表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平凡リーマンは無難を欲す  作者: 猫枕で寝たい。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/25

「昔の資料」

 共有フォルダというのは、会社の歴史そのものだ。


 誰が作ったのか分からないExcel。

 更新されなくなった手順書。

 “最新版”が六個並んでいる設計書。


 積み重なったファイルの中には、ちゃんと過去の人間がいる。


     ◆


「宗形さん」


 午後三時過ぎ。


 隣から芦屋が声をかけてくる。


「このフォルダ見てたんですけど」


「はい」


「ファイル多すぎません?」


「諦めてください」


 宗形は即答した。


「この案件、“歴史”長いんで」


「歴史って言い方するとちょっと格好いいですね」


「実態は地層です」


 芦屋が少し笑う。


 最近、こういう軽い会話が自然になってきていた。


 気を遣わないわけではない。

 ただ、“何を話せばいいか分からない”感じは減ってきている。


「で、この設計書なんですけど」


 芦屋がモニターをこちらへ向ける。


「これ、宗形さん作りました?」


 宗形は画面を見る。


 数秒止まった。


「あー……」


 それは三年前の設計資料だった。


 新人時代、自分が担当したバッチ処理の改修案件。


 ファイル名の末尾には、自分の名前が残っている。


「懐かしいな……」


「やっぱりそうなんですね」


 芦屋は画面をスクロールする。


「これ、かなり丁寧ですね」


「……そうですか?」


「コメントも多いし、運用想定までちゃんと書いてあります」


 宗形は少しだけ視線を逸らした。


 自分でも忘れていた。


 昔はこんな資料を書いていたらしい。


     ◆


「新人の頃って、無駄に頑張るんですよ」


 宗形は苦笑しながら言う。


「無駄に?」


「“ちゃんとやらなきゃ”って思ってたんで」


「いいことじゃないですか」


「いやー……」


 宗形は椅子へ少し体重を預ける。


「当時は、設計書とかめちゃくちゃ読み込んでましたね」


「へえ」


「業務知識も必死に覚えて。

 休憩中もずっと画面見てました」


 今思えば、肩に力が入りすぎていた。


 失敗したくなかった。


 認められたかった。


 “できる側”に行きたかった。


 そういう時期が、確かにあった。


「でも、いつの間にか分かるんですよね」


 宗形はモニターを見たまま続ける。


「頑張っても、どうにもならないこと結構あるなって」


 仕様変更。

 無茶なスケジュール。

 意味の分からない炎上。


 誰か一人が頑張ったところで、綺麗には回らない。


 社会人三年目ともなると、それなりに覚えてしまう。


「だから最近は、ほどほどが一番かなって」


 宗形はそう言って笑った。


 自嘲に近い笑い方だった。


     ◆


 芦屋は少しだけ黙っていた。


 それから、宗形の設計資料をもう一度見る。


「でも」


「はい?」


「私は、こういうの結構好きですけどね」


 宗形は目を瞬かせた。


「読みやすいですし」


 芦屋は画面を指差す。


「“後から見る人”のこと考えて書いてる感じします」


「……そんな大したものじゃ」


「そういうの、意外とできる人少ないですよ」


 さらりと言う。


 持ち上げるような言い方ではなかった。


 ただ、本当にそう思ったから口にした、みたいな声だった。


 宗形は返事に少し詰まる。


 昔の自分を褒められるのは、なんとなく落ち着かなかった。


     ◆


 その時だった。


「懐かしい資料ですね」


 後ろから落ち着いた声がした。


 宗形は軽く肩を跳ねさせる。


 振り返ると、大参課長が立っていた。


「あ……」


「その案件、宗形くんの初案件でしたよね」


「よく覚えてますね……」


「レビューしたので」


 大参は静かな口調で言う。


「当時の宗形くん、かなり細かかったですから」


「……すみません」


 反射的に謝る。


 すると大参は少しだけ不思議そうな顔をした。


「なぜ謝るんです?」


「いや……」


「私は良かったと思っていますよ」


 宗形は少し黙った。


 大参は画面へ視線を向ける。


「今見ても、ちゃんと整理されています。

 少なくとも、“考えて作っていた資料”です」


 その言葉は静かだった。


 静かなのに、妙に残る。


「宗形くんは昔から、“後で困る人”を減らそうとする癖がありますね」


 大参はそう言って、小さく笑った。


「それは案外、簡単なことではありません」


 宗形は何も返せなかった。


 新人の頃。


 ただ必死だっただけだ。


 認められたくて。

 置いていかれたくなくて。


 そんな風に働いていたことを、自分ではもう少し忘れかけていた。


     ◆


 大参が去ったあと、フロアにはまたキーボードの音が戻る。


 宗形はしばらく昔の資料を眺めていた。


 画面の中には、少し青臭い自分が残っている。


 丁寧すぎるコメント。

 無駄に細かい補足。

 未来の誰かを想定した注意書き。


 今なら、多分ここまで書かない。


 効率が悪いからだ。


 でも。


 宗形はふと、自分の指先を見る。


 キーボードに置かれたままの手は、三年前と変わっていないはずなのに。


 どこか少しだけ、遠く感じた。


 オフィスの蛍光灯が、白く静かに光っている。


 春はまだ曇っていた。


 けれどその曇り空の向こう側を、昔の自分がぼんやり立って見ている気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ