第二話 はじめての休暇
入徳館高校。
ここでは、全国から集められた生徒たちが、独自の経済システム『TOK』によって管理さている。おそらく『徳』と『トークン(資本)』を掛け合わせた造語だと思われるが、これを生徒に奪い合わせているので、冗談にしてもタチが悪い。
しかし、この広大な校地は、最初からこのような非情な実験場だったわけではない。
半世紀以上前、ここは国の威信をかけて設立された「国立入徳館小学校」という初等教育機関だった。豊かな自然に囲まれた山間部を切り拓き、子供たちの自主性と道徳心を育む。そんな純粋な理念の学び舎だったが、時代の波と政策変更を受け、閉校の憂き目に遭った。
その後、主を失った敷地を買い取ったのが、現在の運営母体である協賛企業連合だ。
彼らは莫大な資金力と政財界への工作により、この一帯を先進教育研究特区として国に認可させた。それは、教育実験という大義名分の下で日本の法律が著しく制限される、事実上の治外法権の獲得を意味していた。
未成年者に大人も音を上げる重労働をさせることも、精神を削り取るようなペナルティも、この特区内では独自の教育プログラムとして合法化される。外界の警察や裁判所ですら容易には介入できない独立国家。それが現在の入徳館の正体だ。
キャンパスの中央には、彼らが建てた超近代的なガラス張りの中央タワー、通称、五重の塔がそびえ立っている。だが、その足元にある各種学校施設の外れには、あえて取り壊されずに放置されたボロボロの旧校舎群がひっそりと残されていた。
天を突く無機質なタワーと、朽ちゆく旧校舎群の対比は、ここを作った者たちの悪趣味を如実に物語っている。
新年度の入学式から、数日が経過した週末。
矢川蓮は、入徳館高校の強固な校門を前にして立っていた。
巨大なキャンパスと外部を隔てるゲートは、まるで国境の検問所のような物々しさだ。
学生証とTOK口座を兼ねたスマートウォッチをゲートのセンサーにかざすと、短い電子音が鳴る。
「外出を確認しました。帰校予定時刻は一八時〇〇分です。超過した場合、一分ごとにペナルティが加算されます」
無機質な機械音声を聞き流し、矢川はゲートの外へと足を踏み出した。
「いやー、やっと外の空気吸えたわ! 学校の中でも用は足せるけど、やっぱり息が詰まるっていうかさ」
隣で大きく伸びをしたのは、同室の高嶺悠真だった。
「許可の申請自体は、端末で手続きするだけであっさり通るんだな」
矢川は自分のスマートフォンをポケットにしまいながら言った。
「そうそう。まあ、素行不良でペナルティ受けてる奴は弾かれるらしいけど。基本、外出は自由さ。……手ぶらで帰るなら、だけど」
高嶺が意味深に片目を瞑る。
「どういう意味だ?」
「オリエンテーションの資料、ちゃんと読んでないのか? 学校内に外部の物品を持ち込む場合、ゲートで『関税』を払わなきゃいけないんだよ」
高嶺は呆れたように肩をすくめた。
「関税……」
「そう。例えば、外のコンビニで百円のジュースを買って持ち込もうとするだろ? すると、システムがそのジュースに『持ち込み税』として一〇TOKくらいかけてくるわけ。結果的に、学校内の売店で割高なジュースを買う以上に高くつくシステムになってる」
矢川は少し考え、納得したように頷いた。
(なるほど。生徒の経済活動を学校内で完結させ、TOKを効率よく回収するための仕組みか。外からの物資の流入を制限することで、校内の物価をほぼ完全にコントロールできる)
「だからさ、外に出る最大のメリットは『外で消費して帰る』ことなんだよ。胃袋に入れてしまえば関税はかからないからな!」
高嶺は腹をポンと叩き、得意げに笑った。
「……なるほど。お前が異常に飯に執着する理由が分かった」
「異常とは失礼な。これは立派な生存戦略にして、ささやかな抵抗だ。さ、行こうぜ! ネットの口コミでちょっと気になる定食屋を見つけたんだ」
入徳館からバスで十五分ほど下った先にある小さな町。
そこは、超近代的な入徳館高校のキャンパスとは対照的に、どこか昭和の香りを残す寂れた商店街だった。
地元民だけでなく、外出許可を得た入徳館の制服姿の生徒もちらほらと見える。
高嶺の目当てだという定食屋は、路地裏にひっそりと佇んでいた。
暖簾をくぐり、年季の入ったテーブル席に腰を下ろす。高嶺は迷わず一番ボリュームのありそうな特製唐揚げ定食を注文し、矢川は無難な日替わり定食を選んだ。
「そういえばさ」
水を一口飲み、高嶺が声を潜めた。
「昨日、隣のクラスの奴が早速『やらかした』らしいぜ。日用品に紛れ込ませて、こっそりゲーム機を隠して持ち込もうとしたんだと」
「見つかったのか」
「ゲートのセンサー舐めちゃダメだって。関税として口座から五千TOK吹っ飛んだらしい。あいつ、今月はもう水と塩と味気ない栄養補助食品で生きていくしかないかもな」
高嶺は楽しそうに笑っているが、その目は笑っていなかった。彼は彼なりに、他者の失敗を情報として蓄積しているのだ。
(持ち込みのリスクとペナルティ……。持ち込む物の価値と、発覚した際の損失。侮れないな)
矢川は運ばれてきた定食の焼き魚に箸をつけながら、思考を巡らせた。
関税というルールがある以上、正面から物を持ち込むのは愚策だ。しかし、情報や、形を持たない「サービス」であればどうだろうか。あるいは、ゲートのセンサーを誤魔化す方法が何かしら存在するのではないか。
システムには必ず人間が作った穴がある。それを探り当てることこそが、この学校生活を攻略るための第一歩だ。
「おい、矢川。聞いてるか?」
山盛りの唐揚げを頬張りながら、高嶺が不満げに顔を覗き込んできた。
「聞いてる。要するに、ルールを破るなら見つからないようにやれ、という話だろう」
「……こえーよ。おまえ、たまに冗談通じないよな。俺はただ、平和に美味い飯が食いたいだけだっての」
高嶺はわざとらしくため息をつき、再び唐揚げに向き直った。
路地裏の定食屋で腹を満たした二人は、辺りを散策してからゲートへと戻る。
その時、検査レーンでけたたましい警告音が鳴り響いた。
「エラー。持ち込み禁止の物品を検知しました。対象者は直ちにレーンから外れてください」
「えっ、嘘!? なんで……っ」
声を上げたのは、派手なカーディガンを羽織った上級生らしき女子生徒だった。
「あーあ、見つかっちゃったか。禁製品(刃物、アルコール、タバコ等)を持ち込もうとしたパターンだな」
高嶺が小声で解説する。女子生徒は駆けつけた生活保安委員の生徒に腕を掴まれ、別室へと連行されていった。彼女の蒼白な顔が、これから科せられるペナルティの重さを物語っている。
「……徹底しているな」
矢川は、その一部始終を冷ややかな目で見送り、目を細めて静かに息を吐いた。
この閉鎖環境では、金(TOK)が文字通り命綱だ。そして、それを奪い合うゲームはもう始まっている。
週が明けた月曜日。午前六時。なんとも言えない起床の音楽が流れ、意識を覚醒させる。
「……ん、早すぎだろ……」
ベッドで高嶺が呻く中、矢川はすでに床で淡々とストレッチをこなしていた。
「高嶺、起きろ。遅刻はTOKの没収対象だ」
「わかってるって……。お前、実家の爺さんくらい早起きだな」
高嶺が起き上がりながら、一瞬だけ矢川の動きを観察するような鋭い視線を向けたのを、矢川は見逃さなかった。




