「三年目の先輩」
社会人になると、“質問する側”でいられる時間は意外と短い。
気づけば後ろに人ができて、
気づけば説明する側になっていて、
気づけば「確認お願いします」と言われるようになる。
宗形 恒一は、未だにそれに慣れていなかった。
◆
「宗形さん、少しお時間いいですか」
午後二時過ぎ。
声をかけてきたのは、新卒一年目の佐倉だった。
まだ入社して一ヶ月ほどの新人で、宗形とは別チーム所属だが、フロアが同じなので時々質問に来る。
「あ、はい」
宗形はモニターから顔を上げる。
「このSQLなんですけど……」
佐倉は少し申し訳なさそうにノートPCを見せてくる。
その表情を見て、宗形はなんとなく察した。
多分、何人かに聞こうとしてやめた顔だ。
新人の頃、自分もよくしていた。
「どこまで確認しました?」
「あ、えっと……JOIN条件までは見たんですけど、結果件数が合わなくて……」
「なるほど」
宗形は椅子を寄せ、画面を覗き込む。
後ろでは芦屋が静かに作業を続けていた。
「これ、LEFT JOINの後にWHERE条件入ってますね」
「あ……」
「これだと実質INNER JOINみたいな動きになるので」
「うわ、本当だ……」
佐倉の顔が一気に青くなる。
「すみません、初歩的でした……」
「いや、分かりづらいですよこれ」
宗形は自然にそう返していた。
「俺も最初結構ハマりましたし」
「本当ですか?」
「普通に半日潰したことあります」
佐倉が少しだけ安心したように笑う。
宗形はその表情を見ながら、少しだけ昔を思い出していた。
◆
新人の頃。
質問するのが苦手だった。
いや、正確には、“質問するタイミング”が分からなかった。
忙しそうだな、とか。
こんなの聞いたら怒られるかな、とか。
そうやって一人で抱えて、結局詰まる。
社会人一年目の宗形は、割とずっとそんな感じだった。
だから。
「あとこれ、今後もよく出るので」
宗形は画面を指差す。
「JOIN順とWHERE条件、セットで見る癖つけるといいですよ」
「あ、はい……!」
「慣れると大体違和感で分かるようになります」
佐倉は何度も頷きながらメモを取っている。
宗形はそれを見て、少しだけ気恥ずかしくなった。
別に大したことを言っているわけじゃない。
ただ、自分が昔困ったことをそのまま話しているだけだ。
「ありがとうございました!」
佐倉は深く頭を下げて、自席へ戻っていった。
宗形は小さく肩を回す。
その瞬間。
「宗形さん」
隣から芦屋が声をかける。
「ちゃんと先輩してますね」
「……そうですか?」
「質問しやすそうでした、あの子」
宗形は少し曖昧に笑った。
「多分、困ってそうだったんで」
「それに気づけるのが、ちゃんと先輩なんじゃないですか?」
さらりと言う。
宗形は少しだけ返事に詰まった。
そんな風に考えたことはなかった。
◆
夕方。
客先定例も終わり、フロアの空気が少し緩み始める。
宗形はメール返信を片付けながら、ふと向かいの席を見る。
佐倉がまだ画面と睨み合っていた。
「……」
少し迷ってから、宗形は立ち上がる。
「佐倉さん」
「あ、はい!」
「大丈夫ですか」
「あ、えっと……大丈夫です」
その返答が大丈夫じゃない時のやつだ、と宗形は思った。
「どこです?」
「……GROUP BYが……」
宗形は画面を見る。
数秒後、小さく息を漏らした。
「これ、カラム抜けてますね」
「あっ」
「多分エラーそこです」
佐倉が頭を抱える。
「うわ……ありがとうございます……」
「慣れるまでSQL、わりと意味分からないですからね」
「宗形さんって、教えるの上手いですよね」
突然そう言われ、宗形は固まる。
「いや、全然ですよ」
「でも説明分かりやすいです」
宗形は少し困ったように笑った。
そんなことを言われると落ち着かない。
自分では、まだ教わる側の感覚が抜けていないからだ。
◆
自席へ戻ると、芦屋がこちらを見ていた。
「宗形さん」
「はい?」
「昔の宗形さんも、あんな感じだったんですか?」
「どんな感じです?」
「質問しづらそうにしてる感じ」
宗形は少し黙る。
それから、小さく笑った。
「……まあ、多分」
「やっぱり」
「新人の頃、めちゃくちゃ気使ってましたし」
「今も結構気使ってません?」
「社会人なんで」
「便利な言葉ですね、それ」
芦屋が笑う。
宗形も少しだけ笑った。
窓の外は曇り空だった。
相変わらず、春の空ははっきりしない。
けれど最近、宗形は時々思う。
“今の自分”も、昔の誰かの延長線上にいるのかもしれない、と。
新人の頃の自分。
質問できなかった自分。
少しずつ擦り減って、無難を覚えた自分。
その全部が今も残っていて。
だからこそ、後輩の“困っている顔”に気づくのかもしれなかった。
蛍光灯の白い光が、静かなオフィスに落ちている。
宗形は冷めたコーヒーを飲みながら、また小さくキーボードへ手を置いた。




