」

 矢川は道場の畳のある場所で、蔵前を相手に乱取りを始めていた。

 その直後だった。

 バンッ! と、道場の引き戸が乱暴に蹴り開けられた。

「……おい、てめえら。随分といい身分じゃねえか」

 土足で上がり込んできたのは、B組の鮫島圭介だった。顔は怒りと屈辱で歪んでいる。背後には、制服を着崩した体格の良い上級生が三人、ニヤニヤと笑いながら立っていた。格闘技系のサークルに所属する用心棒たちだ。

「鮫島か。来るのが思ったより早いな」

 矢川は帯を締め直し、静かに振り返った。七瀬が少し怯えたように高嶺の後ろに下がる。

「てめえのせいで俺のビジネスはめちゃくちゃだ!  顧客は離れ、在庫のデータはゴミになった! この落とし前、どうつけてくれるんだ!」

「ビジネスの失敗を他人のせいにするのは非合理的だ。君のサービスに、それ以上の価値がなかっただけの話だろう」

「減らず口を叩くな! ……こいつらボコボコにして、持ってるTOK全部絞り取ってやる!」

 鮫島の言葉が終わるより早く、道場の主が動いた。

「……俺たちの道場に土足で上がり込み、うちの部員に手を出すだと?」

 低く、地鳴りのような声。蔵前だった。

 彼はゆっくりと前に出ると、先頭にいた用心棒の胸倉を掴み、小枝でも持つように片手で軽々と持ち上げた。

「なっ……!?」

「俺はな、ずっとこの道場を守りながら、燻ってイライラしてたんだよ!」

 蔵前の巨体が躍動する。力任せではない、長年研ぎ澄まされた本物の技術。

 ドゴォォン!

 完璧な大外刈りが炸裂し、受け身を取り損ねた用心棒が板張りの床に沈み、白目を剥いて気絶した。

「ヒッ……! な、なんだこいつ!」

 残る二人の用心棒が、顔を引き攣らせて後ずさる。

「蔵前先輩。あまり暴れると、床が傷みます。……残りは俺が処理します」

 矢川が、音もなく二人の前に進み出た。

 その瞳から、人間らしい感情の光がスッと消え失せる。意図的に自律神経に介入し、拍動を固定する。

「調子に乗ってんじゃねえぞ、一年!」

 用心棒の一人が、大振りの右ストレートを放つ。

 だが、矢川の目には、その無駄の多い軌道がコマ送りのように遅く見えていた。

 矢川はわずかに首を傾けて拳をかわすと、相手の伸び切った腕の関節を捉え、自身の体を沈み込ませた。突進する運動エネルギーを殺さず、テコの原理で上方へ跳ね上げる。

 一切の力みがない、流れるような『一本背負い』。

 巨体が宙を舞い、背中から強烈に床へ叩きつけられた。肺から空気が抜け、男はくぐもった音を立ててうずくまる。

「ば、化け物かよ……!」

 最後の用心棒が、恐怖で足をもつれさせながら後退した。矢川は滑るように一歩踏み込み、相手の重心を崩して足払いをかける。床に倒れた相手にかぶさるように、肩固めを正確に極めた。脳への血流が遮断する寸前で止める。

「落ちる(気絶する)か、降伏するか。三秒以内に選べ」

 矢川の冷たい声が道場に響く。

「ま、参った! 降参だ!!」

 用心棒は床を激しく叩き、降伏の意思を示した。

 開始からわずか数十秒。用心棒三人は、蔵前と矢川の圧倒的な技と力の前に完全に制圧されていた。

 道場は水を打ったような静寂に包まれた。

 鮫島は腰を抜かし、ガタガタと震えている。矢川はゆっくりと鮫島を見下ろした。

「……さて、鮫島。ここでは生徒間同士のトラブルは当事者同士で解決するか、委員会に間に入ってもらうかだ。正当防衛以外の暴力行為はペナルティの対象であり、もし俺たちが生活保安委員会に報告すれば、そっちが即座に負債を背負うことになると考えられるが」

「お、俺が悪かった……! 頼む、勘弁してくれ……!」

 鮫島は床に額を擦りつけた。

「いいだろう。なら、授業料として君が持っている他の顧客リストのデータをすべて高嶺に渡せ。……それが、この道場を汚した対価だ」

「わ、わかった……!」

 逆らう気力など残っていない鮫島は、震える指でスマートフォンを操作し、逃げるように道場から去っていった。用心棒たちも這うようにしてその後を追う。

「……ふぅ。いい汗かいたぜ」

 蔵前が首の骨を鳴らしながら笑った。

「お前……頭が切れるだけじゃなくて、腕も立つじゃねーか」

 高嶺が目を丸くしている。

「しかも、TOKを奪わなかったな。リストの譲渡なら、システム上に取引のログが残らないってわけか」

 矢川は乱れた道着を直し、落ちていたタブレットを拾い上げた。

「これで、柔道部には手を出すと厄介なことになるという強烈なメッセージが刻まれたはずだ。俺たちの縄張りは、より強固になった」

 知略で市場を支配し、力で報復をねじ伏せた矢川蓮。

 廃れていた柔道部は、活気を取り戻しつつあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ