表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平凡リーマンは無難を欲す  作者: 猫枕で寝たい。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/25

「全部見えている」

 宗形 恒一が今の部署に配属されて、最初に先輩から教わったことがある。


 ――大参課長には、先に報告しておけ。


 それだった。


 別に怒鳴る人ではない。

 机を叩くこともないし、感情で人を動かすタイプでもない。


 むしろ静かな人だ。


 声を荒げているところなんて、宗形はほとんど見たことがない。


 それなのに怖い。


 理由は単純だった。


 あの人は、全部見えている。


     ◆


「宗形くん」


 低く落ち着いた声が背後から聞こえた瞬間、宗形の肩がわずかに強張る。


 振り返ると、大参課長が立っていた。


 五十前後。

 細身のスーツを崩さず着こなし、姿勢も綺麗だ。


 年齢相応の皺はあるが、不思議と疲れた印象がない。

 むしろ静かな余裕がある。


 宗形は毎回思う。


 この人、若い頃かなり格好良かったんだろうな、と。


「例のCSV改修ですが、レビューを確認しました」


「あ、はい」


「nullチェックを追加した判断は良かったと思います」


「ありがとうございます」


 宗形は少し驚く。


 大参課長は滅多に褒めない。

 というより、必要以上のことを口にしない人だった。


「ただ」


 来た。


「例外処理の部分は、少し甘さがありましたね」


「……すみません」


「いえ、責めているわけではありません」


 大参は穏やかな声のまま続ける。


「ただ最近の宗形くん、少し処理を急ぎすぎる傾向があります。

 そこは気をつけた方がいいでしょう」


 静かな口調だった。


 怒っているわけではない。

 なのに妙に刺さる。


 宗形は小さく「はい」と返した。


 大参はそのまま宗形のモニターを数秒眺める。


 その視線が苦手だった。


 見透かされている感じがする。


「それから芦屋さん」


「はい」


 今度は隣へ視線が向く。


「先ほどの定例ですが、説明が分かりやすかったです」


「あ、ありがとうございます」


「相手がどの段階で理解できていないか、整理しながら話せていましたので」


 芦屋は少し意外そうな顔をしていた。


 大参から直接そういう言葉が来るとは思っていなかったのだろう。


「この部署、説明不足のまま話が進んでしまうことが多いので。

 あれは大事なことです」


 それだけ言うと、大参は静かに去っていった。


 歩く時まで妙に落ち着いている人だった。


     ◆


「……怖いですね」


 大参が見えなくなったあと、芦屋が小声で言う。


 宗形は少し笑った。


「ですよね」


「怒ってないのに緊張するタイプだ……」


「全部見えてるんですよ、あの人」


「分かる気がします……」


 芦屋がコーヒーを飲みながら息を吐く。


「でも、ちゃんと見てくれてる感じありますね」


 その言葉に、宗形は少しだけ黙った。


 “見てくれている”。


 そういう風に考えたことは、あまりなかった。


 宗形にとって大参課長は、“怖い上司”だった。


 レビューは鋭いし、曖昧な説明もすぐ見抜かれる。

 変に誤魔化そうとすると、一瞬で整理される。


 新人の頃、一度だけ進捗報告をごまかしかけたことがある。


 その時、大参は静かにこう言った。


『遅れているのであれば、それは構いません。

 ただ、分からないまま進めるのはやめてください』


 怒鳴られたわけじゃない。


 けれど宗形は、その日ずっと胃が痛かった。


     ◆


 夕方。


 フロアにはキーボードの音だけが残っていた。


 宗形はログを追いながら、小さく眉を寄せる。


「……件数合わないな」


「何かありました?」


 芦屋が画面を覗き込む。


「データ件数がズレてて」


「あ、本当だ」


 二人でログを見返す。


 しばらくして。


「あー……これかも」


 芦屋が画面を指差した。


「旧バッチ側で二重登録してません?」


「……あ」


 宗形はログを追い直す。


 本当だった。


「よく気づきましたね」


「前職で似たようなのありました」


「嫌な経験値だ」


「本当にそうです」


 二人して苦笑する。


 その時だった。


「その内容、明日の定例で使用するのであれば、資料として残しておいてください」


 いつの間にか後ろに大参が立っていた。


 宗形は軽く肩を跳ねさせる。


 相変わらず足音がしない。


「あと宗形くん」


「はい」


「今の件ですが、芦屋さんが気づいたことは分かる形で記録しておいてください」


「……はい」


「気づいた人間が適切に評価されないチームは、長く続きませんので」


 大参はそれだけ言って、また静かに歩いていく。


 宗形はしばらく黙っていた。


 芦屋も少し驚いたような顔をしている。


「……なんか」


 芦屋がぽつりと言う。


「思ってたより優しい人ですね」


「優しい、ですかね……」


「少なくとも、“ちゃんと見てない人”ではないですよね」


 宗形は返事をしなかった。


 モニターへ視線を戻す。


 チャット通知。

 未読メール。

 修正依頼。


 相変わらず仕事は減らない。


 けれど。


 大参課長みたいな人がいるから、この現場はどうにか回っているのかもしれない。


 宗形はそんなことをぼんやり考えながら、再びキーボードへ手を置いた。


 蛍光灯の白い光は、今日も静かなオフィスを照らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ