第二十五話 情報の蒐集
残り、二十七分。
画面の隅で数字が減っていくのを視界の端に置いたまま、矢川蓮は検索条件を三度組み替えた。
委員会の解散。資産の移行。権限の帰属。
該当件数、四百十二件。多すぎる。
条件から『解散』を外し、『予算』と『損害賠償』を足す。
該当件数、七件。
……見つけた。
四年前。年度の初め。『第二食堂・価格改定デモ鎮圧事件』。
当時の生活保安委員会が、暴徒化した生徒を鎮圧するためにゴム弾と催涙ガスを過剰に使用し、食堂の設備を半壊させた。処分は過剰防衛による減給。判決文としては、どこにでもある凡庸な一件だ。
矢川が見ていたのは、処分ではなかった。
その時に適用された条文——『校則・第八十八条(行政機関の損害賠償責任)』。
『行政機関(委員会)が職務執行において学校の施設・備品に著しい損害を与えた場合、その修繕費は全額、該当委員会の運営予算(TOK)から天引きされるものとする。万が一、予算がマイナス(債務超過)に陥った場合、当該委員会は一時的に行政権限を凍結され、その債権を肩代わりした特別教育活動組織などに、権限の執行を委託することができる』
委員会が破産すれば、警察権は借金のカタとして差し押さえられる。
矢川は、隣のウィンドウを開いた。
『校則・第百十二条/改定履歴』。
あった。事件の翌年度、第八十八条は改定を受けている。委託先から『特別教育活動組織』を除外する——つまり、部活動が行政権を握る道は、一度、塞がれていた。
だが、改定の附則にはこうある。
『本改定は、改定日以降に発生した事案について適用する』
……穴だ。
塞がれたのは、条文の未来だけだ。四年前の判例そのものは生きている。同種の事案に対して、判例は依然として先例としての効力を保つ。
指が止まった。
止まったまま、頭の中で数字が並び替わっていく。
保安委の運営予算は、年度予算の約一割。修繕費の単価を過去三年の判例から均せば、破産まで、約五百万TOK。
京極に、あと五百万TOK分負債を作らせればいい。
あの男は、二階堂冬美の命令を受けて進藤派閥を狩り回っている。狂犬に鎖はない。煽れば、暴れる。暴れた分だけ、賠償が積み上がる。
そして予算が底をついた瞬間、その債権を——
そこで、思考が詰まった。
債権を買い取る。誰から。
保安委員が壊した施設の持ち主だ。所有者が誰なのか、そもそも売る気があるのか。矢川はまだ、その答えを持っていなかった。
「……何か、見つけたようだね」
背後から、静かな声がした。
振り返らずとも分かる。分厚い古書を抱えた図書委員長が、いつからか書架の切れ目に立っていた。
「四年前の食堂の件かい。過剰防衛による減給処分で終わった、ありふれた判例だよ」
「ええ」
「……それだけ?」
「それだけです」
御子柴は、しばらく矢川の後頭部を眺めていた。
「三秒だね」
「なんの話です」
「君が指を止めてから、だ。……三秒で、何を組み立てた」
矢川は答えなかった。
御子柴も、それ以上は訊かなかった。ただ、抱えた古書の背を、指で一度なぞっただけだった。
「言わない判断は正しいよ」
書架の間に、乾いた声が響く。
「大図書館は、君が何を開いたかを記録する。だが、君が何を考えたかは記録できない。……口に出さない限りはね」
残り、九分。
矢川は端末から手を離し、胸ポケットからボールペンと紙を取った。
第八十八条。附則の一行。判例番号。
個人端末に落とせば、通信ログに残る。
記録に残さずに、情報を持ち帰るとすれば脳に記憶するか、手書きのメモだった。
書き終えた紙を二つに折り、内ポケットへ入れる。
「ああ、それと」
御子柴の声が、書架の向こうから届いた。
「君の閲覧履歴の開示請求は、誰でも出せる。処理には一日かかる。……つまり、明日の今頃だ」
京極が策略に気づく前に、すべてを終わらせなければならない。
時間になり、モニターに接続不可の文字が表情された。
矢川は立ち上がり、書架の間に居る御子柴に軽く一礼すると、大図書館の静寂を背に、柔道場へと歩みを進めた。




