第二十一話 勝負の決着
翌日。入徳館、中央タワー、メインエントランス。
巨大なデジタルサイネージの前に、全校生徒が固唾を飲んで集まっていた。各学年・成績下位三十名。全財産を没収され、退場となる『敗者』の発表である。
「ヒャハハ! さあ、アンダーのゴミどもの全財産が、俺たちの口座に振り込まれる時間だぜ!」
ボーナスを当て込んだ上位層の生徒たちが、下卑た笑みでモニターを見上げる。生徒会室に籠る冬美の代理として、徳務委員会の進藤蒼一も、腕を組み、冷ややかにその時を待っていた。
『これより、中間考査の総合順位、およびペナルティ対象者の発表を行います』
無機質なアナウンスと共に、名簿が一斉に表示された。
その瞬間、エントランスが静まり返り、直後、阿鼻叫喚のパニックに包まれた。
「な、なんだよこれ……!? 俺の名前が、下位三十名に入ってる!? 俺は、特待生だぞ!!」
下位三十名に多く名を連ねていたのは、アンダーの生徒ではなかった。過去の貯金に胡座をかき、ボーナス目当てにF棟への嫌がらせにばかり時間を費やしていた連中だった。
彼らは、油断していた。「完全新作」の意味を、甘く見ていた。過去問という武器を失った時、自力で初見の問題に立ち向かう訓練を積んでいなかったツケが回ったのだ。
進藤が、血相を変えてタブレットを操作する。F棟の生徒たちの順位は、その多くが『中間層』へと跳ね上がっていた。桐谷駆に至っては、一年で二十七位。上位ボーナス圏内への、堂々たるランクインである。
だが、進藤の目は、名簿の、別の場所に留まっていた。
アンダーの生徒の、全員が脱出できたわけではなかった。
基礎学力の欠落、学習性無力感の底があまりに深かった数人は、対策が間に合わず、下位三十名に、その名を残していた。TOKは、ルール通り、無慈悲に没収されていく。
情報ファンドの勝利は、完全ではなかった。守り切れなかった顧客が、確かにいた。
そして、名簿の中位のあたりに、矢川蓮と、高嶺悠真の名も、静かに並んでいた。可もなく不可もない、絵に描いたような凡庸な順位。誰の記憶にも残らないような位置に。
エントランスの喧騒から少し離れた場所で、桐谷が、震える声を上げた。
「矢川くん……! 俺、二十七位で……ボーナスが……! でも……」
彼の視線は、喜びと、その裏で没収されていく仲間たちの名簿の間で、揺れていた。
「……ああ」
矢川は、静かに応じた。
「全員は、上げれなかった」
その事実を、彼は誤魔化さなかった。数人のアンダーが、今、全財産を失った。それは、情報ファンドの力が及ばなかったからでもある。
だが、その中に。
真田の名はなかった。下位三十名の、すぐ上。ぎりぎりのラインで、彼は、踏みとどまっていた。あの一問。逃げずに書いた、途中までの、たった一つの答え。それが、彼を、崖の縁で繋ぎ止めていた。
矢川は、その名前を、しばらく見つめた。真田を踏み止まらせたのは、自分の作戦ではない。水木の言葉と、仲間の顔と、そして真田自身が最後に握り直した、一本のシャーペンだった。
人に頼っていては手にできないもの。それが、勝敗の、いちばん際どい一線を、動かしていた。
モニターの前で、進藤蒼一は、歯噛みして矢川を睨んだ。
「……あり得ない。完全新作のテストを、たった一週間で……」
だが、その驚愕の奥で。彼の目は、一瞬、憎悪とは別の色を帯びた。まるで、予想を超えた実験結果を前にした、研究者のような。
(……この男は、想定を超える。……『上』は、さぞ、興味を持つだろうな)
その呟きが、誰に向けられたものだったのか。喧騒の中で、聞き取れた者は、いなかった。
その夜、柔道場。
顧客の口座に振り込まれたボーナスの総額を確認しながら、佐竹が口笛を吹いた。
「上位に食い込んだ連中の残高、とんでもない額だぜ。差し引きでも、うちは大黒字だ。……にしても矢川、お前も高嶺も、人にあれだけ対策させといて、なんで自分は真ん中なんだよ。ボーナス、もったいねえ」
「それに、すっからかんになった子たちに無利子でTOK貸しちゃうしさ」
玲奈が、困った子どもを見るような目をして笑う。
「事業拡大のための必要経費だ」
矢川は、短く答えた。
「それに、目立てば、次に狙われる。……今は、金より、『目立たない』ことの方が重要だ」
「相変わらず、意味わかんねえ男だな」
佐竹は肩をすくめた。
「……佐竹。妙だと思わないか」
矢川は、窓の外を見たまま、静かに言った。
「生徒会長が…本気で俺たちを潰す気なら、学習指導要領などという『逃げ道』を、なぜ残した」
「あ?」
「あの女なら、いくらでも悪辣な手を使えたはずだ。それを、なぜ、この程度で……まるで、俺たちが浮き上がってもかまわないかのように」
「考えすぎだろ。勝ったんだから、いいじゃねえか」
「……そうだな」
矢川は、それ以上、追及しなかった。だが、腑に落ちない小さな澱が、胸の底に、静かに残った。
このゲームには、まだ、見えていない手が、ある。
「なあ、矢川」
高嶺が、話題を変えるように口を開いた。
「これだけの資産と、みんなの支持が集まった。……次は、どうする気だ」
矢川は、タワーの最上階を見上げた。
「この学校の警察権力、『生活保安委員会』を掌握する」
「……ずいぶん、デカくでたな」
高嶺の声は、感心とも、警戒ともつかなかった。
その時、静かに口を挟んだのは、七瀬だった。
「……ねえ、矢川くん」
彼女の琥珀色の瞳が、いつものように、彼の奥を、静かに見ていた。
「私たち、守るために、大きくなってるんだよね。……この学校で強くなっていっても。その時も、まだ、今の気持ちでいられるかな」
矢川は、答えなかった。
七瀬は、それ以上は言わず、ふわりと微笑んで、湯呑みを片付けに立った。責めたわけではない。ただ、いつもの問いを、一つ、置いていっただけだった。
矢川の計算式には、まだ、その答えはでていない。
矢川は、答えの出ない問いをまた一つ、鉄の扉の奥へ仕舞い込んだ。
しかし今度の扉は、以前より、ほんの少しだけ、閉まりが悪かった。
学校の底辺から成り上がった、寄せ集めの組織。その反逆は、まだ、始まったばかりだった。




