第二十八話 愛のケダモノ
「……来たぜ」
不意に、窓の外を見張っていた工藤が、緊張した声で言った。
「五重の塔の方角から、ライトを持った集団がこっちに真っ直ぐ向かってくる! 全員、黒のプロテクターを着てる……生活保安委員の武装部隊だ!!」
その言葉に、道場の空気が一気に張り詰めた。
「よし、全員計画通りに退避しろ!」
矢川が短く命じる。
柔道部員たちは迷うことなく散って、暗闇へ姿を消した。
数秒後。
校舎の果ての柔道場に、爆発のような轟音が響き渡った。
分厚い木製の引き戸が、生活保安委員によって蹴破られ、無残に吹き飛ばされる。
「突入しろ! ネットワークの物理的切断を最優先! 抵抗する者は容赦なく排除せよ!!」
暗闇に包まれた道場に、黒のプロテクターに身を包んだ数十名の保安委員及び私兵たちが雪崩れ込んだ。
先頭に立つ生徒会副会長・京極の目は、赤く明滅するモニターの光を反射し、狂気的な焦燥に染まっていた。
【Target:生徒会本部(二階堂冬美)メインサーバー】
【ウイルス送信プロセス……98%完了。対象システムの破壊まで残り99秒】
「……冬美様の理想を、貴様ら低俗な輩が汚すなど、許されるはずがないッ!!」
京極は普段の冷静沈着な仮面を完全に投げ捨て、自ら手にした特殊鋼の警棒を振り上げた。
「破壊しろ! そのサーバーの息の根を徹底的に止めろぉっ!」
その号令とともに、暴力の嵐が吹き荒れた。
保安委員、私兵たちが一斉にバールやハンマーを振り下ろし、赤く点滅する巨大なサーバーラックに襲い掛かる。
ガァン! バキィィッ!
凄まじい破壊音とともに、鉄の装甲がひしゃげ、内部の配線が引きちぎられ、火花が散る。
佐竹が仕込んだ飾りの冷却ファンが悲鳴を上げて停止し、五台の巨大なラックは、ものの数十秒で修復不可能な「完全なる鉄屑」へと成り果てた。
プツン、と。
警告音を鳴らし続けていたモニターが、完全にブラックアウトする。
「……はぁっ、はぁっ……」
京極は荒い息を吐きながら、歪んだ警棒を下ろした。
ズタズタに破壊されたサーバー群を見下ろし、狂信的な達成感が彼の胸を満たす。
(間に合った……。私は、冬美様の美しい箱庭を守り抜いたのだ)
狂信にも似た達成感が、胸を満たしていく。
彼が乱れた銀縁眼鏡を押し上げ、誇らしげに息を整えた、その瞬間。
パチ。
乾いた拍手。
もう一度。
パチ、パチ、パチ。
道場の奥。
暗闇の中から、その音だけが静かに響いた。
同時に。
蛍光灯が一斉に灯る。
眩い白光が、破壊されたサーバー群を照らし出した。
「見事な物理的制圧ですね、副会長」
矢川蓮だった。
その後ろには、佐竹、高嶺、玲奈たち情報ファンドの面々が静かに並んでいる。
京極の表情が凍り付く。
「……矢川蓮」
矢川は砕け散ったラックへ目を向ける。
「貴様ら、逃げ遅れたか。だがもう遅い。貴様らのテロ兵器は、我が生活保安委員会が完全に破壊した」
京極が叫ぶ。
「テロ兵器?」
矢川は首を傾げ、冷たく、酷薄な笑みを浮かべた。
「おかしなことを言いますね。それは我が柔道部が、大図書館の御子柴委員長から正式な手続きを経て譲り受けた、部所有の演算サーバーです。……何の法的権限があって、他組織の私有財産を破壊したのですか?」
「ふん、白々しい。生徒会本部のシステムを脅かすウイルスを送信しようとしていたことは、すでに私のネットワーク監視で」
「ファクトチェック(裏付け)を怠りましたね、京極先輩」
矢川の鋭い声が、京極の言葉を切り裂いた。
「そのサーバーのデータ領域は完全に死んでいる。稼働していたのは電源とファン、そしてお粗末な『ダミー映像』だけだ。……外部と通信した形跡など、ただの一度も存在しない」
「……な、に?」
京極の顔から、スッと血の気が引いた。
「状況の確認は取れましたか、香田先輩」
矢川が道場の入り口へ視線を向ける。
そこには、いつの間にか『監査・予算委員会』の腕章をつけ、特注の査定用端末を持った香田慧が、数名の監査委員を引き連れて立っていた。
「ああ。バッチリ記録させてもらったぞ、矢川」
香田は呆れたように息を吐きながら、破壊されたサーバーの残骸についたバーコードを端末でスキャンした。
「……第一世代コアサーバー、計五基の完全破壊を確認。所有権は柔道部。そして、入徳館の帳簿における、このインフラ設備の法的評価額は……」
香田は、端末の画面を京極の目の前に突きつけた。
「しめて、【六百二十万TOK】だ」
「……は?」
京極が、理解不能な言葉を聞いたように固まった。
「ろ、六百二十万……だと? ふざけるな! クラウド化で五年前に破棄された、ただの粗大ゴミだろうが!!」
「俺たち監査は、実質的な価値で判断はしねえ。『帳簿上の数字』がすべてだ。正式な廃棄手続きがされていない以上、これは全部で六百二十万TOKの価値を持つ超高級設備だ。……そして」
香田は冷酷な学僚の目で、入徳館の絶対ルールを宣告した。
「校則第八十八条により、これを不当に破壊した生活保安委員会に対し、同額の損害賠償を請求する。……生活保安委員会の現在の口座残高は四百七十万TOK。よって、即刻『債務超過(破産)』とみなし、生活保安委員会所有の全口座を強制凍結する」
「なっ……!?」
京極と、その背後にいる数名の武装した監査委員たちのスマートウォッチが、一斉に『口座凍結・権限停止』の警告音を鳴らした。
「ま、待て……罠だ! これは、私をハメるための――!」
「ええ。あなたが『冬美会長』という偶像への狂信に踊らされ、冷静な事実確認を放棄する弱点を抱えていたからこそ成立した、喜劇です」
矢川は、タブレットの画面を見せるようにし、京極へ歩み寄った。
「借金は払えない。口座は凍結された。……では、入徳館のルールに則り、未払い分の【百五十万TOK】のカタとして、生活保安委員会の『行政権(権力)』を、我々情報ファンドが差し押さえます」
「き、貴様ぁぁぁっ!!」
京極が血走った目で歪んだ警棒を振り上げようとするが、彼の背後にいた保安委員たちが、怯えたように一歩後ずさった。
委員会の口座が凍結された今、京極の命令に従ってこれ以上暴れれば、彼ら自身が多額の借金を背負うことになるからだ。
入徳館において「金(TOK)がない」ということは絶対的な敗北を意味する。
「……ああ……冬美、様……」
自らの愚かな暴走が、愛する女王の武器(警察権力)を奪い取ってしまったという絶望。
入徳館最強の宰相と呼ばれた京極は、膝から崩れ落ち、鉄屑の転がる床の上に両手をついた。
「これにて、警察権力の掌握は成立だ」
矢川蓮は崩れ落ちた京極を見下ろし、冷然と宣告をした。




