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第一話 山間の学校

 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

『教育基本法第一条教育の目的』


 春のうららかな陽光が、山間の学校を照らす。

天を突くような超近代的なガラス張りの中央タワー、通称、五重の塔がその陽光を乱反射させていた。

「へえ、写真で見るよりずっとエグい趣味してんな、この学校」

 高嶺悠真(たかみねゆうま)は、真新しい詰襟の制服のポケットに両手を突っ込み、呆れたように息を吐いた。

 視線の先には、最新鋭のタワーや新しい校舎の外側にへばりつくように残された、薄気味悪い旧校舎群。最先端のIT企業のビルと呪われた廃村を無理やり縫い合わせたような、奇妙な場所だ。

 国が認可した先進教育研究特区の一つ入徳館高校。

 親が払うのは入学準備費のみ。あとは国と協賛企業の支援によって、最高のICT教育から大学病院レベルの医療、衣食住のすべてが完全無償で提供される、夢のエリート全寮制。

 というのが、世間向けの薄っぺらな表面だ。

 正門へと続く桜並木には、全国から集められた新入生たちが列をなしていた。

 多様な高校生たちが、これから始まる高校生活に胸を膨らませていた、その時だった。

「嫌だ……嘘だろ! 待ってくれ、あと数日あれば絶対に取り返せる!!」

 悲痛な絶叫が響き渡った。

 高嶺が視線を向けると、正門の脇に無骨な黒いバンが停まっていた。

 上級生が一人、黒いタクティカルアーマーを纏った生徒たちによって、バンへと押し込まれている。上級生の左腕にはめられたスマートウォッチは、不吉な赤色を激しく点滅させていた。

「他の施設になんて行きたくない、一生タダ働きなんて嫌だあぁっ!!」

 バンの扉が閉まり、静寂が落ちる。

 突然の異様な光景に、新入生たちの間に動揺とパニックが広がりかけた。

 だが、その阿鼻叫喚のるつぼの中で。

 高嶺の視線は一人の異物に釘付けになった。

 数メートル斜め左前。一見、平凡な男子生徒。

 その男子生徒は周囲のパニックなど一切目に入っていないかのように、ただ静かに自身の腕時計を見つめていた。

 深く、静かな呼吸が一つ。何かを観察、いや、計測しているような静けさ。

 ゆっくりと顔を上げ、去っていく黒いバンを見送って、酷薄な笑みを浮かべたのだ。

(一番ヤバいヤツは、どうやら俺たちの中に紛れ込んでるらしいな……)

 高嶺が背筋を凍らせた直後、新入生たちは誘導されるまま、巨大なドーム状の大講堂へと足を踏み入れていった。

 天井からは無数の監視カメラが静かに稼働している。

壇上にそびえる巨大モニターに映し出された、仕立ての良いスーツを着た中年の男、運営責任者、学校長が、温和な笑みを浮かべて立っていた。

「入学おめでとう、新入生諸君。そして……先ほどの正門前での光景を見て、不安にさせてしまったね。どうか、安心してほしい」

 男の朗らかで包み込むような声が、マイクを通して講堂に響く。

「彼は、この学校が与える完全な自由と自己責任という素晴らしい環境に、どうしても馴染めなかっただけなのだよ。当校は生徒の適性を尊重し、彼により過ごしやすい協賛企業の運営する別施設へ編入してもらったに過ぎない」

 不安そうにしていた新入生たちが、その優しい言葉にホッと息をつくのが分かった。

「君たちは選ばれた存在だ。ここでは、実家の太さも、親の職業も関係ない。全員が完全に平等なスタートラインに立つ」

 男が指を鳴らすと、巨大モニターに緑色の数字五〇〇〇が映し出された。

「本校の経済は、すべてこのTOKトークという校内通貨で回っている。君たちには今、自己投資の資金として五〇〇〇TOK。日本円にして約5万円分が支給された。この資金をどう使うかは、君たちの自由だ。そして、この完璧な平等を守るため、当校では外部からの金銭や物品の持ち込みを制限させてもらっている」

 えっ、と小さなどよめきが起きた。

 だが男は、それを素晴らしいシステムであるかのように両手を広げた。

「これは嫌がらせではない。君たちが親の庇護から抜け出し、一人の独立した人間として自らの価値を証明するためのルールだ。テストで上位の成績をもぎ取るもよし、当校が許可している生徒間の契約スマート・コントラクトを駆使し、ビジネスを立ち上げるもよし。委員会に入り学校の運営に携わるも良し。部活動に打ち込み、結果を出すのもよし。失敗を恐れるな。我々はバックアップを惜しまない。君たちが何度傷ついても、必ず教室へと戻してみせよう」

 男はまるで、我が子の成長を願う聖人のように優しく微笑んだ。

「自らの才能を数字で証明したまえ。……それでは、諸君。この美しき学舎での、素晴らしい三年間を期待している」

 拍手すら起こる穏やかな空気の中。

 高嶺は一人、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。

(……ふざけんな。要するに、外からの助けを絶ち切った密室で、どうにかして搾り取れるだけ搾り取るって宣言じゃねえか)

 気づいていない周りの連中は、すでに、優しい大人たちの罠に首まで浸かっている。

 高嶺はふと、斜め前の席へ視線を向けた。

 先ほどの中肉中背な男子生徒。

 彼は男の演説など一言も聞いていないかのように、配られたばかりのタブレット端末を異常な速度でフリックし、すでに生徒間の契約システムのソースコードと、学校の法規パラメーターの解析を始めていた。

 その横顔は、新しいゲームの致命的な裏技を見つけた子どものように、ひどく楽しげだった。

 入学式が終わり、高嶺たち新入生は各自の教室へと押し込まれた。

 入徳館高校、一年A組。

 教壇に立つ長身で姿勢のいい男性教師が、ぐるりと教室を見渡す。

「さて、入学式も終わったことだし、まずは自己紹介といこうか。とりあえず、出席番号順でいこう」

 ざわっ、と新しいクラス特有の緊張感が走る。

 1番から順に、当たり障りのないテンプレ通りの自己紹介が続いていく。

(よし、次が俺か)

 立ち上がりながら、高嶺は軽く笑ってみせた。第一印象は無害で付き合いやすい奴に限る。

「高嶺悠真です。地元の中学から来ました」

 声を張りすぎず、明るく堂々と。

「趣味は特に無いけど……あ、飯を食うのは好き。美味いもん探しに行くのが楽しみかな」

「いいね!」と誰かが合いの手を入れてくれ、クラスに和やかな笑いが広がった。

「ま、そんな感じで! みんなよろしく!」

 気負いのない態度で席に戻りながら、高嶺は周囲の反応を観察した。(うん、悪くない滑り出しだ)

 次に立ち上がったのは、校門付近で見かけた少し小柄な女子生徒だった。

七瀬柚葉(ななせゆずは)です」

 柔らかく、少し控えめな声だが、不思議と教室の隅まで通る。

「本を読むのが趣味で、特に物語を読むのが好きです。あと……体を動かすのも好きで、中学では水泳をやっていました」

「水泳か、かっこいい!」

 クラスメイトの反応に、七瀬は少し恥ずかしそうにしながらも、丁寧にお辞儀をした。物静かだが、しっかりとした芯がある。

 クラスの空気が少し柔らかくなった、その直後だった。

 そいつは、音もなく椅子から立ち上がり、ゆっくりと前を向いた。

矢川蓮(やがわれん)です」

 淡々とした、感情の抜け落ちた声。表情筋すら動いていない。正門前で、あの異常なパニックの中で一人だけ笑っていた異端だ。

「得意科目は特にないけど、読書はよくします」

 その一言に、何人かが「へえ」と反応するが、矢川は一切の愛想を振りまかない。

「スポーツも嫌いじゃない。柔道をやってた。……以上」

 短く、無駄を極度に削ぎ落とした自己紹介。

 矢川が座ると、周囲から「クールだな」「硬派っぽい」という囁きが漏れたが、本人は気にする素振りすら見せなかった。

(……相変わらず、気味が悪いほどフラットな野郎だ)

 そんな矢川の作った冷たい空気を、一瞬でぶち壊す声が響く。

「はーい! 次、あたしね!」

 勢いよく立ち上がったのは、派手な雰囲気の女子生徒だった。

吉海玲奈(よしみれな)でーす! みんなよろしくねっ! 趣味は遊ぶこと! それから、美味しいものを食べること! そして、あだ名をつけること!」

「お、おお……?」

 突然のハイテンションに周囲が戸惑う中、吉海は迷いなく矢川を指差した。

「えーっと、たとえば、レンレン!」

「……俺か?」

「そ! 名前が蓮だから、レンレン! ナナちゃんは、ナナちゃん!」

「えっ、わ、私?」と七瀬が目を丸くする。

「そ! 七瀬だからナナちゃん! みんなも、名前が覚えやすくなるでしょ? これからどんどんあだ名つけていくから覚悟してね!」

 吉海が無邪気に笑うと、教室の空気がパッと明るく、完全に彼女のペースに塗り替えられた。

(……なるほど、一瞬で場を掌握できる影響力か。面白いクラスになりそうだ)

 高嶺が吉海を面白がって見ていると、ふと、矢川もまた吉海を横目で観察しているのに気づいた。だが、その視線は、まるで盤上の駒の性能を値踏みするような、冷たい目だった。

 教室での顔合わせが終わると、高嶺たちは再び大講堂に集められた。

 壇上に立つのは、黒縁眼鏡の五十代ほどの職員。威圧感はないが、ただものでは無いという空気を纏っている。

「当校は、独自の経済システムTOKトークを導入している」

 職員の声が響き渡る。

「この学校において、TOKは力そのものだ。売店での買い物から、特権の購入、生徒間での取引も認められている。……君たちの存在は、TOKの残高に依存しているのだ」

 講堂の空気がピンと張り詰める。

「もし口座がマイナスになり、負債を抱え、返済能力が無いと見なされた場合、退学(破産)となる」

「た、退学になったらどうなるんですか?」

 誰かが震える声で尋ねた。

「こことは全く違う別の教育施設へ強制的に編入される。学長は軽く言っていたが、絶対に行きたくない環境であることだけは保証しよう」

 新入生たちの間に、明確な絶望と恐怖が広がった。

 だが、高嶺の視界の端にいる矢川は、無言で天井を見つめながら、相変わらず表情一つ崩していなかった。(……こいつ、むしろこのイカれたルールに納得してやがるのか?)

「次に、寮についてだ。基本は二人部屋。トラブルは連帯責任になることもある」

(二人部屋ねぇ……)

 高嶺は口角を上げながら、隣の席の矢川を見た。この二人はすでに、同室だと知らされている。

「門限は22時。無断外泊は禁止。破れば当然、指導だけでなくTOKの没収もある。外泊するなら事前に申請しろ」

「罰金があるのかよ……」と悲鳴が漏れる。

「寮監は教員の当番制だが、教員は生徒間同士のトラブルには介入しない。問題が起きれば当事者同士で解決するか、委員会を利用しろ」

 その言葉に、高嶺はすかさず矢川の耳元に身を乗り出して囁いた。

「なるほど、ただいるだけの地蔵ってことか」

「……例えが無礼すぎる」

 矢川がわずかに口元を引き締めた。(よし、こいつのガードを崩すには、こういう軽口を混ぜるのが一番有効らしい)

 第三寮、2階の端。高嶺たちにあてがわれた部屋は、簡素だが防音性の高い金属ドアの向こうにあった。

 ベッド、勉強机が2台と小型冷蔵庫。余計なものは何もない、清潔で機能的な飼育箱だ。

「ふーん。割と悪くないね」

 高嶺はベッドにダイブし、その反動で軽く跳ねた。

「お前、どっちのベッドがいい?」

「どちらでも構わない」

「だよなー。じゃあ俺、窓側もらうわ」

 高嶺が寝転がったまま天井を見上げると、矢川は淡々と逆側のベッドに荷物を並べ始めた。

「にしても、とんでもないところに来ちまったよな」

 高嶺はおどけた口調を作りながら、矢川の背中に探りを入れた。

「TOKが無くなったら、強制編入って。まるで命のやり取りでもさせられるみたいな空気だったじゃん。俺、美味しいご飯食べて楽しく過ごしたいだけなんだけどなぁ」

 声に微かな緊張を混ぜる。普通の十五歳なら、あのオリエンテーションでプレッシャーを感じない方がおかしい。

「そうか? むしろ分かりやすくていいと思うが」

 矢川はボストンバッグから荷物を出しながら、当然のことのように返した。

「……マジで? おまえ、全然ビビってないの?」

 高嶺は身を起こし、値踏みするような視線を矢川に向けた。

「ビビる必要がない。ルールが明確に設定されているということは、それに従うか、あるいは……利用すればいいだけだ。理不尽な暴力や感情論で評価されるより、よほどマシだ」

 背筋が、ゾクッと粟立った。

 強がりじゃない。こいつは本気で、数字と理屈で他人を支配できる、このシステムを歓迎している。

「……へえ」

 高嶺は驚きを隠し、にっと笑ってみせた。

「レンレン、見た目通りクールだねえ」

「やめろ、その呼び方は」

「ごめんごめん。でもさ、お前みたいなやつが同室でちょっと安心したわ。お互い、破産しないように上手くやろうぜ」

 高嶺が差し出した右手を、矢川は短い沈黙の後に握り返した。

「ああ。よろしく頼む」

 冷たい手だった。血が通っていないんじゃないかと思うほどに。

 夜。

 消灯時間が過ぎ、部屋は静寂に包まれていた。

 高嶺は規則正しい寝息を立てながら、薄目を開けて暗闇を窺った。

 机を挟んだ向かいのベッド。矢川は目を閉じているが、眠ってはいない。

 窓から差し込む月明かりが、矢川の無機質な横顔を照らしている。

 ただ静かに、何かを計算し、情報を整理し、この入徳館という獲物をどうやって喰い殺すかシミュレーションしているような……冷たく澄んだ、刃物のような気配。

(……とんでもないバケモノと同室になっちまったな)

 高嶺は暗闇の中で、誰にも見えないように自嘲気味に笑うしかなかった。

 明日から始まる、この絶望のビオトープでの生活。

 しかし、この学校の運営側システム)はまだ気づいていないだろう。捕食者は、今、この部屋で静かに牙を研いでいるということに。

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